みんなの取りくみ

三多摩憲法ネットワークに参加しているみなさんの憲法に関する取りくみを紹介。
当ネットワークへの参加、このページでの催しの紹介希望など、ご連絡はこちらまで。

 

9条の会・こがねい 7周年 みんなの集い  New!
日時 2012年11月11日(日)
場所 萌木ホール 
報告

 参加者役70名で開催されました。
       
 池末代表は、5月に発表された2度目の自民党改憲草案に触れ、9条は現状況の中、7年前安倍内閣が改憲を表明した時以来の大きな危機に直面している。もう一度気を引き締めて、憲法は変えないぞ。9条は変えないぞ。と運動を高めていこうと訴えました。
       
 桜井均氏は、市民メディアが記録した9条の講演会、普天間、原発のビデオ映像をもとに話されました。講演会やデモに参加してない人が見ても説得力があり、連続して見ると、9条の会の運動には一貫して命と平和を守ろうとする人間の意思が脈々と繋がっていることに、改めて力づけられました。
       
 総会は、新しい2名の運営委員が加わり、来年度も多くの人々の参加を目指して、9条署名 ニュース発行を継続し、講演会、地域集会などにも積極的に取り組み会員の交流と声を反映出来る活動をしていく事を確認しました。
 また、他の9条の会、地域の平和団体などと協力し、相互の活動を充実させます。
       
 署名、運営委員会 ニュース折り込みなど、どうぞ気軽に参加して下さい。ご一緒に活動しましょう。

お問合せ 9条の会・こがねい 042-383-8574

 

第55回 調布「憲法ひろば」 例会  
日時 2010年8月29日(日)
場所 あくろすホール (国領駅北口、あくろす3階)
報告

 調布「憲法ひろば」は8月29日、「ロングラン」と銘打って第55回例会を開催。通算45人(昼41人、夜23人)が参加しました。昼は岩本努世話人の司会で「安保50年にあたって憲法九条を考える」のテーマに沿って「憲法ひろば」の世話人3人が発題。夜は大野哲夫・石川康子世話人が今後の「憲法ひろば」の在り方を提案。参加者は、猛暑と張り合うように?熱気の溢れる討論でこれらに応えました。

《戦後史の中の日米安保条約 石山久男さん(歴史教育者協議会)》
 憲法九条についての国民世論は、改正賛成3割、反対6割という水準を保っている。しかし安保となると、沖縄では維持派が一割に満たないのに国民全体では八割近いという大きな認識の落差がある。この落差を埋めるためには安保の現実を私たちがしっかりと見てそれをひろげていかなくてはならないだろう。
 ソ連が崩壊した90年代以後の日米安保体制は、自衛隊の性格を日本の防衛軍から日米共同作戦による地球規模の海外派兵軍にはっきりと変えた。経済面でもアメリカいいなりに「構造改革」を進めてきた。憲法改悪も格差と貧困も、その根は日米安保にあるといえる。けれども中国や北朝鮮が怖いから米軍は「抑止力」として必要だという考え方が根強い。だが05年以後の防衛白書は、毎年、日本への侵略がおこる可能性は低下したと言い続けている。フィリピンは92年に米軍基地を撤去したが、その後も他国から侵略されることなく安全を保っている。中国や北朝鮮から軍事力で日本を守ろうというのは、今の世界情勢では架空の物語に過ぎない。安全を守るのは軍事力ではなく外交力。いまASEANが主導して紛争の平和的解決を約束している東南アジア友好協力条約に日本も中国も北朝鮮も韓国も加盟している。平和への流れも大きくなりつつあるアジアだからこそ、九条をもつ日本が外交力を発揮して友好と信頼で結ばれたアジアをつくる先頭に立つべきではないか。

《日米安保条約と基地問題の現在 丸山重威さん(マスコミ研究者)》
 私が強調したのは、いま起きている普天間基地の移設問題などを含め、いまの日本の状況が日米安保に支配されてしまっていること、それが国民の中に当たり前のことのように浸透してしまって、沖縄などにだけ、矛盾を集中させていることだった。
 鳩山政権の誕生は、そんな日本の在り方に一石を投じ、国民に期待を持たせたが、官僚体制や古い発想の中で期待はことごとく裏切られた。特に、「国外、最低でも県外」と鳩山首相が言い切った「普天間基地問題」に関しては、外務、防衛両省や米国のメディアを使ったキャンペーンの中で「迷走」したあげく、旧来の「辺野古移設案」へ逆戻りした。鳩山氏はこの責任を取って退陣したが、菅直人・新首相は、保守路線に回帰、鳩山政権の「反動」としての役割を果たしている。
 そんな中で、安保体制は「日本国土の防衛」から「世界の中の安保」に変貌した。戦後のメディアの歴史を見ると、最近の鳩山政権への批判を含め、ずっと米国に支配されていた感じがする。安保をなくし、基地をなくす方向に着実に踏み出さなければならないと思う。北朝鮮との国交回復、中国や韓国を含めた平和条約などを視野に起きながら、長い目で見てその方向に一歩一歩踏み出すことが大事ではないか、と思っている。

《アジアから見た日米安保 笹本潤さん(弁護士、九条世界会議実行委員)》
 戦争で侵略された側のアジアにとって、日米安保は「ビンの蓋」という意味合いもある。「ビンの蓋」というのは、戦争を起こした日本軍国主義を、アメリカが封じるというもの。特に安保条約ができたころのアメリカ、中国は日本を警戒していた。
 しかし、冷戦が終結した現在、もはやこのような理屈は通じなくなるはず。「ビンの蓋」である日米安保は除去されなくてはならない。ただし、韓国の人からは、日本の国民が日米安保からの離脱をめざす上で、アジアにおける安全保障観の確立がないと、アジアの人は安保離脱を承認しづらいとの指摘もある。そうでないと自立した日本の軍国主義の復活を許すだけになってしまうからだ。
 その際に重要になるのが、憲法九条の理念である「武力によらない平和」を徹底して、米軍基地、日米安保からの離脱を求めていく運動が重要だと言うことだ。
 今や普天間基地問題一つとっても、アジア情勢との関係は切り離せない関係になってきた。今年5月に鳩山前首相が、県内移設の日米合意を決めた際の大きなきっかけは、韓国の哨戒鑑を北朝鮮が沈没させたという報告の発表だった。今やアジアからの視点を抜きに基地問題も解決できない情勢になっている。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

第54回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2010年7月19日(月・海の日)
場所 あくろす3階 「研修室3」
報告

 調布「憲法ひろば」は7月19日、第54回例会を開催。猛暑と三連休という悪条件にもかかわらず、定員を超える35人の参加者で会場は溢れました。はじめに紙芝居を見せていただき、続いて川上弁護士のお話を聞きましたが、紙芝居の主人公の元中国人「慰安婦」侯功蓮さんの補償裁判を担当されたのが偶然にも川上さんだったということで、会場は一瞬どよめきました。

《紙芝居 「慰安婦」にされた少女たち》
 『戦時性暴力被害者「慰安婦」にされた少女たち』と題して紙芝居を演じたのは作者の後藤ひろみさん。絵を描いた古川ひろしさん(「ひろば」世話人)もあいさつしました。
 13歳で拉致され、性暴力の犠牲になった少女=侯功蓮さんの生涯を通しての生々しい証言が座を圧倒しました。・・・彼女の父は抗日派の村長でした。ある日襲ってきた日本軍に父もろとも捕らえられ、功蓮さんは日本軍駐屯地のヤオドン(黄土高原の河岸段丘に作られた横穴式住居)に監禁されて、連日何人もの兵士に強姦されました。母が全財産を売り払いお金を払ってやっと家に戻されましたが一年も寝たきりでした。71歳で亡くなるまで、当時のことを思い出すと痙攣が止まらないなど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ続けました。たくさんの少女たちがこのような運命を背負わされたのです。

《川上詩朗さんのお話し》
 中国人戦争被害者訴訟弁護団副幹事長を勤める川上弁護士(左写真、国領町在住)のお話の概要をご紹介します。

《10件の裁判はすべて敗訴!》
 1991年に韓国の被害者が初めて名乗り出てから日本国に謝罪と補償を求める裁判が始まりましたが、これまでの10件の裁判はすべて最高裁で敗訴しています。川上さんは1996年に弁護士になった当初から戦後補償の問題を手がけ、「慰安婦」問題は主に中国人犠牲者に関わりました。国の言い分は、サンフランシスコ条約で交戦国は賠償請求権を放棄しており、この条約に加わらなかった中国もその後の日中共同声明でこれを認めている、また、被害者が求める謝罪や賠償は「河野談話」や「アジア女性基金」で実行済みである、などです。

《高まる国際世論》

 にも関わらず国連の度々の調査報告や勧告、また2007年の米下院決議に始まり、数カ国で、日本にこの問題の解決を迫る決議が出されているのはなぜか。首相が「強制はなかった」と発言したり、「アジア女性基金」は民間の募金によるものだったり、「河野談話」の誠実な実行とはいえないからでしょう。国内でもすでに30の自治体議会が、国への意見書を決議しています。

《「慰安婦」支援活動の意味》

 被害者がいる以上、その救済が第一の課題ですが、この問題は何よりも、戦場で非人間化される兵士の人権も含め、人権の尊重される社会を目指す重要な足がかりです。また、取り組みの中で、国境を越えた市民の信頼と連帯が生まれていることも大きな収穫です。裁判だけでなく、支援団体の女性たちが、中国や韓国など現地に度々足を運んで、傷ついた被害者たちに寄り添い、その尊厳を取り戻すために、献身的な活動をしていることを申し添えておきます。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

町田南地域九条の会 第19回学習討論会
日時 2010年6月27日(日)
場所 南市民センター 第1会議室 
報告  いま、改めて、日米安保条約に関心が高まっています。
 「9条で本当に平和を守ることができるのか」「北朝鮮や中国は脅威ではないのか」「普天間問題でも抑止力ということがいわれているが」等々の疑問や心配する声が聞かれます。
 そこで、町田南地域九条の会の19回目となる学習討論会のテーマは「安保条約は日本を守るのか」。講師にお願いしたのは関東学院大学教授でマスメディアに詳しい丸山重威さん。著書に「新聞は憲法を捨てていいのか」(新日本出版社)などがあります。

《将来見据えた日本の国造りを》
 講義のスタートは丸山さんお得意のメディア論で、「日本のメディアは米国の掌(てのひら)で踊っていた」として、安保条約の本質は米国の世界戦略にあり、日本の平和を守ることが目的であるかのような見方や報道は一面的だと述べました。
 そして、安保条約の締結から現在に至るまでを詳しく解説した後、世界が米国の一極支配から抜け出している状況のもとで、9条を生かし、少なくとも30年後という将来を見据えた独自の外交と国造りをしなければならないと結びました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

昭島 美堀町・九条の会 映画と講演
日時 2010年6月26日(土)
場所 掘向会館2階
報告

 6月26日(土) 掘向会館で美堀町・九条の会「映画と講演の集い」を開催しました。

《心に杭は打たれない》
 星紀市さん監督・制作のDVD「砂川の熱い日」を参加者全員で見ました。闘いの実写と当時の関係者へのインタヴューで構成されていて、興味深い映像記録でした。
 お話しは島田清作さんです。参加者が20名の小規模な集まりでしたので、島田さんは参加者に映像の感想を聞きながら、話を進めてくださり、なごやかでさわやかな集まりになりました。

 美堀町・九条の会では今秋にフィールド・ウォーク第2弾を実施する予定です。返還された立川基地がその後どのような変容を遂げたのか、基地の撤去は住民にとってどのようなメリットがあったのか、実証的な検証のツアーを企画する予定です。後日詳細が決まり次第お知らせいたします。多くのみなさんのご参加をお待ちいたしております。

お問合せ 9条の会・あきしま (美堀町・九条の会のページがあります)

 

第53回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2010年6月13日(日)
場所 たづくり9階「研修室」
報告

 NPT(核不拡散条約)再検討会議(5月、於ニューヨーク)への要請行動に調布から8人参加しましたが、調布「憲法ひろば」はその報告を聞こうと6月13日、第53回例会を開催。25人で多彩な報告を交歓しました。エンディングで全員合唱した「歩いて行こう」が心に残りました。

《調布からの参加者がたしかめてきたNPT会議の到達点ふみしめて》

*5年後に向けてさらに運動を広げよう 古川博資さん*
 冒頭、古川ひろしさんが「今回のNPT再検討会議の成果と課題」について発言。「1000年前から武器を捨て世界に平和を発信してきた『イロコイ連邦』のあるニューヨークで会議が開かれたこと」への感動を語った古川さんは、「8人は平和の戦士となって帰ってきた。日本での原水禁運動の長い闘いが今実り、185カ国の討論で10年前のNPTの核保有国が時間を区切って核兵器を廃絶する約束を再確認する最終文書が全会一致で採択された。日本でも沖縄と連帯した平和を発信し、5年後に向けて運動を広げよう。調布からの8人の戦士に導きを受けながら進んでいこう」と結びました。

*核廃絶へ♪ 歩いて行こう♪ 大熊 啓さん*
 自由の女神像を後ろにして「グランド・ゼロ」に向かって「ねがい」を献奏したバッテリーパークでの活動を皮切りに、NPT開会総会場で、セントラルパークで、タイムズスクエアで、和太鼓を響かせ、歌い、反核署名を訴えた調狛合唱団とうたごえ代表団の行動を、プロジェクタ付きのトークで報告したのは「歩いて行こう」を作詞・作曲した大熊啓さん。ことばの壁を越えて平和を誓い合った感動を語りました。

*平和な歌を響かせて 小此木千代子さん*
 年金者組合から参加した小此木千代子さん。「『うたごえ行動』に加わって草の根運動の意味の大きさを感じました」、「平和だから歌うことができた」「核兵器という最大の暴力を世界に訴えたい」と、明るい笑顔を輝かせました。

*署名の力を実感 田中 俊さん・石垣正人さん・鈴木勝雄さん*
 調布・狛江で集めた4015筆の署名を携えて、20歳から82歳までの広い年齢層7人で全国111人の日本のうたごえ代表に加わった調狛合唱団。「歌とか音ってすごい!ぼくたちが出来ることはこういうことだなと感じた」と田中俊さん。「開会総会が行なわれたリバーサイド教会で、キング牧師の活動の場を体感。この人たちとなら手が繋げるなと納得した」と石垣正人さん。「若者たちと一緒に行動、文化って良いな!」と自らの文化活動人生を振り返るのは鈴木勝雄調狛合唱団長。「小さな国の人たちががんばって大国を動かしている、地元でコツコツと積み上げた一筆一筆が大きい」と結びました。

*被爆体験を語りついで 田邊俊三郎さん*
 5年前の要請団にも参加した調友会(調布市原爆被害者の会)の田邊俊三郎さんは、今回は85歳での参加。前回と比べ、どこでも「会場満杯、オバマ大統領の鶴の一声のせいか、世界中の国々の核に対する理解の深まったこと」を嬉しく実感しましたと、被爆体験を訴え大きな反響を得た現地での活動を報告しました。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

9条の会・あきしま 「砂川の闘いに学ぶ 九条と安保条約=米軍基地」
日時 2010年5月22日(土)
場所 昭島市公民館 小ホール
報告

 5月22日(土)、九条の会・あきしま主催の映画と講演の集いが、昭島市公民館の小ホールで開催されました。

《103名の市民が参加、米軍基地はいらないという思いをあらたに!!》
 第一部は映画『流血の記録 砂川』。亀井文夫監督の制作で、農民・労働者・学生たちの、農地を守り基地の拡張は許さないという熱い思いが、50年余り経過した今日でも新鮮に伝わるような、迫力のある作品でした。貴重な映画の上映に尽力してくださった島田さんに感謝いたします。
    
《いま、砂川闘争から学ぶこと》
 第二部は島田清作さんを講師に『砂川の闘いの今日的な意義』と題した講演。砂川の闘争の持つ意味として、島田さんは4点を指摘しました。

(1) 国家と対決して住民の生活と地方自治を守る運動であった。
(2) 自由と権利を自らの努力で保持するという 憲法12条の実践であった。
(3) 戦争のための軍事基地か豊かな生活のための農地かの選択であり、
  日米安保条約か非戦非武装の憲法かの選択であった。
(4) 砂川闘争は大衆的な実力闘争と法廷闘争の結合、あらゆる階層の人々の
  共同行動という面でも特筆すべきものであった。

