砂川闘争とは何だったのか
「米軍駐留は憲法違反」の伊達判決の今日的意義
●お話:島田清作さん(伊達判決を生かす会)
広大な緑と花の公園・昭和記念公園はかって朝鮮戦争やベトナム戦争の頃、米軍機が離発着を繰り返す米軍基地であったことを知らない人が増えています。
滑走路の拡張計画が発表され「先祖伝来の土地を奪うな」と起ち上がった農民たちと応援に駆け付けた労働者や学生たちが日本政府と闘ったのが「砂川闘争」です。
警官隊との衝突で多くの逮捕者が出て、7名が基地に入ったとの理由で起訴され裁判になりました。
この裁判で、東京地裁の伊達裁判長は「米軍駐留は憲法違反」との理由で全員無罪の判決を出しました。1959年のことです。
あわてたマッカーサー駐日米大使は同判決の破棄を狙って最高裁に圧力をかけるなど、露骨な介入を行いました。その結果、同判決は高裁を経ないで最高裁へ跳躍上告され、最高裁は一審判決を破棄、地裁に差し戻しました。
その後、曲折を経て1977年に米軍立川基地は日本に返還されました。
今の平和な公園はこうした運動、経緯により生まれたのです。