 島田さんは、「伊達判決のとおり、軍事同盟である日米軍事同盟は憲法違反であり、米軍駐留は憲法上許されない。横田や沖縄、そのほか全ての米軍基地の撤去を求める。この思い、この運動を広めていくことが砂川闘争から学ぶことではないでしょうか」と結びました。

お問合せ 9条の会・あきしま

 

第5回 憲法フェスタ in 府中
日時 2010年5月9日(日)
場所 府中グリーンプラザけやきホール
報告

5月9日に開催された「憲法フェスタ in 府中」は会場ほぼ満員の470人が参加しました。

《会場一体となった文化行事》
 笛や尺八、太鼓など、日本でも珍しい「笛のオーケストラ」で開幕。農工大などの青年の司会で、実行委員長の北村さんの開会挨拶。普天間問題大集会での高校生の挨拶を紹介し、基地を撤去し、平和を守る大切さを訴えました。
 続いて全国トップクラスの府中西高合唱部のすばらしいハーモニー。鮮やかな色彩で観客を魅了した合唱団白樺舞踊班のロシア舞踊「赤いサラファン」。文化行事の最後はおなじみのけやき混声合唱団。会場と一体になった「ねがい」の合唱で楽しく締めくくりました。

《大きな感動を呼んだ品川正治さんの講演》
 第二部は経済同友会終身幹事の品川正治さんの記念講演「9条がつくる21世紀の日本のかたち」。ご自身の旧制高校生活、三好達治との出会い、学徒出陣で中国での九死に一生を得た激しい戦闘などの戦争体験や引き上げ船での日本国憲法草案と出会い、みんなで感激し、泣いた経験を話されました。
 「戦争は天災ではない。戦争を起こすのも人間。それを許さないのも人間」「安保条約などはすべて国家の目で戦争を見ている。日本は9条を60年間守ってきたため、戦争を人間の目で見る憲法になった。」ことを述べられました。
 その後、アメリカ型のグローバル経済から日本の進むべき「人間のための経済」へも言及され、また、これだけは府中の人たちに伝えたいと気迫ある品川さんのお話により講演時間が大幅に伸びたにも関わらず、観客は熱心に聞き入りました。終了時には万雷の拍手が長く続き、大きな感動を呼びました。
 フェスタの最後は「平和のちかい」を会場全体の拍手で確認し、興奮のうちに終了しました。品川さんのサインセールには長い列ができ、用意した書籍は完売しました。

お問合せ 平和のつどい実行委員会 Tel 042-333-7744

 

第52回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2010年4月17日(土)
場所 あくろす「研修室3」
報告

 4月17日午後、「あくろす研修室」で開いた4月例会には20人が参加。冒頭で本会世話人の笹本潤弁護士から「NPT(核不拡散条約)再検討会議の意味」について報告をいただき、これを糸口に討論しました。

《NPT(核不拡散条約)再検討会議を考える》 〜笹本さんが報告し強調したこと
【1】NPT(核不拡散条約)とは何か、【2】今回のNPT再検討会議では何が行われるのか、【3】核軍縮の機運を高めた昨年4月5日のオバマ大統領の演説の内容、【4】日豪政府とそれに協力したNGOの協力で2008年に結成され、09年に報告書が出された核不拡散・軍縮国際委員会(ICNND)の動き、【5】本年4月6日にアメリカが出した核態勢見直し文書(NPR)には何が書かれているか、【6】それをふまえていま世界と日本に何が求められているか、についてであった。

 その中で笹本さんは、世界と日本の核軍縮の現状とその中でのNPT再検討会議の意味を解説しながら、次のような点を強調された。
 【1】NPT核不拡散条約は1968年に締結、日本も70年に署名、締結国は190か国、脱退は北朝鮮、未署名はインド、イスラエル、パキスタンの3国。核兵器保有国の独占体制ではないかとの批判もあるが、現実的な核軍縮の枠組みでもある、【2】2000年から5年ごとに再検討会議が開かれているが、前回(05年)は最終合意ができなかったので今回の意義が高い、【3】日本政府はまだ核の傘への依存から脱しきれないでいる。それは核の「抑止力」に依っているからで、そこから、「武力によらない平和」(九条の考え方)に転換させることが重要、【4】そのためには日本が世界の先頭に立って世論を形成することが必要。50年に日本から発信し、世界で5億人署名を集めたことを背景としたストックホルムアピールは軍縮運動の大きな力となっている。

《調布からニューヨークに行くメンバーを囲んで熱心に討論》
 質疑応答や意見では、「アメリカの核の傘に入っていて、日本も核保有国ではないか」「密約問題が出てきて以来、政府に非核三原則を守らせる運動や議会決議が各地でひろがっている。その動きを強める必要があるのではないか」「日本の原発での廃棄物がフランスで処理され、また日本に持ち込まれているというような情報が報じられていないのは問題だ」「甲州街道を日常的に核廃棄物が運ばれているという問題もある」「各自治体で出来る神戸方式(非核の証明のない船舶を入港させない)は広めることができるのではないか」「フィリピンでは核兵器をなくすことを憲法に書き入れたし、ミクロネシアやカザフスタンでは核持ち込みを禁止した」「オーストラリア、フィジー、キリバスなど南太平洋非核地帯条約(ラトンガ条約)があるのだから、北東アジアにもできないはずはない」など活発な意見が出された。

《ニューヨーク行き拍手で送り出す》
 最後にニューヨークでの再検討会議に要請に行く田中俊くん、小此木千代子さん、向原吉子さんが決意を騙り、田邊俊三郎さんも資料を寄せ、一同が拍手で激励し送り出した。要請には調布から8人が参加する予定。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

あきる野9条の会 学習会 
日時 2010年4月11日(日)
場所 あきる野市中央公民館音楽室
報告

 あきる野9条の会は4月11日、韓国併合100年と「坂の上の雲」をテーマにあきる野市中央公民館で学習会を行い、54名が参加しました。

《作者が拒んだ映像化 「坂の上の雲」》
 講演した梅田欽治さん(宇都宮大学名誉教授)は「日本は日露戦争と平行して韓国併合を強制してきた。これに反対する韓国人民の抵抗闘争を武力で弾圧した。日露戦争に勝利により、日本国民のなかにナショナリズムが高揚したが、併合に反対するものもいた。大逆事件などでは恐怖政治をつくり出した。日本の敗戦によりポツダム宣言で朝鮮は日本の植民地から解放されたが、日本が自ら行ったのではないことに重い問題がある」と話しました。
 「坂の上の雲」に関して司馬遼太郎自身が映像化を許さなかったことあげ、「歴史書と異なり小説は作者のフィクションが入る。視聴者はこのことを念頭に入れてみることが必要だ。作者は日露戦争を祖国防衛戦争と規定していることが問題点であるが、最終章が『雨の坂』となっていることは、作者の意図がおのずから変化したのではないか」と述べた。
 参加者から「17年に朝鮮で生まれたが、母のお乳の出が悪く現地の人にもらって育ったが、父がそのことを知って母を怒ったと、父の死後母から聞いた。日本政府が朝鮮人を日常的にも卑下するように仕向けてきたからと思った」と発言がありました。

お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

町田南地域九条の会 第18回学習討論会
日時 2010年3月28日(日)
場所 南市民センター 第2会議室 
報告  3月28日の日曜日、町田南地域九条の会代表の四位直毅(なおたけ)さんの講演と討論集会が、南市民センター第2会議室で催されました。テーマは、「内外情勢の特徴と日本国憲法」でした。

《いま、世界が、日本が、大きく変わろうとしている》
 アメリカではオバマ大統領が誕生。日本では戦後ほとんど政権を握っていた自民党が大敗。民主党を中心とした連立鳩山政権が誕生しました。
 一瞬にして世界が変わったような感じの中で、日本は今後どう進むのか、9条は守れるのか大変気になっているその時、タイミング良いテーマで四位さんのお話を聞くことができました。

 第一として内外情勢の解説がありました。国内では政権が変わっても引き続きさまざまな問題があり、これにどう対処し、そして国民はどう見ているのか。日米関係、普天間基地、核密約、参院選の課題など。
 海外ではオバマ政権やリーマンショック後の今後について。さらに、ドル基軸のゆらぎ、G8からG20、そして192(国連全加盟国)にパワーアップしてきた原動力は何か。中国、インド、ブラジルなどのパワーは何か、など。
 第二は、9条・25条の生い立ちと、これに関する問題について話されました。

《積極的な討論で議論を深め》
 講演は約1時間半、残りの1時間半は参加者の積極的な質疑討論でした。

 最後に四位さんは、クーデターに明け暮れたラテンアメリカ諸国が、その都度選挙を繰り返しながら、主権在民の平和な国造りを目ざしていること。日本と同じく、軍隊を持たない国の出現など、新しい風が吹き始めていること。しかし、逆風が吹くこともあり、これにはたえず監視の目を光らせる必要があることなどを強調し、力強い学習会は終了しました。

 予想だにしなかった黒人大統領の誕生など、世界が、アメリカが、そして、日本も大きく変わろうとしています。
 世界に冠たる憲法9条を守り通し、平和のリーダーシップを発揮しなければならないと思いました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第51回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2010年2月27日(土)
場所 たづくり10階「1002会議室」
報告  調布「憲法ひろば」は2月27日夕、たづくり10階1002会議室で「比例定数削減と国会改革のねらうもの・・・民意不在の強権政治」と題して第51回例会を開催しました。雨と、会場がいつもとは違ったことが災いしてか、参加者15人という寂しさ。憲法で保証された主権を行使するほとんど唯一の機会である選挙に関わるテーマであっただけに、残念でした。多岐にわたり熱弁を振るわれた田中隆さん(弁護士、自由法曹団)のお話をごくかいつまんでご紹介すると・・・

≪なにをねらう比例削減・国会改革≫

《4割台の得票率で圧勝》
 昨年8月30日の衆院選で、民主党は議席の64%強、308議席を得て「圧勝」したが、得票率をみると小選挙区でも比例区でも4割台。とくに小選挙区では47・43%の得票率で議席定数の73・6%を獲得している。そして民主党は比例区定員の80名削減をマニフェストに掲げ、早速実行に移そうとしている。実現すれば、同じ得票率でも議席は68・5%になり、衆議院で単独3分の2を超える。これで法案が参院で否決されても再可決できることになり、民主党の提出する法案はすべて成立する可能性が確保される上、憲法改正の発議へ向かって、大きな一歩を踏み出すことになる。

《小政党の抹殺》
 今でも小選挙区0議席、比例区でやっと9議席を得ている共産党はさらに苦戦を強いられて4議席になり、社民党は全ての議席を失う。民主・自民合わせて議席の92%を占めることになり、「二大政党」の思惑通りに政治が行われることになる。しかもこの「二大政党」は国民的支持を狙って必然的に同質のものとなる。

《「未完の改革」の完成へ》
 そもそも民主党が提起している国会改革は80年代の中曽根行政改革に始まる一連の改革、すなわち新自由主義の導入と海外派兵のための明文改憲を完遂しようとするもの(下資料参照)だ。官僚の国会答弁を封じることで野党は問題点を具体的に追及できなくなり、曲りなりにも解釈改憲に歯止めをかけてきた内閣法制局の牽制もなくなる。おまけに議員立法も制限されるとあっては、国会は政府が出す法案を承認するだけのものとなる。

《マニフェストの欺瞞性》
 政権交代のためには、自民党政権の残した、構造改革による生活破壊と対米従属への国民の苛立ちに乗ずるしかなかった。そのためマニフェストには「コンクリートより人を」とか「アメリカとの対等な関係」とか、魅力的な言葉が並んだ。しかし政権獲得半年にして、これらの公約は次々と裏切られ、民主党独裁を目指す選挙制変更と国会改革ばかりが急がれている。

《「正当に選挙された国会」とは》
 多くの死票を生み、民意を反映しない小選挙区制は正に憲法に違反している。OECD29カ国中、小選挙区制を採用しているのは7カ国。その中イギリスではその是非を問う国民投票が来年行われることになった。最も正確に民意を反映する完全比例代表制こそが、憲法に謳われた「国民主権」の基礎なのだ。

■レジメ資料より■
 第8次選挙制度審議会答申(1990年7月31日)の前文・冒頭に「今日、わが国は、山積する国内的諸問題の解決を迫られており、また国際的にも、世界の平和と繁栄のための積極的貢献を求められている」とある。政治改革は構造改革・海外派兵そして明文改憲の序曲であった。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

町田 映画「嗚呼満蒙開拓団」上映会
日時 2010年2月26日(金) 14時〜
場所 南市民センターホール
報告  2月26日、南市民センターのホールで映画「嗚呼満蒙開拓団」が上映されました。主催は九条の会金森と町田南地域九条の会による南地区上映実行委員会。ホールには上映開始の1時間前から来た人もいて、午後2時の上映開始時には100名を超える人たちで席が埋まりました。

《涙が出た「嗚呼満蒙開拓団」》
 映画は演出した羽田澄子さんがインタビュアーとナレーター役を務め、満蒙開拓団として旧満州に渡った人々や、帰国できなかった開拓団の子どもを引き取った中国の養父やその家族の当時と現在の姿に焦点をあて、戦争の悲惨さを、そして、敵味方の関係にあっても、日中双方の人々の間で生まれた人間愛を映し出していました。
 映画を見終わった後、開拓団の実際の姿をはじめて知って、「涙が出た」「戦争は駄目ということをあらためて思い知らされた」などの感想が参加者の多くから出されました。
 また、小学生を持つお母さんたちの希望で22日にも特別上映会が行われ、9時50分から正午までの時間帯に10名が参加して映画を観賞しました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

立川9条の会 2月例会
日時 20010年2月19日(金)
場所 柴崎学習館(中央公民館)
報告  2月は、学習講演会を行いました。講師は、「『坂の上の雲』と司馬史観」の近著を著した中村政則さん(一橋大学名誉教授)。62名もの参加者で会場は満杯になりました。司馬ファンも多かったのでしょうか、関心の高さを感じた学習講演会でした。

《NHKドラマ「坂の上の雲」の意図するもの》
 「坂の上の雲」は、昨年11月末からNHKで特別大河ドラマが放映されています。膨大な予算を使い、豪華俳優を揃えて海外、国内の各地ロケを使って話題を集めました。NHKが総力をあげて、3年間にわたり年末を使って13回放映という大河ドラマの常識を破る企画を組み、制作した意図は何だったのか。ミリタリズムを鼓舞するものではないか。韓国併合100年の今年、朝鮮侵略の事実を書かない原作をさらに増幅する映像化ではないか、などの懸念があります。
 そういう観点から、キャンペーンの狙いを解明したいというのが主催者が企図したテーマでしたが、講演の大半は、歴史学の立場と歴史小説の違いについて、および、日清・日露戦争の戦術、戦略とは何だったのか、が占めるものとなりました。明治期の歴史を知らない参加者にとっては、難しい講演内容であったかと思われます。講師の著書も参考にしながら、考えるポイントをまとめました。

*企画意図は?*
 NHKディレクターが企画の意図を大要次のように話している。「『坂の上の雲』は、明治の国民が少年のような希望を持って国の近代化に取り組み、日露戦争を闘って勝った。一方、今日の青年は閉塞感を持ち、夢がない。生き生きと描かれている明治の青年像を知り、日本がこれから向かうべき道を考えるうえでのヒントを与えたい」と。
 国民とくに青年をとりまく環境は明治とバブル崩壊後の今とは様変わりとなっていて、とても夢を与え得ることはできない。それどころか、史実を知らない国民、青年のなかに誤った歴史観を広げる恐れがあり、そこに映像化および大キャンペーンの狙いがある。司馬のいい加減な歴史資料の扱い方で国民の歴史意識のあり方に大きな影響を与える可能性がある。
 司馬は「坂の上の雲」について、「事実に拘束されることが100パーセントにちかい」といっている。が、歴史学と違って資料・文献・日記・手紙などの典拠を示さないから、読む者は本当のことと思いこんでしまう。司馬が書けば、史実でないもの(過剰な思い込みを含めて)も読者に伝わりやすい。日清戦争は「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものでなく、受身であった」、日露戦争は「祖国防衛線だった」などと書けば多くの国民はそのように思い込む。テレビドラマはいっそう人をひきつけ、はかり知れない影響を日本社会にもたらすことになる。

*朝鮮侵略の事実を無視していいか*
 日清・日露戦争は朝鮮植民地化の戦争であった。日本は明治10年代から朝鮮支配を考えていて、日清戦争はロシアからの侵略を阻止するために朝鮮半島を支配する目的で起こし、わずか1年2ヶ月で日本軍圧勝で終わる。
 「坂の上の雲」は、その間の朝鮮農民などの抗日運動や日本の特命全権公使による閔妃(ミンピ、王妃)殺害などにはいっさい触れていない。

*そもそも、司馬は朝鮮を侮辱していた*
 日清戦争の原因は「朝鮮半島という地理的存在にある」つまりにほんとロシアの間にある朝鮮が悪いという。
 また、「自身の意思と力で運命を切り開く能力は皆無」だから他国の侵略・外圧によってしか体制を倒すことができなかった、など朝鮮人の主体性を無視して、侵略・植民地化を合理化している。

*司馬史観によって歴史教育をすすめる人たち*
 藤岡信勝、西尾幹二氏ら「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーは、「坂の上の雲」の評価でスタートしたということも知っておきたい。藤岡氏は司馬作品との出会いについて、「出会いがなかったら、戦後歴史教育の呪縛から抜け出すことは困難だった」と最大限の評価をし、「自由主義史観研究会」を発足させた。彼らは司馬史観によって歴史教育の授業改革を提唱し、運動しているのである。映像化を否定していた司馬の意志に反した映像化をNHKに強烈に働きかけ実行させたのも彼らと言われている。
お問合せ 立川九条の会 加藤 Tel 042-537-2217 

 

第50回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2010年1月30日(土)
場所 たづくり8階「映像シアター」
報告  安保条約改定から50年、東西冷戦の終結から20年。2010年を迎えて、「憲法ひろば」は1月30日午後、たづくり8階の映像シアターで、「新安保50年と鳩山内閣」と題して第50回目の例会を開催。市外からの参加者も含めて、54人が熱いひとときを過ごしました。

《新安保50年と鳩山内閣》
 安保条約も大きく変質し、日本の基地の意味も変わっている今日、米国との関係は今後どうすべきなのか?との立場から提起した私たちのテーマに沿って、東京新聞で防衛担当記者17年、自衛隊を軸に、日本と世界の在り方を見つめてきた半田滋記者は、なかでも今現に直面している沖縄の『普天間基地問題』に絞って多方面から話された。

《民主党政権になり何が変化したか》
 民主党政権は洋上補給活動をやめた。しかしこの活動は、初めは月に20回ほど行われたが最近はどんどん減って必要がなくなっていた。日本の給油はタダだから歓迎されていただけだ。
 民主党政権は海賊対処といわれているソマリア派遣についてはいち早く継続を表明した。しかし海賊対処は本来海上保安庁の仕事で、海賊船の横行したマラッカ海峡では近隣諸国と協力して成功した経験も持っている。どうしても自衛隊を海外派遣したいところは旧政権と変らない。変らないのは防衛力増強が続いていること。予算規模も大きくなっている。

《沖縄の米軍基地》
 沖縄にはなによりも嘉手納基地という特別の基地がある。沖縄返還の直後久保・カーチス協定で沖縄へ自衛隊が配備され、ホークミサイルやナイキミサイルで米軍基地を守っている。
 その後、1995年に女子小学生が暴行される事件が発生したが、米軍は日米地位協定に基づき起訴前の米兵の身柄引き渡しに応じなかった。沖縄県民の怒りは8万5千人の抗議集会に現された。このあと『沖縄における施設および区域に関する特別委員会』(SACO)が設置された。この機関は沖縄米軍基地の整理縮小を検討するものとされた。「普天間問題」はSACOの報告から始まっている。普天間の機能および能力を維持しつつ県内にと書かれている。そこから県民の失望と混迷が始まっている。

 *米海兵隊は17万人のうち1万2千人沖縄にいる。イラクやアフガンに殴りこむためで日本を守るためではない。
 *米軍は空軍の再編を勝手にやっている。
 *岩国への市庁舎建設費の不支給は筋違い。
 *自衛隊は高くていい兵器を沢山持っている。
 *沖縄辺野古のヘリコプターの環境アセスは旧型で。
 *率直に日本の主張をするべきだ。

 ・・・などなど多岐にわたったお話を伝えきれず残念だが、「米軍は日本に居たいだけで日本を守る気などない」ことを再三述べられたのが、印象的でした。米軍にとって居たくない日本にしなくては。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

立川9条の会 1月例会
日時 20010年1月15日(金)
場所 柴崎学習館(中央公民館)
報告  1月例会は、富永由紀子弁護士(三多摩法律事務所)から「旧日本軍の遺棄毒ガス事件〜今も残る戦争被害」と題してお話いただきました。

《今も続く戦争のつめ跡》
 中国のチチハル遺棄毒ガス事件の弁護士をされている富永さんは、12回の現地調査を踏まえて、旧日本軍が残した毒ガス兵器による被害の深刻さを訴えました。戦後65年も経つ今も戦争の被害が残り、続いている現実を知りました。早期に、かつ誠実な被害者救済と補償が行われることが求められます。
 また、富永さんは、旧日本軍の毒ガス兵器研究は、立川にあった航空技術研究所(跡地は現昭和記念公園)でも行われていたと指摘しました。昨年4月例会では、航空技術研究所の跡地周辺を訪ねるピースウオーキングを行ないましたが、跡地には何も残っていないのに、そこで研究開発された毒ガス兵器が、今も被害者を出し苦しめていることを知りました。
お問合せ 立川九条の会 加藤 Tel 042-537-2217 

 

三鷹9条の会 5周年記念講演会
日時 20009年12月11日(金)
場所 武蔵野公会堂大ホール
報告  三鷹9条の会は、発足5周年を記念して、12月11日、武蔵野公会堂で講演会をひらきました。テーマは、三鷹で晩年を過ごした太宰治生誕100年の年でもあり、「戦後日本の出発点と作家たち」〜太宰治と戦後文学〜としました。

《娘が語る太宰治》
 当日は、朝から雨が降りつづき肌寒い悪天候にもかかわらず会場いっぱいの聴衆で埋まりました。小森陽一さんの話術の魅力はもちろんのことですが、太宰治の娘の太田治子さんゲストで登場!というニュースが多くの人々の関心を呼んだことはまちがいありません。
 太田治子さんは、「私の父親でありますが、戦争に対する姿勢で言えば大変に残念であった。軍部に与した作家の一人であった」との話から、太宰治を中心に作家と戦争責任についてお話されました。
 小森さんは、ことし生誕100年を迎える5人の作家、『山月記』の著者中島敦、『俘虜記』の大岡昇平、『死霊』の埴谷雄高、松本清張、最後に太宰治についてお話されました。

 企画内容が多くの人の関心にピッタリかみあったこと、太田治子さん登場というサプライズ、そして主催者側の努力が重なり合っての成功でした。参加者の感想もすばらしい感動でいっぱいです。
お問合せ 三鷹9条の会

 

第49回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年12月11日(金)
場所 たづくり「くすのきホール」
報告  調布「憲法ひろば」は12月11日夕、たづくり「くすのきホール」で、「発足5周年のつどい」(第49回例会)を開催。冷たい雨が強く降るあいにくのお天気で、来られなかった方も多くおられ、160人の参加でした。島筒英夫さんのピアノと語り、池田香代子さんの講演。どちらもすばらしかっただけに残念でした。

《発足5周年を記念して新たな思い》
 冒頭で調布「憲法ひろば」の世話人を代表して大野哲夫さんがあいさつ。5年間の活動を振り返り、「ひろば」にいっそうの幅と広がりを、と呼びかけました。
 島筒さんの演奏は、ショパンのワルツ第3番、「世界がもしも100人の村だったら」の弾き語り。そして、突然のアンコールのお願いに、「さよならぼくたちのほいくえん・ようちえん」を弾き語りしてくださいました。池田さんが講演の初めに、「人を幸せにできる人が幸せなのだと思っているけれど、そういう意味で島筒さんはとっても幸せな人だと思う」とおっしゃった通り、あたたかい音色と語り口になんとも幸せな気持ちにさせていただいたひと時でした。
 
《「100人の村」から憲法が見えた》
 池田香代子さんの講演の内容は盛りだくさん。講演の根っこにあることを2つだけ言うと、「私たちは無力ではない。微力なのだ。微力は、足していけばすごいことになるんだ。」ということであり、憲法には勤労・教育・納税という三大義務があるというけれど、あるのは「私の権利が侵害されていることがわかったら、どんどん言っていく」その義務だけなのではないか、ということだったと思います。そして今、沖縄の問題が剣が峰にさしかかっていること。沖縄の問題をどうするかは私たちの戦後民主主義が本物かどうかが問われることになることを強調されていました。
 「もしも世界が100人の村だったら」・・・100人では切り捨てざるを得なかったことを中心に語られました。特に、この話のもとになった「1000人村」エッセーを書いた環境学者のドメラさんが一番の問題として考えていたのは核戦争のことだった、と。現在、二万何千発、いや三万発以上、というふうに、核兵器の数は確定できない状態にあり、あそこに何発隠されているらしいと脅かされ続けていくことになる、と強調されました。そして、アート作家の橋本公(いさお)さんのDVDを皆で観て、ジョン・バエズの歌うイマジンを聴きました。おもちゃのビー玉が、今の核兵器の数だけ落ちてくる、という映像です。とてもビビッドに映像が訴えかけてくるけれども、実は今の核兵器は、かつての広島長崎に落とされた核兵器の何百倍もの威力があると言われているから、この数の何百倍ということになるのだ、ということを付け加えられました。
 イラク派兵違憲訴訟判決で勝訴したことも、喜んでいる場合ではない、これをどう活かすか、というボールは私たちの手にあると強調されました。池田さんは今、イラク戦争検証の第三者委員会を立ち上げることを国会に働きかけておられます。私たちもまた一人ひとりがまさに主権者として、沖縄をどう感じ、どう考え、どう行動するのか。そして、日々「微力」を果たし「微力」をつなげていく努力をしなければ、と思ったことでした。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

福生市民九条の会 憲法学習会
日時 20009年12月6日(日) 
場所 福生市民会館(公民館本館) 第4・第5集会室(3階)
報告  09年12月6日、坂本修弁護士を招いて学習会を行いました。
 選挙で政権交代した民主党政権に対する国民の期待が、まだ高かった時期でしたが、坂本先生は、この政権が進める憲法改悪の計画について、鋭く指摘し、深い分析とユーモアを交えてお話ししてくださいました。その概要をお伝えします。

《自公政権下の改憲策動》
 「明文改憲策動」は、戦後一貫して水面下で続いていましたが、「平和憲法を守ろう」という国民世論の前に、時の政府が「改憲」を打ち出すことはできませんでした。
 しかし、小泉内閣が「規制緩和・構造改革」で国民生活を破壊した後に登場した安倍内閣が、04年ついに改憲宣言をしました。「日米同盟は血の同盟でなければならない」「戦後レジームの解体」「憲法9条は解体すべきレジームの最たるもの」と公言して、強引に国民投票法(改憲手続き法)を作り、改憲を参院選の公約のトップに掲げたのです。 これに対して、04年6月、9人の知識人が憲法を守る「九条の会」の運動を全国民に呼びかけました。それは野火のように全国津々浦々8000カ所に広がりました。その結果、国民は参院選挙で自民党に「歴史的敗北」を与えました。
 政権たらい回しで登場した福田内閣はこれに教訓を得て、当時の民主党党首小沢一郎と「自民・民主大連立」を密かに談合しましたが、これも国民の批判を受けて失敗しました。
 このように、本当に何度も危なかった「日本国憲法」でしたが、激しいせめぎ合いの中で何とか今日まで守ってくることができました。

《民主党政権下の新たな危険》
 09年、深刻な国民生活の現状を「政権交代」で変えようと、国民の期待を受けて登場した民主党を中心とする連立政権でしたが、多くの公約違反や、企業・団体・親からの不正な政治資金が明るみに出て、これでは自公政権と何ら変わらないと、国民の失望をかっています。
 「改憲策動」でも、民主党は危険な計画を進めています。それは、「財政の無駄を省く」という口実で衆議院議員定数を減らす、しかも、比例定数部分を80議席減らすというのです。480議席の内、180しかない比例定数を100議席に減らしてしまうと、小選挙区定数の比重が高まり、第1党が今よりもっと議席占有率を不当に高くすることができるのです。
 この狙いは、明確に「明文改憲」です。民主党がこうして国会で2/3以上の議席を占めて、改憲を発議しようとしているのです。しかし、過半数を超える「憲法9条を守ろう」という護憲の世論を黙らせて改憲するには、この世論を代表する政党(今のところ共産党や社民党)を国会から排除し、国民投票法の具体化を静かにスムーズに進める事が必要です。国会に「憲法9条を守ろう」という声が届かなくするのです。
 ここに、衆議院議員比例定数削減の真の狙いがあります。

《改憲勢力の矛盾》
 民主党にも矛盾があります。一つは、もともと自民・公明・民主の3党共同提案で企てられた国民投票法ですが、「九条の会」を中心とする国民の批判が高まる中で、民主党が動揺し離脱した経過があることです。民主党がこれまで反対してきた法案をそのままにして、憲法審査会を立ち上げることは矛盾です。
 もう一つは、衆議院議員比例定数削減が自民・公明にとっても打撃になる可能性が大きく、改憲勢力も決して一枚岩ではいられないのです。
 そして何よりも、衆議院議員比例定数削減が民意を反映しない制度、議会制民主主義破壊の選挙制度であることが広く国民に伝われば、たちまち国民の支持を大きく失う危険性があるということです。

《発展する憲法闘争に”光”》
 私たちはどうすればいいのか。
 まず、情勢の重大さをしっかり受け止めることです。そして、勝利の条件が目の前にあることに確信を持つことです。
 その上で、国民投票法の凍結・廃止を求めて運動を広げましょう。
 どんな解釈改憲も立法改憲も許さない闘いを強めましょう。
 憲法審査会を発動させない、国会法改正を許さない、衆議院議員比例定数削減反対の一致点で共同して運動を広げましょう。
 政権交代で大きく動き出した情勢をチャンスにし、知恵と力を合わせ、せめぎ合いに勝利しましょう。生き甲斐のある時代の主人公として、ともに生きることを願いつつ。
お問合せ 福生市民九条の会 長田 Tel 042-522-7137

 

町田南地域九条の会 第5回総会
日時 2009年11月29日(日)
場所 南市民センター 第2会議室 
報告  11月29日の日曜日、南市民センターで町田南地域九条の会の第5回総会が開かれました。

《学び行動して九条守る 中里龍夫さんが講演》
 第1部は、中里龍夫さんが講演しました。中里さんは会の世話人であり、相模原市平和委員会の代表を務めています。この日は「米軍再編と相模原・座間の基地」と題し、米軍再編のねらいとその実態、相模原・座間住民の闘いについて、ユーモアを交えながらの詳しい話がありました。
 米軍は陸軍第1軍団司令部の機能の一部をキャンプ座間に移すと共に、相模原の総合補給廠内に戦闘訓練センターを作っています。また、キャンプ座間には、陸上自衛隊即応集団の司令部を移転させようとし、米軍と一体になった作戦行動を展開するための連携を図っています。キャンプ座間を抱える相模原市と座間市は、米軍再編が基地の恒久化につながると市をあげて反対してきました。前の相模原市長は「だまっていると百年先でも基地の町になる」「たとえ戦車にひき殺されても反対する」といい、同じく前の座間市長も「ミサイルが打ち込まれても反対」と、公用車に第1軍団司令部移転反対のステッカーを貼って走り回っていました。
 町田市は両市に隣接している地域で、これまでも米軍機の墜落事故があったところです。参加者は「本当に人ごとでない」と話していました。

《新たな改憲の動きに警戒》
 総会はこの1年で、9条を守る取り組みが前進したことを確認しました。九条の会は全国で7500を超え、草の根の活動は9条改憲反対の国民世論に反映しています。しかし、9条を変えようとする側は、まだあきらめた訳ではありません。政府がかわっても、改憲の動きはやまることなく、明文・解釈の両方で改憲をねらっています。鳩山首相や平野官房長官が、政治主導で憲法解釈を変更させる可能性について述べたのも、そうした現れの一つです。
 これまで以上に学習し、9条を守り広げていこうと誓い合いました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第48回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年11月14日(土)
場所 あくろす2階「会議室」
報告  調布「憲法ひろば」は、11月14日午後、あくろす2階「第1会議室」で、第48回例会を開催。今回の発題者は岩本努さん(教育史研究者・調布「憲法ひろば」世話人・大学講師)、司会は大野哲夫さん。参加27人、初めての方が多かったのは嬉しいことでした。(石川康子・記)

《日本における「一等国意識」はいかに形成されたか?》
 岩本さんがこのテーマを選んだのは、「坂の上の雲」よりむしろ、同じNHKが日本の台湾支配について作った「アジアの一等国」という番組の標題に触発されてのことだそうですが、レジュメに沿って膨大な資料を全部使いきってのお話は、聴き応え満点でした。

《「一等国」という言葉》
 これは西周が訳したフィセリング著『萬国公法』に登場する。世界の国々を三等級にわけ、一等国とは「ソノ勢力強大ナルニ依ッテ・・事勢ノ向背ヲ定ムルニ足ル」諸国で、英・仏・露・プロシャ・オーストリアが挙げてある。「他国ニ制セラル」もやむを得ないのが三等国。黒船で突然世界の存在に目を開いた日本は、なんとしても一等国に這い上がろうとがんばった。そのためには「三等国」の群れているアジアとのつながりを断ち、「西洋の文明国と進退を共にする」にしくはない、と説いたのが福沢諭吉の「脱亜入欧」論だった。

《学校教育の役割》

 こういう意識の普及に大きな力を発揮したのはなんといっても学校教育。教科書はすべての子どもの目にふれる唯一の書物である。明治14年から小学校では外国史は教えられなくなった。その理由を喜田貞吉は「我々は2500余年来引き続いて変わらぬ皇室の臣民である。君臣の関係は天壊無窮、親子の関係の如く切っても切れぬものである。かかる国体のもとに生まれた我々は非常に幸福な非常に名誉なことである」と、まず頭から叩き込むことが大切で、革命や社会主義などが出てくる他国のことは知らせるべきではないと述べている。
 さらに三大節、ご真影を収めた奉安殿への敬礼などの儀式・儀礼の強制によって、国体意識は体からも叩き込まれた。

《国定教科書の変遷》

 教科書が国定になったのは1904年からで、修身、国史、地理、読み方(国語)が重点科目としてまず取り上げられ、次いで理科・算数・音楽も国定となった。1910、18、33、41年の4回改訂されているが、それぞれ大きな歴史的事件に対応して内容や書きかたも変わっている。例えば昭和15年版の国史で、日露戦争の勝利で一大強国となり、「欧米諸国に圧迫されていた東亜諸国の自覚を促すことも多かった」は昭和18年版では「我が国は世界における地位を諸外国にはっきり認めさせると共に、東亜の守りに重きを加え・・・東亜諸民族の自覚を促し、これを元気づけた」となる。

《庶民の抵抗》
 このような「国策」に抵抗の意思表示をしたのは演歌師たちだった。彼らは「ああ金の世」「ノンキ節」など多くの歌で世相を風刺し、うっぷんを晴らした。
 頭を下げ、直立不動で教育勅語を聴かされていた一般国民も負けてはいなかった。「チンがうっかり屁をこいた。汝臣民臭かろう。国家のためだ、我慢せよ」というざれ歌は全国津々浦々に広まっていた。

《日清・日露戦争が残したもの》
 二つの戦争に勝利したことによって、中国人蔑視と軍人崇拝が広がった。子どもたちの間に戦争ごっこがはやり、中国人は豚にたとえられ、ちゃんちゃん坊主と呼ばれ、どの子も「大和魂」をもつ日本兵になりたがった。日本が「国威」を発揚したのはひとえに軍人のおかげとされ、娘を持つ者はみな軍人を婿にと望んだ。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

あきる野 「いのちの山河〜日本の青空U〜」上映会 
日時 2009年10月17日(土)
場所 秋川キララホール
報告  映画「日本の青空」の第2弾で憲法25条をテーマにした大澤豊監督作品「いのちの山河〜日本の青空U〜」の全国で最初の自主上映会があきる野市キララホールで17日に行われ、鑑賞者は昼、夜の上映で合わせて1000名を越える盛況でした。上映会では大澤豊監督が舞台あいさつを行い、前作「日本の青空」の主人公故鈴木安蔵氏の長女・鹿島理智子さんや前作の脚本を書いた池田太郎氏も参加しました。

《「いのちの山河」全国最初の自主上映に1000人越える参加者》
 昼の部は開場前から参加者が並び始めて、開場とともに人の波が押し寄せた感じでした。702席全てが埋まり、なお来場する方も居りました。空席に案内するのに時間がかかり10分遅れての上映となりました。
 夜の部は、50%程度の入場でした。天候の様子などで昼に参加者が集中したためと思われえます。定刻に始まりましたが、途中映写機が故障し、1台の映写機でフィルム架け替えごとに中断しながらの上映となりました。

 映画を見た岩手県出身の女性は目を潤ませながら「故郷を思い出させていただきました。憲法25条は昔学校で習いましたが、いまの時代こそ生かすことが必要だと強く感じさせられました」と感想を述べていました。また「みんなで力を合わせて改革に取り組むことのすばらしさを改めて教えてもらいました」「「勇気をもらいました」「多くの人に観てほしい映画です。全国で上映されるといいですね」「第三作目も期待しています」など多数の感想が寄せられています。

 この上映会は、あきる野市教育委員会、あきる野市、日の出町が後援しました。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

第47回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年10月4日(日)
場所 調布市文化会館たづくり8階「映像シアター」
報告  調布「憲法ひろば」は、10月4日午後、「多摩川九条の会」主催の人形劇映画「猫は生きている」特別試写会に合流して第47回例会を開催。43人が「幻の名画」を観賞し、来春65周年となる「東京大空襲」をしのび、平和への思いを深めました。

《大きな感動を呼んだ「猫は生きている」特別試写会》
 1945年3月10日未明の東京大空襲は、ナパーム性焼夷弾を満載してサイパンを飛び立ったB29爆撃機約3百機が、わずか2時間半で10万の民衆の生命を奪い、東京の4割を焦土と化し、負傷者4万、住居を失った人100万!焼け跡には幼児を抱きしめたまま黒こげとなった母親たちの姿。
 それから30年経った1975年。当時会社倒産とたたかっていた大映労組が、良い映画づくりに活路を求めて自主製作したのが人形劇映画「猫は生きている」です。原作者の早乙女勝元、音楽のいずみたく、監督の島田開、当時の関係者たちが文字通り採算を度外視して、東京大空襲を記録し、戦争の恐ろしさ、悲惨さとともに生命の大切さ、助け合って生きる人間愛の尊さを子どもたちに伝えようと格闘した熱気が正面から胸に迫ってきます。
 たづくり映像シアターの座席を半分残したのが残念。参加者からは感動とともに「ぜひ上映会を!」の声が挙がりました。

《山本洋大映労組(当時)委員長も参加!》
 1975年に京都映画センターとともにこの映画を企画・完成させた大映労働組合(現、角川映画労組)。当時委員長だった山本洋さん(山本薩夫監督のご子息)と、その後委員長を継いだ関谷元弘さん(現、角川映労顧問)が試写会に姿を現されて、自主製作当時の情熱や苦労、親子映画運動と結んで全国100万の観賞を組織した思い出を語り、一段と印象深い試写会でした。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

町田南地域九条の会 第17回学習討論会
日時 2009年9月27日(日)
場所 南市民センター 第2会議室 
報告  わが国の裁判所は法令が憲法に適合しているかどうかを審査する権限をもっている。そして、裁判官はそれぞれの良心に従い憲法および法律にもとづいて裁判を行う。憲法ではこう定めている。では「憲法9条」にかかわる問題は、実際の裁判ではどのように取扱われているのであろうか。これが今回のテーマであった。(9月27日開催、南市民センター、参加者20名、学習時間3時間)

《憲法判例と9条を考える》
 講師は、地元に事務所を置く2人の若い気鋭の弁護士であった。現憲法施行後の間もないころから最近までの裁判例をとりあげて、具体的に解説し、問題点を示してくださった。
 その主なるものは砂川事件(1959年)、恵庭事件(1967年)、長沼事件(1973年)、百里基地訴訟(1989年)。
 1970年代から盛んになる基地公害訴訟、1990年代の湾岸戦争関連訴訟、そして、最近の例として名古屋高裁の「自衛隊イラク派兵差止等請求控訴事件」(2008年4月)と、盛りだくさんであった。

 その中で、わたしは、自衛隊は9条にいう「戦力」にあたるとした「長沼事件」の札幌地裁判決、および、「現在イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は(中略)憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と認めた名古屋高裁の判決に注目した。
 前者は自衛隊のミサイル基地を建設するために行った保安林の指定解除を取消すよう地元住民が争ったものである。上告を受けた最高裁は、水害を防止するための代わりの施設ができたから、住民には訴える利益がないとして、憲法判断はせずに却下したという。
 後者では、自衛隊の活動を違憲としながら、原告の請求は棄却した。

 講師は、判決例をみるときは次の2つの点に留意したらよいとアドバイスをしてくださった。
 第一は、9条をめぐる裁判例を眺めてみると、三つの大きな流れがある。
 戦後間もなくのころ、市民の側は正面から争った。自衛隊は違反であるなど(9条2項関連)を論拠にしたが、これらはハードルが高すぎた。
 そこで70年代には、基地公害問題などから迫る方途が採られていく。
 90年代になると、自衛隊の海外派兵が大きな問題となるなかで、自衛隊はどこで何をしているのか、それは武力の行使にあたるのではないか(9条1項関連)など、また正面から争うようになってきた。
 第二は、わが国の裁判所は、特に9条関連では、憲法判断をやりたがらない。上級審ほどその傾向がある。なお、裁判で争うには具体的な争訟事項が必要であるが、名古屋高裁判決では「平和的生存権」について論じられている。これは重要な注目点である。

 参加者からは次のような質問があった。
・裁判所は具体的な争点を示さなくても、法律が憲法に適合するかどうかを審査をすることはできないか。
・三権分立制のもとで、政治に対し司法が弱いのではないか。
・名古屋高裁の判決は今後「判例」として機能するか。
・憲法判断を回避したがるのは裁判官をしばるような組織的な問題もあるからではないかなど。

 正直に言って、テーマの割には学習の時間は短く、内容は専門的で難しく、わたしには消化不良であった。
 解説は典型的な二、三の例に絞りこんで、みんなで疑問点を話あってみるのもよかったのではないか。
 ともあれ、9条をめぐる裁判の現状を知ることは大切なことである。こうしたテーマは今後の学習検討会でもどんどん取りあげてほしい。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第46回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年9月12日(土)
場所 あくろすホールB (国領駅北口)
報告  調布「憲法ひろば」の第46回例会は9月12日午後2時から夜9時まで、あくろす3階ホールBで開催。総選挙とぶつかった夏の合宿に代えてのロングラン例会は、調布「憲法ひろば」の論客3人のタイムリーな発題と、討論にたっぷりと時間をとったこともあって、40人の参加者の満足度も高かったようです。

《憲法をめぐる国民世論の動向と北朝鮮問題 〜軍事化に利用される北朝鮮問題 石山久男さん》
 読売新聞の世論調査で改憲賛成と反対が93年、08年、09年と3回逆転した。92年に自衛隊がカンボジアへPKO派遣された翌年に賛成が反対を上回った。04年に始まった「九条の会」の運動が08年に全国7000を超える中で反対と賛成が逆転。今年それがまた逆転したが、その背景には北朝鮮の「ミサイル」発射、ソマリア沖の海賊問題がある。「防衛白書」は日本が侵略を受ける可能性は低いとし、自衛隊は「国際貢献」としての海外派遣を本務にする方向を明記しているのに、「北朝鮮脅威論」が喧伝され、軍備増強、憲法改正への世論誘導に使われている。アジアと日本の平和にとって、日朝国交正常化こそが重要である。02年の平壌宣言に立ち返るべきだろう。

《憲法改悪の現局面・国民投票法施行にあたって 〜来年の参院選がカギ 笹本 潤さん》
 総選挙で政権交代は実現したが、鳩山代表をはじめ民主党の大勢は改憲論。次の参院選の結果によっては改憲に向けて自民党と連立する危険性もある。
 国民投票法は発効しても、有権者の年齢を18歳とすることや、最低投票率の問題など、18もの附帯決議がついており、実施は無理。政権が変わったのだから法律自体を廃止する運動もありうるが、実施させないようにすることのほうが現実的だと考える。解釈改憲への最も危険な道は武器輸出三原則の見直し。経団連は一貫してこれを要求しており、民主党政権に対してもこれは変わらないだろう。

《核廃絶は世界の常識 丸山重威さん》
 構造改革路線の誤りと対米従属一辺倒の外交政策への不満が、選挙結果につながった。沖縄では自公は全滅。冷戦時代そのままに米の「核の傘」の中でやっていこうという姿勢ではもはややっていけない。核は抑止力としても機能しないというのがいまや世界の常識である。アメリカではすでに「新自由主義」の終焉がいわれており、オバマはその克服のための政策に手をつけている。新政権にも、国民生活重視、アメリカとの対等な関係など、その選挙公約を実行するよう迫り、監視することが必要だ。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

第45回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年7月25日(土)
場所 国領駅北口・あくろす2階 会議室1
報告  調布「憲法ひろば」の第45回例会は7月25日午後、あくろす2階会議室で開催。31人が参加しました。「子どもの本から教わる『戦争・・・』」と題し、調布在住で「憲法ひろば」世話人の絵本作家津田櫓冬さんのお話を伺いました。テーマの新鮮さと発題者の魅力で、児童書に関心のある方などが多数参加され、いつもとは違った顔ぶれの例会となりました。

《目と心に焼きついた終戦の日の記憶》
 終戦の日、津田櫓冬さんは国民学校1年生だった。あの日は朝から暑かった。お母さんが糊のきいたシャツを着せてくれたがすぐに汗で襟がやわらかくなった。「今日は正午に大事な放送があるからお昼ご飯は1時になるよ、それまでゆっくり遊んでおいで」と言った。1年生は外に飛び出していった。偶然、墓地で捕まえた3匹の蝉を両手に握りながら意気揚々と家に帰ると玉音放送の最中で、人々が雑音で聴き取りにくい天皇の声に耳を傾けていた。蝉は手の中で騒いで鳴く。土間に駆け込んだ時、おじいさんが手から蝉をもぎとり土間に叩きつけ履物で踏み潰していった。津田少年が引き付けをおこしたような状態で立ち尽くしていると、お母さんが走り寄って、「日本が戦争に負けてしまったんだよ。勝つと信じてきたおじいさんを許してやってくれ」と言って強く抱きしめ続けてくれた。すると少年の心は何事もなかったように静まっていった。絵本作家・櫓冬さんの原風景である。時代は大きく様変わり。抱かれることを拒む子どもたちがでてきた状況に私たちは向き合わなくてはならない・・・。

《子どもの本から教わる「戦争・・・」》
 『わたしとあそんで』(M・H・エッツ文・絵、1955年)。女の子が、野原で動物たちに近寄ると逃げていってしまう。池のそばで音もたてずに座っていると動物たちが近寄ってくる・・・。いま子ども達にあまり好まれないのは、子ども達が空間や時間のなかに浸ることが失われていて、この本に共通体験を重ねることが少ないからではないか。動物たちが近寄ってくるページから、野原が鉄条網に囲まれている絵になる。作者はしのびよる「管理社会」を訴えたかったのではないか。
 『きみなんてだいきらいさ』(J・M・ユードリー文、M・センダック絵、75年)。子どもの喧嘩を描き、国同士の戦争を象徴的にとらえている。喧嘩している2人の少年の距離感が絶妙なセンダックの絵。
 『Schly Mndli(小さい男)』(民話・63年)。日本の児童書は残酷を真綿にくるむようにして伝えるが、ドイツは昔の戦争をこう伝えた。思わず笑いながら残酷さを知る仕掛け。
 『The Adventure of Tommy』(H・G・ウェルズ、29年)。金持ちを救った少年は「人を救ったことがご褒美なんだ」という賢い子だが、象をもらい、「アウグストゥス」と名づける。その名は「尊厳者」を意味するという志高いテーマ。世は大恐慌、お金より尊厳。
 『動物会議』(E・ケストナー、49年)。世界中の動物たちが各国家の代表たちと、戦争のない「永久平和条約」を結ぶ。登場するミミズ、フリードリンの名前の由来と無言のメッセージ・・・。

《沖縄戦に関わる櫓冬さんの2冊》
 『山つつじのさくころ』(津田櫓冬文・絵、ほるぷ出版、82年)の紹介。
 そして『ハテルマシキナ』(桜井信夫著・津田櫓冬絵、ほるぷ出版、98年)、波照間島の住民が巻き込まれたもう一つの沖縄戦と呼ばれる「戦争マラリア」の悲劇と島民のよみがえりを描いている。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

第44回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年6月12日(金)
場所 国領駅北口・あくろす3階ホール
報告  調布「憲法ひろば」の第44回例会は6月12日午後、あくろすホールで、「調布・子どもと教育を考える市民会議」と合同で開催。33人が参加しました。

 4年ごとに行われる中学校の教科書採択が迫っている。今年は「新しい歴史教科書をつくる会」の分裂によって、「新編・新しい歴史教科書」(自由社)という1冊が検定を通過して加わった。それが扶桑社の「新しい歴史教科書」と代表著者も内容もほとんど同じという摩訶不思議なお話。教科書展示会は6月8日〜19日まで教育センターで開かれ、市民も意見を出す機会がある。私たちの今回の合同例会は、問題の2冊の問題点は何かをとり上げた。この問題に長く関わってこられた、子どもと教科書全国ネット21常任委員・調布「憲法ひろば」世話人の石山久男さんから、「中学生の社会科教科書はどうなる---世にも不思議な『新』教科書の検定合格」と題して解説をいただき、これを中心に情報を交換した。

《危険な調布》
 まず「調布子どもと教育を考える市民会議」の富永信哉さんが調布の状況を報告。教科書採択が現場の教員ではなく教育委員会の権限に移された01年には、公開の教育委員会で、市民から扶桑社版の採用に反対する声が多く寄せられたことが発表され、各委員が扶桑社版への意見を述べた結果、全員が否定的だったので、扶桑社は対象外となった。しかし05年は、委員は採択についての自分の方針を述べるだけで、しかも決定は無記名投票によったので、誰がどの教科書を支持したのか全くわからなかった。結果として扶桑社版は不採用となったが、票差は1票。市民の意見では扶桑社版支持が30、反対が24であったことが後でわかった。富永さんのお話の後、現役の中学教員の方から、現場の意見を出す実質的な可能性が無い現状が報告された。

《神武天皇から昭和天皇へ》
 石山久男さんは扶桑社版と自由社版が、他社版に比べいかに異常かを具体的に示された。
 まず両者は本文の9割、全体の8割が同じ。神武天皇の東征に始まり、昭和天皇についての記事で終わる。自由社版ではその上「昭和天皇のお言葉」に1ページをあてている。天皇を元首とした大日本帝国憲法をほめたたえ、日本国憲法については、天皇制を守るためアメリカの押し付けをやむなく受け入れた、としていて、国民が支持してきたことにはふれない。全体に民衆の動きは無視。

《自国中心主義と戦争の美化》
 歴史学では否定されている任那の日本府の存在を相変わらず記述。地名も現地名にせず、その他の人名、地名も現地読みを採用していない。明治以降日本が行った戦争がすべてアジア解放に貢献したかのように記述。「大東亜戦争」という用語を復活させているのもこの2社だけ。

《基本的人権より憲法改正》
 公民はまだ扶桑社だけだが、他社との違いは際立っていて、基本的人権よりも先に、憲法改正の手続きが詳しく説明され、九条は「自衛のための戦争まで禁じたものではない」という「解釈」や、国防の義務が説かれる。また男女共同参画社会に逆らって、性別役割分担を主張した山口県宇部市の条例を紹介している。

《教育委員会の傍聴を》
 最後にこの3年間教育委員会の傍聴を続けている小保方忠好さんから、今年から保護者代表をいれて委員が6名になったこと、委員は教育の素人なので教科書の選定ができるわけがなく、多くの専門家の目を通して選ばれる過程とその結果に責任をもつのであって、それができるためには市民が教育委員と対等に意見を交わすことが必要であり、そのために、多くの市民が毎月開かれる教育委員会を傍聴してほしいと話された。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

立川9条の会 5月例会
日時 2009年5月9日(土)〜10日(日)
場所 立川南駅下集合
報告  5月例会は24名の参加で、9日、10日と陸上自衛隊北富士演習場見学の一泊ツアーを行ないました。

《富士山に演習場は似合わない》
 快晴の日曜日、富士山を望みながら、広大な演習場に入りました。
 イラク・サマーワ進入に際して、駐屯基地そっくりの施設を造って演習したと伝えられていましたが、場内にはその施設用材が残っていて、戦闘訓練が行なわれた様子をうかがい知ることができました。休日ということで、さすがに戦車は並んで止まってはいましたが、薄気味悪い迷彩の軍用大型トラックが動き回っていました。
 「富士山を世界遺産に」の運動がありますが、最大の障害となっているのは、本州最大の軍事演習施設があり、大規模な自然破壊が行なわれていることです。富士山麓での乱暴な軍事演習を終わらせ、富士山が平和を願う日本の心を世界の人々に伝える世界遺産として輝く日が来ることを願いました。
 青木が原樹海や忍野八海なども観光し、往復のバスのなかではアコーディオン伴奏の平和の歌を合唱しながらの楽しいツアーでした。
お問合せ 立川九条の会 加藤 Tel 042-537-2217 

 

第4回 憲法フェスタ in 府中 憲法、平和、そして未来へ
日時 2009年5月4日(月・休)
場所 府中グリーンプラザけやきホール
報告 5月4日に開催された「憲法フェスタ in 府中」は超満員の543人(のべ)(定数500人)が参加し、 熱気に包まれました。

《高校生の美しいハーモニーが参加者を魅了》
 第一部は市民によるアトラクションで、「山美鼓」の和太鼓演奏、初参加の都立西高合唱部(昨年全国合唱コンクール銅賞)のハーモニー、合唱団白樺舞踊班の南中ソーラン、三多摩アコーディオンサークルの合奏、けやき混声合唱団の合唱など盛りだくさんでしたが、どれも好評で、特に府中西高合唱部の62人のハーモニーは美しく、参加者を魅了しました。

《中近東で尊敬される憲法9条をもつ日本》
 第二部は三年B組金八先生などの脚本家小山内美江子さんの講演。60才になって国際協力活動を始め、カンボジアに学校を作る運動を青年・学生と行っていること、憲法9条のある国として日本は中近東などで尊敬されている話など、ユーモアを交え、また若々しい張りのある声で話され、大変好評でした。
 アンケートには西高の生徒からも寄せられ、「経済が不安定でもいいから、戦争だけはやめてほしいです。」「平和を求めるために争うのではなく、平和を求めるために話し合うべきだと思います」「私たち日本人が守る続けてきた憲法がこれからもずっとあり続けますように」などの声が寄せられました。
 参加者も企画した実行委員会もともに元気の出る憲法フェスタでした。
お問合せ 平和のつどい実行委員会 Tel 042-333-7744

 

憲法守る町田の会 結成5周年のつどい
日時 2009年5月2日(土)
場所 町田市民ホール
報告 「憲法を守る町田の会」結成5周年の集いが5月2日、町田市民ホールで行われました。

《戦争回避のためには9条は不可欠》
 東大大学院教授、九条の会事務局長の小森陽一さんが「憲法9条いまこそ旬」と題して講演し、文化行事としてポエム・マチネが「軍隊のない国で」の詩の朗読、俳優の有馬理恵さんが一人芝居をしました。
 小森さんはリーマン・ブラザースの破綻から始まった金融恐慌から、世界の経済システムの崩壊と戦争の危険に触れ、戦争の危険をかわすには9条の思想が不可欠との考えを示しました。
 そして、アメリカの単独行動路線が終焉を迎えた現在、アジアでも六カ国協議を含めた多国間の安全保障体制を作り上げる重要性と可能性を強調しました。

《各地で活動を》
 町田市内の九条の会の活動報告も行われ、町田南地域九条の会を代表して吉本明子世話人代表が活動を報告しました。「集い」には第4会議室を満員にする150名以上が集まり、5周年にふさわしいとりくみになりました。
お問合せ 憲法を守る町田の会 斉藤 Tel 042-797-5811

 

町田南地域九条の会 第15回学習討論会
日時 2009年4月19日(日)
場所 南市民センター第1会議室
報告  4月19日、南市民センターで、町田南地域九条の会主催による第15回学習討論会が開かれました。テーマは「貧困・格差と憲法9条」で、講師には「まちだ・さがみ総合法律事務所」の弁護士・名取孝浩さんに来ていただきました。

《戦争の条件、貧困》
 名取さんは始めに、旧来の戦争の呼び水の一つになった「国家間の貧困と格差」、「市民の間における貧困と格差」の関係について説明しました。国家間では、第一次大戦後の賠償に苦しんだドイツで、世界的大恐慌の嵐が吹き荒れる中、ヒトラーによるナチスが台頭したこと、市民の間では、教育水準などによる格差の固定化が進み、貧困層は物言わぬ兵士や労働力として、国家に戦力を供給し続ける条件になったことなどをあげました。
 新自由主義、戦争も民営化貧困・格差と戦争の関係は「新自由主義」のもとでも機能し、米国では中間層が貧困層に転落することで、アフガンやイラクへの兵士の供給源になっています。しかも、「戦争ビジネス」として民間の兵力派遣会社があり、かりにアメリカがイラクから撤退したとしても、派遣会社の兵士は国からの保障もなく残される危険性があるということです。
 話しを聞いた参加者は、「戦争ビジネスで死んでも自己責任。国の保障もなく、恐ろしい」、「弁護士になるにも金がかかるという。奨学金や借金を返すため、金持ちや企業にばかり肩入れする弁護士が増えたら、貧しい人たちの権利はどうなるか」と話していました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

立川9条の会 4月例会
日時 2009年4月18日(土)
場所 東中神駅北口集合
報告  4月18日、4月例会として立川、昭島両市にまたがる広大な地域の戦跡を訪ね歩くピースウォーキングを行ないました。案内講師は戦時下資料研究会の楢崎茂弥さん、由美さんにお願いしました。

《歩道橋の上から戦跡を想像する》
 昭島総合スポーツ公園横の江戸街道に架かる歩道橋から、立川陸軍飛行場、立川陸軍航空廠、多摩陸軍技術研究所、技能者養成所ほかの軍事施設跡地を俯瞰した。今は、スポーツ施設や学校、住宅に変わり、説明がなければ軍施設があったことをうかがい知ることはできない。

《八清住宅跡など》
 陸軍航空廠などの近辺には、従業員住宅が大規模に造られた。陸軍が建設した「金鵄住宅」、営団(公的特殊法人)の中神営団住宅、個人が建設した「八清住宅」など。
 「金鵄住宅」は狭い路地と区割りに往時の面影を残しているが「中神住宅」は都営住宅などが建てられまったく変貌している。「八清住宅」は陸軍航空工廠の従業員用に、八日市屋清太郎という人が軍の後押しで建設したもので、市場、銭湯、公園、映画館まで日常生活に必要なものはほとんど配置されていたという。当時の建築物は無いが、放射線道路がそのままに残っている。
 そのロータリー脇に八清住宅の由来を記した碑が建てられているが碑文の数箇所が明らかに改ざんされていた。今日に相応しないと、文言が削られ直されたようだ。例えば、軍の「命令」を軍の「支援」に変えるなど。

《引き込み線跡を歩く》
 軍施設、軍需工場への資材搬入のために、中央、青梅線から多くの引込み線が敷設されていたが、今は面影を見つけることは難しい。
 当時の線路という所を歩くが、軌道は撤去され道幅が広げられている。唯一、レールの一部を残し説明版が設けられているモニュメントがあるが、案内がなければ見落としてしまうだろう。

《工事跡のボイラー煙突》
 工廠など軍施設跡地はフェンスで囲まれていて、立ち入ることはできない。
 戦後、そして米軍から返還後も放置してきたため、雑木林化していて周辺からは建物跡を見ることはできないが、雑木が一部伐採されているところから、三本の工廠床暖房用のボイラー煙突の姿を見ることができた。
 この地域は少年医療刑務所などの建設用地として環境アセスが行なわれている場所で、軍部戦跡の調査が十分できないまま大規模再開発が始まることとなる。
お問合せ 立川九条の会 加藤 Tel 042-537-2217 

 

第43回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年4月11日(土)
場所 たづくり8階「映像シアター」
報告  調布「憲法ひろば」は4月11日、調布市文化会館たづくり8階・映像シアターで4月例会を開き24人が参加しました。今回は「市民生活に忍び寄る自衛隊」と「ソマリア派遣問題」という2つのテーマを柱に、東京平和委員会事務局次長の近森拡充さんにお話をいただきました。

《市民生活に忍び寄る自衛隊》
 まず近森さんは、私たちの知らない間に、深く静かに、市民生活に食い込んでいる「自衛隊」の実態のさまざまな例を挙げられました。
 「国際貢献、奉仕活動、平和を仕事にする」ことを前面に出し、あくまでソフトイメージを振りまきながらの広報活動や隊員募集。自衛隊基地を使った総合学習、職場体験学習などでの学校・教育現場への進出。修学旅行に自衛隊基地での体験学習をする高校まであらわれているというお話には愕然としました。ゲームやヴァーチャル体験、自衛隊全面協力の映画、マンガ版防衛白書まで作られているとか。更には国民の危機管理意識を逆用し、防災訓練への自衛隊の参加だけでなく、自衛隊の演習に自治体を参加させるなど、自治体との連携強化、消防・警察・自衛隊の一体化が着々進められている現実に、ここまで市民生活に自衛隊が入ってきているのかと、空恐ろしくなりました。

《ソマリア派遣のねらいは何か?》
 もう一つのテーマである「ソマリア派遣問題」で近森さんは、まず「ソマリア沖海賊問題」とは何か、海賊行為の背景とその実態、それに対する世界の対応を解説。その上で「ソマリア派遣の問題点」をわかりやすく語って下さいました。海の犯罪行為への対処はそもそも海自ではなく、海保(海上保安庁)の役目であったはず。海賊対策を口実にした、海外派兵の量的・質的・地域的拡大。「海上警備行動」を根拠に国会審議を経ずに派兵先行等々。こちらの話しにも、日本が戦争という道に向かってひた走っていく怖さを感じました。今国会で審議されている海外派兵恒久法の先取り的要素を持つ「海賊対処法案」の問題点。イラク派兵が終わったので、自衛隊を海外へ出しておきたい日本政府にとって、ソマリア派遣は絶好のチャンス、というお話しは大いに納得でき、いっそうの危機感をもちました。
 「存在する軍隊」から「闘う軍隊」へと変貌していく自衛隊の実態に私たちはどう対処するのか。最後に講師の近森さんは「憲法9条と平和的生存権を武器に反論していくことの必要性」を強調されました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

立川9条の会 3月例会
日時 2009年3月20日(金・祝日)
場所 柴崎学習館 (旧中央公民館)
報告  立川九条の会例会・学習会が3月20日、柴崎学習館で開かれ、一橋大学大学院教授の吉田裕さんが講演を行いました。

《田母神論文を考える》
 吉田氏は、「敗戦により日本非軍事化がすすみ、その最大の柱が日本国憲法の制定であった。憲法の前文で平和主義の原則を掲げ9条で戦争放棄と戦力の不保持を宣言した。その後、アメリカの対日占領支配の転換などで警察予備隊から自衛隊が設置された経過の中で政官界の戦前・戦後の連続性がはかられた」と述べました。吉田氏は、元航空幕僚長の田母神論文について、「検証に耐えない稚拙でずさんなもので事実誤認が多い。田母神氏の主張が隊内教育で行われていたことは重要で更迭では済まされない」と述べました。
 例会には40人が参加しました。
お問合せ 立川九条の会 加藤 Tel 042-537-2217 

 

第42回 調布「憲法ひろば」 例会
日時 2009年3月14日(土)
場所 あくろす2階会議室
報告  調布「憲法ひろば」は3月14日昼、あくろす2階会議室で、3月例会を開き26人が参加しました。今回は「コスタリカって、どんな国?」と題して、高部優子さん(清泉女子大学大学院生)と笹本潤さん(弁護士)のお話を聴きました。お2人はご夫妻で布田在住。昨年6月から半年間、コスタリカに留学。高部さんは現在NHK国際放送局にも勤務中。笹本さんは調布「憲法ひろば」世話人。
                
《「平和の国・コスタリカ」から何を学ぶ? 既成のイメージに鋭いメス》
 高部さんはまずコスタリカのTシャツ(500円)を披露。Tシャツにはいろいろな動物が描かれている。コスタリカには軍隊がないが、Tシャツに描かれているイグアナなどが陸軍、イルカ・カエル・ワニが海軍、ハチドリが空軍だという。次にビデオ映像を見せながら現在のコスタリカの様子を報告した。そこには美しい鳥ケザール、移動する木トルートデーロ、葉を食べるサルなど珍しい動植物が映っていたが、コーヒー、バナナ農園などの拡大、マックなどアメリカ資本の移入でジャングルが縮小。かつては国中がジャングルと言われていたが現在では国土の40%しかなくなった。治安も悪く、首都サンホセでは夜間外出はできない。ゴミも垂れ流し、エコ生活とは程遠い。生活上の格差も広がっているようで、先住民は居住区に住み、普段目にしない。公的支援を受けていないのではないか。アジア人への差別もはげしい。「平和教育」もやられているのか疑問。日本のほうが蓄積がある。本や新聞も少なく、テレビ局も四局しかない。巷間伝えられているコスタリカのイメージを修正するに足る報告であった。

《平和政策・経済政策の光と影》
 笹本潤さんの報告では、ていねいなレジメの中から、@コスタリカの平和政策、A経済の現状、B裁判についてを重点的に報告された。
 @について コスタリカでは1949年、憲法12条により常備軍が廃止された。内戦により経済が疲弊したこと、また軍隊があるとクーデターがおこるというのがその理由。警察や国境警備隊はあり、1948年に米州機構(35カ国)に加盟しており、集団的自衛権は認められている。この平和政策はニカラグアへの米の干渉にたいして中立を宣言(1983年)するなど80年代まではよく実施されたが、2001年の9・11テロ事件後、米のイラク戦争を支持したり、2006年以後、核燃料をつくりはじめ、2007年から米との自由貿易協定(FTA)を結び米から武器を輸入するなど危険な動きが出ている。
 Aについて 高部報告と重複するところもあったが、最近のコスタリカ経済はアメリカナイズされてきている。車は七割以上が日本車。産業構造も1950年代のコーヒー、バナナなどの第一次産業中心から、現在では工業製品生産の第二次産業中心。新自由主義経済思想も入ってきて、2003年には電力通信自由化法案が国会にだされたこともあった。その反面、道路はボコボコ、貧富の格差もひどくなっている。
 Bについて 日本人にはなじみの薄い米州人権裁判所、コスタリカ憲法裁判所の報告に重点がおかれた。米州人権裁判所は35カ国の締約国が7人の裁判官(任期6年)を選任。一国家の不当な身柄の拘束や強制失踪などに対して強制力のある救済勧告ができるという。国家主権を超えた人権救済システム。こうしたシステムはヨーロッパやアフリカにもあるがアジアにはない。コスタリカ憲法裁判所(1989年設置)の報告では、コスタリカ政府が米のイラク戦争の有志連合に加わったことに対して違憲という判決(2004年)や、政府の核燃料製造の政令を違憲とする判決(2008年)などが話された。この憲法裁判所に提訴する人は年々増え、設置当初は数百件であったものが2008年には1万9000件にもなっている。

《人権裁判所に強い関心》
 両報告とも日本のメディアではあまり報告されていないものであり、多くの参加者にとっては初めて聞く情報であった。質疑でも米州人権裁判所、コスタリカ憲法裁判所にかかわるものが多く、我々の運動もアジア人権裁判所の設置という点も視座に入れていいということが確認された有意義な学習会であった。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

町田南地域九条の会 第14回学習討論会
日時 2009年2月22日(日)
場所 南市民センター第1会議室
報告  今回のテーマは「自衛隊のソマリア沖派兵と恒久法」。講師は弁護士の四位直毅氏、当九条の会の世話人である(2月22日開催、場所は南センター、参集者20名)。

《ソマリアとはどんな国》
 さて、ソマリアとはどこにあって、どんな国か。アフリカとアラビア半島の間を地図でたどると、地中海からスエズ運河、紅海、マンダブ海峡を抜けてアデン湾、インド洋にいたる。ソマリア沖とはアデン湾であることが分かる。
 ソマリアはアフリカの東側、インド洋に面して、角のような形をした、面積はわが国の1・7倍の国である。人口は840万人、その90%以上がイスラム教徒という。国内は内戦で、中央政府がない状況が続いているという。

《昨年の海賊事件100件以上》 
 その沖で、前08年は111件の「海賊」被害が発生したという。
 「海賊」の正体は元漁民、国際的なシンジケートなどの諸説がある。航行する船を襲撃して人質を捕り身代金を要求することが多い。日本関係船の航行は年約2000隻、うち3隻が海賊被害に遭った。

《武器携帯で400名規模》
 これに対して、アメリカ、EU、中国、ロシアなどの諸国は軍隊を派遣してその対策にあたっている。
 そこでわが国は、「国際社会のとりくみを傍観できない」「民間人に被害が生じると不作為責任を問われかねない」(麻生首相)ということで、防衛相が自衛隊法に基づき、先月、海上自衛隊に出動準備を指示した。海自では護衛艦2隻、武器を持った特殊警備隊など約400名規模で派遣し、「海上警備行動」を行う方針だという。
 これはどんな意味をもつか、この先どのような問題を残すことになるか。誰しもが気になるところである。

《改憲・恒久法に続く危険》
 これまでに、わが国の領海内で「海上警備行動」が行われた例はあるが、自衛隊が武器を携えて、わが国の領海をこえて出動したことはない。これは「九条」の解釈・立法改憲の進行を図るものではないか、自衛隊の海外派遣に関する「恒久法」の制定に道を開くことになるのではないか。
 それでは、これら「海賊被害」にどう対処したらよいのか。講師の結論はこうだ。

《カギは非軍事支援》
 自衛隊の派遣ではなく、これまでの海上保安庁の実績(警察活動と地域協力)をいかし、地域の海上保安に協力して取り締まり、海賊被害の抑止に努める。問題はソマリアが無政府状態から立ち直り、統治能力を回復するための国際的非軍事支援・協力がカギになる。
 講師は、自衛隊派遣にともなう具体的な問題点(法的根拠、護衛方法、武器の使用基準、警護対象船の範囲等)、「恒久法」制定の動きその危険性、国際的な地域共同の発展と紛争の平和的解決の方向などなど、わかりやすく解説してくださった。

《率直な質問・議論》
 また、質問、話題には、かつてマラッカ海峡の被害にはどのように対処したか、航行する船には日本人がいろいろな形で乗っているが警護対象はどうか、「恒久法」は明らかに九条違反ではないか、海賊被害には海上保安庁による警察活動が妥当、今派兵するというのはアメリカ追従か、などがだされた。

《貧困・格差もテーマに》
 学習討論会は当九条の会の重要な企画の1つで、現在、2ケ月1回の開催を恒例としている。テーマは世話人会などでオープンに検討される。
 1月の世話人会では、上記のほかに、新しいアメリカの政権はわが国に対してどのように立ち向かってくるであろうか、注目されている貧困と格差拡大の進行は改憲の動きに悪影響をおよぼしてくることはないか、なども挙げられた。これらは順次検討され実現されることになろう。また、講師には当会のメンバーなど身近な方々をお迎えしている。

《誰でも参加できる》
 わたしには、会員に限らずにだれでも参加できる、いろいろ話し合える、気になっていることが気楽に話題にできる、こんなオープンな学習検討会が楽しみである。(たかはしひさし)
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第41回 調布「憲法ひろば」 「蟹工船」調布上映会
日時 2009年2月5日(木)
場所 くすのきホール
報告  「調布憲法ひろば」が2月例会に位置づけた「『蟹工船』調布上映実行委員会」主催の「蟹工船」上映会が2月5日(木)午後と夜、「調布文化会館たづくり・くすのきホール」で開かれ、昼夜合わせて約700人が観賞しました。上映前に解説、上映後に朗読が入った上映会は、「よく分かった」「考えさせられた」と、おおむね好評でした。

《実行委員会あいさつ》
 上映会では、まず大野哲夫実行委員長が「暗い映画なので迷ったが、あの時代をもう一度振り返ることは大切だと考えた。計画を決めた後、派遣切りなどが起きた。原作は暗い運命を切り開くのは団結だということで終わっている。映画を見ることができず働いている人にも伝えて欲しい」と挨拶。

《作品と時代背景を解説》
 続いて「深大寺九条の会」の松井和夫さんが、多喜二自身が作品の意図を語った手紙や略歴のプリントをもとに原作と映画を解説。「多喜二はまさにルールなき資本主義の時代に労働者を励ます文学を書いたのだと思います」と話しました。

《原作の最後を朗読》
 映画の上映後、昼は世田谷「九条の会」の荘司美子さん、夜は調布「憲法ひろば」の二宮陽子さんが、原作「蟹工船」の最後の部分を朗読しました。
 映画と原作は最後の部分が異なっています。無法な監督や部下の横暴に耐えかねた労働者の反乱を鎮圧しに駆逐艦が来るところは同じですが、映画は軍隊が発砲し、少年労働者を含む何人かが犠牲になって終わります。
 しかし、原作では、発砲はなく、首謀者とされた仲間が連行された後、残された労働者たちの決意で締めくくられています。
 「―間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった」「俺達全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかった」「今度こそ、…犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボルことだ」「それでももし駆逐艦を呼んだら、この時こそ力を合わせて、一人も残らず引渡されよう!」―。
 最後の文章、「そして彼等は、立ち上った。―もう一度!」が朗読されると、会場から拍手が湧きました。

《戦後の再軍備に警鐘? 気概を感じさせる映画》
 上映会の観客は、昼が約450人、夜が250人。モノクロの迫力ある画面に見入った。この映画は1953年の現代プロダクション作品。山村聡の脚本・監督・出演のほか河野秋武、森川信、花沢徳衛、日高澄子、中原早苗らが出演している。朝鮮戦争と日本の再軍備に警鐘を鳴らす気概を感じさせる。撮影の宮島義勇カメラマンは、この映画で第八回毎日映画コンクールの撮影賞を受けている。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

あきる野9条の会 「続 私たちの戦争体験記」発行のつどい
日時 2009年1月31日(土)
場所 あきる野市中央公民館 第7研修室(2階)
報告  前作「私たちの戦争体験記」を発行し、再び「戦争を語りつぐ会」が戦争体験記の募集を始めてから約1年、「続 私たちの戦争体験記」が完成しました。完成を記念して、あきる野9条の会が1月31日、中央公民館で「発行のつどい」を開催しました。

《「続 私たちの戦争体験記」発行のつどいに48人》
 「つどい」では、当時の「秋川の戦争を語りつぐ会」代表・永井美枝子さん(故人)が、1980年に作成した紙芝居をビデオで復刻した「五日市線空襲」(9分)が上映され、大きな拍手に包まれました。懇談会では「軍国少年は教育によって形成された。正義の戦争はない」「この冊子で昔の同級生に会えた。子どもの時は、素足で下駄を履いて雪の中で働かされた」「教師は、なにもしらない子どもに人を殺すことや天皇は神と教え、軍隊にいくよう勧めた。今、先生への締め付けが強まり第二の国民学校のようになってきたようだ」「隣のオバチャンたちが焼け死んだのを見た。怖いというより生きるのに死に物狂いだった。子どももみんなが戦争に巻き込まれる」「私が学徒動員に行かなければ戦争に負けちゃうと本当に思って、母がとめるのを聞かず仕事に行きました」など体験記を寄せた18名が発言しました。参加者は「体験者の声を聞かせてもらってよかった」「平和を守ることの必要性を感じた」「こういう活動を続けてほしい」などと感想を述べていました。

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「続 私たちの戦争体験記」では、34人がそれぞれの戦争体験を書きました。
 中島さんは乗っていた五日市線が空襲にあい、前に座っていた友達は銃弾にやられて鼻や頭、肩から血が吹き出たと、佐久間さんは、小学生にも容赦なく苦役が課せられた自らの経験を書きました。大牟田での空襲の地獄絵を克明に書いた大塚さん。赤紙の宛名を何百通も書き、その役所で発見したものは・・・山田さんは書きます。疎開先で「負けてしまうのでは」と言ったことが大問題になった様子を中村さんが。乗せられた列車がシベリアに行くことがわかったときのつらい気持ちを綴った小池さん。青い目の人形を踏みつけたときの感触を忘れないと清水さんは書いています。34人の体験をお読みください。前作を読んだ高校1年生の感想文も収録しました。
 貴重な戦争体験記をぜひお読みください。広げてください。お求めは、下記問い合わせ先まで。

■ 「続 私たちの戦争体験記」 B5判53ページ 頒布価格450円
■前作「私たちの戦争体験記」 B5判39ページ 頒布価格350円。
 *両冊お求めの場合は特別割引で700円とします。
■特別頒布「秋川市の戦争体験を語りつぐ 総集編」B5判50ページ 頒布価格400円
 *この総集編は秋川の戦争を語りつぐ会が地元での調査を元に 1981年から1984年に発行した小冊子をまとめた貴重なものです。
 発行人である永井榮亮さん(玉泉寺住職)のご好意によるものです。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

立川9条の会 1月例会
日時 2009年1月16日(金)
場所 柴崎学習館 (旧中央公民館)
報告  立川9条の会の1月例会は、アフガニスタンの子どもたちの支援活動を行っている特定非営利活動法人「みんなの夢の音楽隊」のみなさんによる歌と映像とお話の会でした。

《「みんなの夢の音楽隊」って》 
 アフガニスタンで設立されたNGOのMMCC(Afghanistan Mobile Mini Circus for Children)の日本における活動団体で、代表の今川夏如さんは本体のMMCC設立時からのメンバー。

 例会では、アフガンの映像を今川夏如さんが歌入りで解説し、ゆうたさんと加集希世子さんの歌と伴奏でミニコンサートを行いました。
 始まりにアメリカの空爆を含む30年におよぶ戦争で荒廃しつくされたアフガンの国土とそこで暮らす人々の映像をバックに、今川さんが歌「ねがい」を熱唱しました。
 アフガンの治安状況は悪化の一途をたどるなかで、子どもたちに笑いと夢と教育を届けようとの熱意が伝わってきました。

《インフラが破壊されたなかで》
 戦争で公共施設(インフラ)はほとんど破壊された。道路は寸断され橋はなく舗装はないため、自動車は時速10〜20キロ、大型トラックで1キロしか走れないところもある。発電所は作られても電線はほとんどない。
 地方には学校校舎もないところが多い。村の平坦な場所にテントを張って黒板一つを置けばそこが学校となる。
 教育インフラの85%を破壊されているなかで、学校を作る支援活動が行われてはいるが、校舎を作ることが目的のようになっていて、教員養成や教材のことにはあまり手が付けられていない。
 子どもたちの興味を引き出す教材づくりはMMCCの得意分野でこの活動を通して教員養成にも力を入れている。

《サーカスで教育を》
 MMCCの主な活動に移動サーカスがある。地方の村々を回って教育的な内容のパフォーマンスを行っている。子どもたちは、アクロバットやジャグリングが大好きで一緒にトレーニングに加わってくる。
 サーカスを通して字が読めない子どもたちにも、平和教育、衛生教育、地雷回避教育といった生活に必要な知識を伝えている。
 今でも、地雷との共存が強いられているアフガンでは、正しい知識を身につけさせて、安全な場所で気持ちよく遊び、健やかに成長していくことが大切で、そのための環境を最大限実現させていく活動を展開している。

《力を合わせることを》
 また、ワークショップにも力を入れている。
 子どもたちの手で何かを作り上げる作業―例えば演劇であったり、人形づくりや脚本づくりを含む人形劇や組体操など―はみんなで協力し、助け合いながらやってみる。
 「みんなで助け合って生きていくこと」を学ぶ。
 異なる部族同士でも助け合うことの大切さを学んでいく。
 それを教えてあげられるのは「戦争をしない大人たち」である。
 発表の場で、子どもたちは観衆から讃えられ、自信と誇りと達成感を持つ。

《麻薬のこと》
 アフガンといえば、麻薬のことが話題になるが、精製されない実はおやつ代わりにわりとよく口にしている。
 医療薬品がない地方で麻薬は空腹や病の苦痛から逃れる助けになっていて、罪悪感なく使われている。
 もちろん常用による害はあって、呼吸が浅くなるなど病気の人も多いが食糧不足や不衛生など複合的な理由もあるのではないか。

《言葉の壁》
 他民族国家のもと、言葉―コミュニケーションの問題があるが、各民族に共通する言葉も多く、日常的にはさほど不便ではない。
 ほかにも、MMCCの活動を通してアフガンの子どもたちが抱えている暮らしや教育の問題が紹介されました。

《例会参加者も歌った「あの日の授業」「ふるさと」》
 アフガンにも日本国憲法九条があったらどんなに素晴らしいことか、そんな思いをこめて、「あの日の授業」を歌いました。ナレーションは立川九条の会の今井さんにお願いしました。音楽隊の歌声に合わせ、例会参加者も合唱しました。最後に、全員で「ふるさと」を歌い、締めくくられました。
お問合せ 立川九条の会 加藤 Tel 042-537-2217 

 

第40回 調布「憲法ひろば」 誕生から4年記念集会
日時 2008年12月13日(土)
場所 たづくり12階「大会議場」
報告  調布「憲法ひろば」は、誕生4周年を記念する集会を2008年12月13日(土)午後2時半から開催。「たづくり」12階大会議場に約160人が参加して楽しいひと時を過ごしました。
 引き続き午後6時から同じ会場で行なった懇親会には67人が参加しました。

《感動呼んだ「人」の朗読劇》
 記念集会の第一部は、演劇企画集団「人」(じん)に構成していただいた。「人」は今年9月にせんがわ劇場で旗上げ公演をしたばかりの若い演劇集団。女優兼マネージャーの齋藤奎子さんが「憲法ひろば」のにゅーすを読んで下さったことから協力が実現した。代表大西桂太さんの演出による<聞く絵本「むらさき花だいこん」>は、南京虐殺に参加した若い兵士が、負傷して病院の窓から見える紫金山の麓に乱れ咲く美しい紫色の花の中で、自分の犯した罪に目覚め、その種を持ち帰り、平和への願いをこめて日本中に広めたという物語。大門高子さんの絵本をスライドにし、音楽と朗読劇を合わせたユニークなスタイルで、感動をよんだ。新井満さんの自由訳によるジョン・レノンの「イマジン」も、同じ手法で、新たな生命を与えられた。

《市民の豊かな運動との熱い触れ合い》
 記念集会の第二部「みんなのひろば」は、調布「憲法ひろば」世話人大野哲夫さんの挨拶、5月に行われた「9条世界会議」調布実行委員会鵜澤希伊子さんの報告に続き、市内でそれぞれに活動する12団体が、日ごろの活動を披露。心を病む人に居場所を提供する「クッキングハウス」の歌、在日の人々と共にあることを目指す「多摩川九条の会」による「ウリナラコ」の歌唱指導。市内に残る掩体壕の保存を通じて戦争の記憶の風化に抵抗する「調布飛行場の掩体壕を保存する会」、九条改正反対の署名に取り組む「土建九条の会」の主婦パワー、毎月憲法を読みながらその時々の問題にアンテナを張る「憲法を読む会・柴崎」、あくまで地域密着にこだわる「深大寺九条の会」などのトーク。障碍を負う人々、子どもたちと「共に歩むネットワーク」のみなさんと「きよしこの夜」を歌い、「年金者組合」の女性たちのフラダンスに平和を噛みしめる一方で、「調友会」の被爆者の方のお話に戦争はまだ終わっていないという実感を新たにし、「新婦人平和部会」の粘り強い活動に励まされた。原水禁大会に代表団を送った調狛府中の青年たちの「SAVE九条の会」はギターと歌で「イマジン」を披露。最後に「調狛合唱団」が美しい歌声と元気な手話ダンスで、平和を訴えた。

《心に沁みた懇親会》
 6時からの懇親会は、丸山真弘・狩野悠(早稲田ビートルマニア)さんの「イマジン」で幕開け。「人」代表の大西さんはじめ、心に沁みるスピーチが続き、和やかな中にも有意義な会になった。若い人たちの参加もあって、前途が見える4周年となった。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

9条の会・こがねい 3周年記念 「みんなのつどい」2008年度総会
日時 2008年12月7日(日)
場所 前原集会所1階A会議室(市役所本庁舎前)
報告  会の結成3周年に当たる「みんなの集い」が去る12月7日に前原集会施設で開催され、40人を超える出席があり、多くの方々の発言があって、とても有意義な会議となりました。

《確かな活動、さらに広く、深く》
 会議では、池末代表から挨拶と当面する情勢についての報告があり、世話人会から、過去1年の活動の報告、これからの運動の提起があり、世話人会から、過去1年の活動の報告、これからの運動の提起があり、その後十分に時間をとって参加した会員から活動経験や意見が数多く出されました。これらに基づいて、この1年の会の運動や会員の活動が確かなものであることをみんなで認め合い、これに自信を持って今後さらに進めていくことが了承されました。
 詳細な報告や提起は会議資料や記録にまとめてありますので、必要なときに紹介しますが、それらの要点は次のように要約できます。

○これまでの運動に自身をもって、さらに広く、深く活動すること
○多様な機会、形態でもって、9条の会の運動により多くの参加をめざすこと
○戦争体験を若い年代に引継ぎ、また情勢や動向をより深く学んでいくこと

とくに、運動の実際にあたっては、
・9条の条文を守るだけでなく、それを生かすことを目指して運動する
・重要な運動だが、それを楽しく、一人で少しずつでも実行する
・平和の9条とともに生存保障の25条の権利を守る活動も大切にする
お問合せ 9条の会・こがねい 小山 Tel 042-383-6075

 

町田南地域九条の会 2008講演と文化のつどい
日時 2008年11月23日(日)
場所 つくし野センターホール
報告  11月23日、町田南地域九条の会の「文化と講演のつどい」が行われました。会場となったつくし野センターホールには、主催者が用意した座席いっぱいの150名が集まり、文化行事を楽しみ、講演に耳を傾けました。

《地域の顔に親近感》
 第1部の文化行事には「サルビア合唱団」、市内の反戦詩人グループ「ポエム・マチネ」、そして「町田南地域九条の会音楽グループ」のメンバーが出演しました。
 オープニングは2名の青年による楽器演奏、プログラム最後の全員合唱「この町から」の歌唱指導はサルビア合唱団の鈴木徳之さんが担当しました。
 参加者は「地域の顔、なかでも若い人たちがいて良かった」といっていました。

《人間の目で見ることの大切さ》
 第2部は講演。経済同友会終身幹事の品川正治さんは、文化行事で示された平和への「熱い思いに応えてお話したい」として、戦争と人間、政治・経済との関係を自らの戦争体験などを踏まえて話しました。
 戦争を起こすのも人間、防ぐのも人間、だから、9条の旗をにぎって放さない国民に未来がある、そして、経済も人間の目で見れば、今のように若者や国民を苦しめることはできないはずだ、と述べました。
 青年に感想を聞くと「品川さんの話、すごく良かった」「よく分かった」といい、「つどい」全体についても「明るく、パンチがあった」と答えました。誘われて伊東市の九条の会から来た人は、文化行事を含め「九条の会の運動の原点を見せていただき、教えられること少なからずありました」と感想文を書きました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

立川 幸町9条の会 結成1周年記念集会 
日時 2008年11月16日(日)
場所 こぶし会館
報告  「幸町九条の会」は結成1周年を迎え、11月16日、こぶし会館で記念総会を行いました。

《地域九条の会がますます重要に》
 「会」代表の福田さんの開会挨拶につづき、「立川九条の会」の加藤敏治さん、「若葉町九条の会」の北村寛子さんからご挨拶をいただきました。
 福田さんは「みなさんの協力のもとで、ニュースを毎月発行してきたこと、7月9日を皮切りに毎月9日に玉川上水駅前で横断幕とのぼりを掲げチラシ配りの宣伝活動を続けていること、そして「会員」が200名余と昨年結成時から倍増したこと」を報告。「しかし改憲の動きは執拗で、地域九条の会の役割はますます大切」と結びました。加藤さんは「いま、全国で7000を超える九条の会が広がりを見せていること、また、立川九条の会で月1回の立川駅北口での活動などで署名が50000筆にも達した」ことを報告。「なによりも”継続は力なり”の活動が重要です」と強調。また北村さんからは「市内の戦跡を訪ねたお話や、みんなで寸劇を考えているが、幸町とのコラボはどうですか」と提案されるなど、若葉町スタイルでの活動が紹介され、ともに励ましとなる連帯の挨拶でした。

《9条の精神を若い人に伝えるには》
 記念講演は「9条の精神を若い人にどう伝えるか」と題して、「会」代表で武蔵野大学教授の松村武夫さんが講演。「実は私の職場でもいま九条の会の集まりをもとうではないか、といった動きが出ているのです」と切り出した村松さんは「私は、国文学が専門なのでそこからテーマに近づける形でお話したい」としたうえで、お伽噺「桃太郎」をとりあげ「桃太郎話が出来上がったのが秀吉の挑戦征伐の頃だが、さらにそれが明治維新以降になって大きく変わった」とし、「桃太郎話について福沢諭吉は『桃太郎が悪人の鬼を懲らしめたのであればそれはよいことだが、宝を取り上げて持ち帰ったのはただ欲のためで、卑劣千番』と批判している」と紹介。「学生相手の授業では、こうした話のなかで”侵略”といったことにつなげている」「しかし、さいきんではこうした話もなかなか学生にはすんなり伝わらない。やはりいまの現実と絡めることが大切で、どういう話ができるか、苦労しています」など、柔らかい口調で、学者ならではの切り口で語られました。
 ついでDVD「イラク 戦場からの告発」を視聴。クラスター爆弾で両足を切断されたうえ、無数の破片を体に埋め込まれた被害者、劣化ウラン弾で大きながん腫瘍を抱え苦しむいたいけな子どもの姿などが次々に映し出され、この地球上で、現実に行われている”戦争”の悲惨さに、一堂息をひそめ、会場静まり返りました。
 最後は、「若葉町九条の会」の輪島恭子さんの指揮・始動、ピアノ伴奏で日本の歌を力強く合唱し、「会」代表佐々木さんの閉会の挨拶で終わりました。
お問合せ 幸町9条の会

 

第39回 調布「憲法ひろば」
日時 2008年10月12日(日)
場所 あくろす2階研修室
報告  調布「憲法ひろば」の10月例会(第39回例会)は、世話人の鈴木彰さんが発題。9月例会「シッコ」上映会に続けて、私たちの生活に最も密接に関わる社会保障の問題を、憲法の視点から取り上げていただきました。鈴木さんの熱弁に22人の参加者からも多様な発言が相次ぎ、活発な議論が交わされました。

《新旧憲法のせめぎ合いだった戦後史》
 ――侵略戦争を梃子(てこ)に「富国強兵」をめざした「帝国憲法」は戦後の民主主義と平和への願いによって命を絶たれたが、「復活」への動きは絶えることなく、戦後史は二つの憲法のせめぎ合いだった。
 1945〜75年は、逆流もあるが国民ぐるみで新憲法を社会のものにしようとした時代で、労働運動でいえば、前進につぐ前進を遂げた時代。73年には25%、74年には30%の賃上げをかちとった。ここで資本の巻き返しが起こり、日経連は「賃上げガイドライン」を出して75年の賃上げを13%に抑え込んだ。これ以後今日まで賃上げ率は前年を上回ったことはない。労働戦線の分断、政界の再編も行なわた。90年代に入るとこれに国策が乗り出してくる。社会保障を削り、労基法も改悪し、リストラを進める法律が次々につくられた。「金融再生法」もそのひとつ。こうして現在のルールなき雇用ができあがった。
 しかし直近の3年間は、地域レベル・世界レベルでの反撃の確かな兆しがみえてきている。全国7000を超える「九条の会」もそのひつ。あの輝かしい労働運動が、資本の巻き返しにもろくも敗退したのは、運動が一部の組織労働者だけにとどまり、未組織労働者や地域に根ざしたものにできなかったことにあるとすれば、立場や意見の相違を超えて、一致できる点で連帯することがいかに必要かがわかる。これが「九条の会」の精神だと思う。

《9条と25条は一体のもの》
 ここまで一気に話した鈴木さん、「だから私の見方考え方も一つの意見」と断って、労組活動家としての「生涯をかけてつくった」という貴重な資料を披露。社会の仕組みが大企業と軍事優先に改変されてきたプロセスを数字で鮮やかに示してくれた。
 例えば1970年と80年とを比べると、企業の取り分は勤労者の生活向上を考慮したものになっていたし、保険料は引き上げられても社会保障の拡充につながっていた。これに対し90年と2005年とを比べると、GDP62兆円増に対し、大企業の内部保留は93兆円増、逆に法人税は7兆円減。所得税・消費税も7兆円減だが保険料が17兆円増で、自己負担を旨とする「小さな政府」への転換が際立っている。
 そして軍事費は増え続ける。92年の宮澤・クリントン会談以来、アメリカから「対日要望書」が毎年出され、これに応えてついに一日一億円を費やす自衛隊イラク派兵にまで至った軍事費増は、専ら社会保障の切り捨てで賄われてきた。02年以来、社会保障への国庫負担が毎年2200億円も抑制されている。
 今、9条改悪の企みは頓挫しているようにみえるが「社会保障と雇用ルールの破壊で、改憲のための経済的条件が出来上がっていることに注意しないといけない」と鈴木さんは強調する。

《人間を置き去りにした経済は滅びる》
 ここでお得意の小噺を一席 ― やみくもに金儲けに精を出してきた男、たまると使うのが惜しくなり、使用人をすべてクビにした。女房も要らないと里に返し、一人になって沈思黙考、やおら立ち上がると帯を解き、梁にかけた・・・何やら今の世の中に似ているのでは? 
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

あきる野9条の会 秋の学習会
日時 2008年10月5日(日) 
場所 あきる野市中央公民館 3階 音楽室
報告  あきる野9条の会は5日、あきる野市中央公民館において秋の学習会を開催し42名が参加しました。

《派兵恒久法のねらいを学ぶ》
 学習会では、DVD「イラク 戦場からの報告」が上映され、沢田研二さんの新曲「我が窮状」がビデオで紹介されました。三多摩法律事務所弁護士の吉田健一さんが「海外派兵恒久法のねらいと改憲の動き」と題して、海外派兵をなさざる決議を行い発足した自衛隊が、PKO法、テロ特措法、イラク特措法と海外に派兵されるようになり、いままた海外派兵恒久法が企てられていることをその内容とともに詳しく講演しました。
 参加者は「憲法九条がありながらも、解釈を変えて自衛隊が海外派兵されていく状況が良く理解できた。九条を守るためにこうした法案にも反対しなければならない」「総選挙が近いといわれているが、(自民党と民主党)どっちが勝っても恒久法が作られる危険性がある。選挙は慎重に選択しなければならない」「ジュリーの『我が窮状』はとても良かった。有名人も声を上げているのに勇気が出ました」などと話していました。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

第37回 調布「憲法ひろば」'08夏合宿 
日時 2008年8月24日(日)〜25日(月)
場所 八王子「大学セミナーハウス」
報告  調布「憲法ひろば」の第37回例会は8月24〜25日、恒例の「合宿」形式で開催。八王子の「大学セミナーハウス」に雨をついて28人が参集しました。日ごろニュースの送信などで交流している小平・八王子・世田谷・港などからの参加も得て、討論は全都的なレベル?で盛り上がりました。

《いま起きてる事で見抜けないことは一つもない》
 「九条の会」事務局長の小森陽一さんが基調講演。刺激的な提起に拍手が続きました。開口一番「はじめて呼んで頂いてありがとう、遅すぎた感はありますが」と笑わせてから、すぐに弾丸のごとく主題に入り、やや早口でとぎれることなく憲法をめぐる情勢と課題を展開しました。

《2008年の憲法をめぐる状況》
 『5月の「9条世界会議」は9条の世界への広がりを実感させた。「朝日」の世論調査は「憲法を変えない方が良い」が66%、9条に限れば8割、20代でも7割との結果。象徴的なのは「読売」の世論調査で15年ぶりに「変えない方が良い」が多数派になったこと。』
 こう切り出した小森さんは「庶民の力は歴史を記憶し忘れないこと」と強調。15年前の93年を振り返ります。その年に自民党は「小沢の乱」で分裂。成立した非自民細川野党連立内閣が小選挙区制を導入した。今の若い人は小沢を野党党首としか認識していないが、彼はずっと自民党の中心的人物だったし、彼の派兵恒久法構想はずっと変わっていない。これは自民党政権のままでは説明できないから別の政権をつくって実現する構想。この政界再編はアメリカから与えられた小沢の使命。
 04年5月に「読売」が改憲試案を出し、「憲法を変えた方が良い」が65%との世論調査結果も発表した。危機感を募らせた加藤周一氏ら9人が「九条の会」を結成し6月10日に記者会見したがほとんど報道されなかった。そこでメンバーが日本中の講演会で人びとに直接訴えた。05年に全国で2000の「九条の会」が出来、現在は7000を超えている。世論が「憲法を変えない方が良い」に変わるのに「九条の会」の力が大きかった。去年7月の参院選でこの世論が自民党を追い込み、安倍首相の政権放り出しにつながった。そして大事なことは、この世論は、メディアに左右されたものではなく、人びとが自分の意思で示した固いものだということだ。

《「変えない方が良い」から「変えてはならない」へ》
 草の根の意識をより確かなものにしていくには、明文改憲勢力がどのような国にしようとしているかをつかむ必要がある。
 自民党の「憲法草案」は9条2項を削除し「自衛軍」保持を明記する。「自衛軍」になると何が起こるか?「戦争放棄」が「安全保障」に変えられ戦争が前提に変わる。9条3項に「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」と書き、国連加盟国の軍隊なら、例え日本一国でも軍事行動がとれ(国連憲章42条)、安保理が必要な措置をとるまでの間は、アメリカの戦争に加担出来る(同51条)ようにする。また緊急事態で公の秩序を維持し、国民を保護するため(「すでに国民保護法」が成立)、国策に背く市民を軍事裁判所で裁くこともできる(自民案76条3)ようにする。「公の秩序に反する」とは、国民の要件(帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって守る責務)を放棄したと見なされる場合だ。
 つまり「自民党憲法草案」は治安維持法体制も組み込んで、日本軍をアメリカの世界戦争の道具にすること。従来のアメリカの戦争は日本のカネで行ってきたが、今後は日本の人員(自衛軍)を使うということだ。

《21世紀の世界と憲法9条》
 「6カ国協議」によって朝鮮戦争を終わらせることが東アジアのみならず、世界の平和構築に寄与することになる。9条が世界的に認知された今、私たちが9条を守り抜けば、そこから展望が開けるはず。
 ・・・・語り終えた小森さんは、「9条と25条は一体であることを知らせていくなど、日常的な活動を通して9条を考えることが大事。あらゆる日常活動が9条につながる。」と話を締めました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

東久留米 前沢・南町九条の会 8月15日を語り・体験する会
日時 2008年8月23日(土)
場所 南町地区センター
報告  8月23日(土)、南町地区センターに、21名が参加し「8月15日を語るつどい」を開催しました。

《それぞれが語り合った「8月15日」》 
 語り手は児童文学作家で南町在住の高田桂子さん、憲法ミュージカルにとりくんだ中学生の原まりこさん。
 高田さんは1945年8月14日、広島生まれ。絵本の朗読含め、平和への思いを語っていただきました。とりわけ、みんなに伝える人がいて、今の私たちがいる。そうした連鎖の一つでずっとありつづけたいと述べました。

 フリートークでは、それぞれの体験から、貴重な、感動的な発言が続きました。
「きょうだいでも終戦時の境遇、感じ方は違う。伝えることは大事」「引き揚げ体験の飢えと絶望と恐怖はもうイヤ」「原水禁大会参加の半数が若者となり、変化が生まれてる。」「多磨全生園のハンセン病患者の強制収容は、満州事変の年、1936年、15年戦争のはじまりの年。人権抑圧、差別と戦争は密接不可分。しかし、日本は、戦争も強制隔離も反省していない。」「人が死ぬのは怖い。でも戦争の怖さは身近なところのものとして感じたい」「イラクの戦争もアメリカの軍事産業のためと聞く。」「チャップリンの「殺人狂時代」で、「一人殺せば殺人者、大量殺人は英雄だ」の言葉が怖い」「若い感性はすごい!」「戦争の犠牲者はいつも弱い人たち。どう語り継いでいくか、私たちの責任だ」「焼け跡で、男だか女だか、子どもだか大人だかわからない消し炭のような死体をみた。いまでもサイレンや花火などの音を聞くと恐怖感を感じる。」「8月15日、「今日から寝られる。もう防空壕に入らなくていい」と思った。」
お問合せ 前沢・南町九条の会

 

町田南地域九条の会 日吉台地下壕見学会
日時 2008年7月26日(土)
場所 慶応義塾大学日吉キャンパス内
報告  7月26日、つくし野駅に集まってあざみ野経由で日吉へ。「町田南地域九条の会」の一行7名、日吉駅にはすでに大勢の他の団体の方々も集まっていました。

《戦争遺跡を後世へ》
 帝国海軍最後の司令部がついに陸に上がって、しかも、地下に潜る末期的な情景がどのような姿で残っているのか?終戦時、国民学校6年生で7つボタン予科練に憧れて、海軍は陸軍と異なって海外情報に強いハイカラ集団というイメージを持っていました。
 保存会の方々の案内で、30度を超える猛暑の中、いよいよ慶大日吉キャンパスの中へと歩き出しました。
 戦前遺産の大東亜共栄圏のモニュメントがある第1校舎とグランドの間、まだ日吉にこんな自然が残っているのかと思われる坂道を下って右に折れると地下壕入口がありました。ガードマンが見守る中、入壕の注意説明を受け、狭い入口から入ると、いきなり急な下りスロープが続きます。30度以上の外気から湿った地下の冷気を感じました。濡れて滑りやすいので、懐中電灯で自分の足下を照らしながら、一歩一歩注意して歩く。所々に敷いてある鉄板(水路のマンホールか)を踏みつけると、跳ね返る音が壕中に響きわたります。
 案内地図以上に複雑な迷路だ。奥に進むにつれて天井が高く、巾も広い空間が現れる。徴用された労働者の、突貫工事の苦労の跡が偲ばれます。配線跡の碍子だけが天井にところどころ残っています。戦後、朝鮮動乱時に自由に出入りできたので、電線類は持ち去られたとのことで、何も残っていない。また、当時の学生の陰の憩いの空間だったらしく、落書きが目立ちました。立派なコンクリートで作られた司令長官室前を通って、最も広い作戦室(巾4m、高さ3m、長さ20m)に到達。案内の保存会の方々の説明を受ける。中心部は昼間のように明るい蛍光灯、トイレは水洗だったとのことでした。元の地下道を通って最後の登り坂を出ると猛烈な熱気、一瞬、眼鏡が外気の湿気で真っ白になりました。

 2番目の見学地である寄宿舎へ移動する。途中、地上に残る地下壕の茸型、竪穴抗を見て、連合艦隊司令部の入った3棟の寄宿舎に向かう。残念ながら寄宿舎は現在も学生が使用中で、近くで見ることができなかった。谷口吉郎氏設計の名建築(今も昭和を代表するモダン建築)です。日吉校舎のいちょう並木の広場で、保存会の長老、新井揆博(みちひろ)さんによる今後の活動として是非、寄宿舎を含む地下壕を平和ミュージアムとして保存したいとの強い訴えがあり、見学会は終了しました。戦争遺跡を後世に残し、風化させないように猛暑の中を活動を続けておられる日吉台地下壕保存の会の皆様に感動いたしました。
 今年5月に、枕崎にある第2連合艦隊(大和、軽巡矢矧)の慰霊やはぎ碑をお参りする機会があり、はるか2百キロ沖合での悲しい戦いの指令が63年前にこの地下壕から発せられたその場所に立っている自分を感無量で見つめておりました。一行、脱水症状を癒すため、日吉駅前の居酒屋でつくづく平和の有り難さを痛感し、語り合いました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第36回 調布「憲法ひろば」 
日時 2008年7月24日(木)
場所 あくろす2階 「会議室」
報告  調布「憲法ひろば」の第36回例会は7月24日夕、あくろす2階研修室に20人が参加して開催。世話人の1人で多摩女性学研究会の石川康子さんから「ジェンダーの視点から見た日本国憲法」と題してお話を伺いました。石川さんは、改憲派が憲法9条とあわせて24条を標的にしていることを女性の立場から解明しました。

《ジェンダーとは?》
 まず石川さんは、「人権意識は鋭いが『ジェンダー』には弱い『憲法ひろば』のみなさんのために」とチクリ!「ジェンダー」の意味から話しを始めました。ジェンダーは「社会的性差」と言われるが、「ジェンダーバイアス」(男らしさ・女らしさの思いこませ)と言う方が分りやすいでしょうと語りました。

《「男女平等」から「男女共同参画」へ》
 日本では「男女平等」(憲法第14条・第24条)がいまもって課題になっています。石川さんは、これを世界と比較しながら話しを進めました。
 85年からの「国連婦人の10年」の中で女性の地位向上の施策が追求され法制化が進められますが、成立した99年には風向きが変わっていて「男女平等はもう達成されている」との建前で「男女共同参画社会基本法」となり、これが地方自治体で条例化される中で、男女の特性に応じた共同参画(子どもを生み育てるのは女性)が叫ばれて、ジェンダーフリー・バッシングが始まりました。
 第24条は日本の「家」制度に束縛されている女性の解放を念じてべアテ・シロタ・ゴードンさん(当時22歳の女性)が起草したものでした。原文は8条に及ぶもので「婚外子」の差別の禁止、母性の手当、教育の機会均等、恵まれないグループの保護についても述べられていました。

《「家」制度と戸籍》
 日本の現実は「家」を「戸籍」と言い換えただけの制度が続いています。大化の改新以来「公地公民」の「公」は「天皇の」を意味しました。氏(ウジ)と姓(カバネ)は天皇が与えたもので、与える側の天皇には名字がありません。天皇の配下の「戸籍」ですから外国人は記載されず、「婚外子」は嫡出子と区別され、「男」「女」と記載されてきました。出生届けにこの区別があるのです。「子どもはすべて平等に扱われなければならない」ということと「日本に生活する決意のすべての市民が日本国籍であってしかるべきだ」という世論をつくっていくことが憲法の今日的課題だと思いました。

*用語解説:戸籍と住民票*
 地方自治体が独自に住民を把握するために51年に住民票がつくられました。これは本来国の管理する戸籍とは関わりないものですが実際には連動して処理されており、住基ネットの導入と共に新たな人権侵害を引き起こしています。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

立川 幸町9条の会 例会 
日時 2008年6月28日(土)
場所 幸町学習館
報告  6月28日(土)午後2時から幸町学習館で「例会」を開催、17人が参加しました。

《チベット問題を学習》
 「幸町九条の会」ののぼり旗と横断幕を飾ってのお披露目も。
 お隣の若葉町にお住まいの日本中国友好協会理事長大田宣也さんから「チベット問題」についてお話をしていただき、そのあと日本電波ニュース社制作のDVD「軍需工場は、今」を視聴しました。
 長年「中国」と交流を重ねてこられた大田さんのお話は、問題の要点を押さえ、とてもわかりやすく、参加者から「チベット問題とは、解決の道は、などとても勉強になりました」、またDVDも「平和憲法のもとでアメリカと一体になって軍備を拡大する様子、その工場でたたかう労働者の様子など日本の現状を知ることができました」と大変好評でした。
お問合せ 幸町9条の会

 

町田南地域九条の会 座禅を体験してみる会
日時 2008年6月25日(水)
場所 曹洞宗龍谷山東雲寺
報告  6月25日午前9時に、掃き清められた東雲寺に予想を超える17名の方がたが集まった。

《感銘覚えた座禅と講話の会》
 本堂で柚木祖元師から読経と座禅の初歩的な説明があった後、坐禅堂に移り、坐禅が始まった。姿勢、呼吸法、視線など、ご住職の説明どおりにしようとしているうちに、20分余の時間が経過し、坐禅は終わった。また本堂に戻り、レジメが配られ、それに基づき、一時間余りの講話が始まった。
 曹洞宗が戦争に協力した過ちを反省し、二度と過ちを繰り返さないことを誓った懺謝文が紹介された。2頁にわたるこの文の最後に「過去の日本の圧制に苦しんだアジアの人々に深く謝罪し、権力に組みして加害者の側に立って開教にのぞんだ曹洞宗の海外伝道の過ちを心より謝罪するものである。」と述べてあった。一日も早く、戦争に対して、このような心を打つ反省と謝罪を行える政府をつくりたいと思った。

 戦争末期、日本の兵力確保を目的とした学童集団疎開で、品川から東雲寺に疎開してきた55名の小学生、その中の4名が本堂の窓の柱に自分たちの名前を刻んでいたことが、昨年発見された。ご住職は「戦争によって苦しみ悲しむのは、いつも弱い立場の者たちだ。62年前にこの本堂ですすり泣いていた子供たちの思いに心を重ねたい。」と述べられている。また檀家のご先祖の戒名の中に、「忠」や「義」という文字を使ったものがある。「そのほとんどは戦没者のものだ。こういう文字を使用してよかったのかと、僧侶として自ら問い続け、国策に迎合してきた仏教者の不明を恥じつつ、不戦の誓いを新たにし、心から冥福を祈って私は読経供養している。」と述べられている。
 「坐禅会たより」はすでに500号を超えている。その中で、人間を差別することに反対し、平和を訴えてこられた師の熱意とたゆまぬ努力にわれわれは強く励まされている。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

稲城 郷土資料室見学・勉強会
日時 2008年6月22日(日)
場所 稲城市郷土資料室(フレンド平尾<旧第8小学校>)
報告  稲城・9条の会と平尾・9条の会は共催で、6月22日に、稲城市・郷土資料室(フレンド平尾<旧第8小学校>)の見学、勉強会を開きました。

《地元の歴史と文化を再確認》
 案内役と講師は歴史学者で郷土史に詳しい、地元会員の渡辺賢二さん。参加者は、「稲城に縄文時代があった。その縄文の歴史の上に私たちの今がある」ことにロマンと誇りと親近感を持ちました。そして、@稲城のすばらしい文化遺跡・財産をより多くの市民に知らせたい、A子どもや市民がゆとりをもって見学できるよう陳列室を2倍ぐらいにし、文化財保護やガイダンス体制を整えてほしい。博物館にできないか、B他市の事例も参考にして、学校教育や市民学習を行政のしくみの中に位置づけ、稲城市の文化のレベル向上をはかる必要がある、Cこれらの実現のために、行政や議会への働きかけをしようといった声が出されました。
お問合せ 稲城・9条の会 岡田 Tel&FAX 042-379-2456

 

第35回 調布「憲法ひろば」
日時 2008年6月22日(日)
場所 たづくり10階 1002学習室
報告  調布「憲法ひろば」第35回例会は6月22日午後に、たづくり1002会議室で開催、28人が参加しました。「日米軍事同盟と住民の運動」と題し、米軍基地と対峙する現地からお2人の報告がありました。

《町ぐるみ「早期全面返還」もとめる》
 座間・相模原の久谷英郎(くや・ひでお)さんは、世田谷区でずっと中学校教員として組合活動と平和運動に関わって来られ、定年退職後の今はお住いの座間市で「キャンプ座間周辺市民連絡会」の活動に全力投球しておられます。
 キャンプ座間は座間市と相模原市にまたがっており、騒音被害やヘリ墜落の危険にさらされ、広大な相模総合補給廠によって交通の不便を強いられている上、米軍再編に伴って米陸軍第一師団司令部の移転計画が浮上、着々と進められています。冷戦終了後多極化した紛争地域のどこにでも対応できるようにするのが目的。2012年までには陸上自衛隊中央即応集団司令部もここに移され、自衛隊と米軍の一体化を一段と進める計画です。すでに6月23日から27日まで米軍と自衛隊合同の基地防御訓練が予定されているとのこと。このような状況に対して座間・相模原市では、「戦車に轢かれても反対する」と言った故小山市長をはじめ、代々の市長と市民が一体となって基地反対運動を闘ってきました。その結果近く一部が返還になるのですが、なんとそれが有償だというのです!「三分割方式」といって、国・県・市が負担するとか。これには参加者も納得できず質問が続きました。

《「住民投票YES」で5万2417筆の署名》
 横須賀の瀧川君枝(たきがわ・きみえ)さんはこどもに安全な食品を与えたいと生協活動をする中で、食の安全も平和なしにはないと気づき、昨年4月からは市議として原子力空母配備反対運動に関わっている方です。
 08年配備予定が発表された05年から反対署名に取り組み、47万筆の署名に市も初めは反対の姿勢をとっていましたが、次第に容認に転じ、すでに「再編交付金」5億8400万円が交付されました。これに対して市民は配備への賛否を問う住民投票の直接請求運動を行い、法定必要数をはるかに上回る5万2417筆を集めましたが、議会はこれを否決しました。意外なことに、横須賀は主な基地活動が海上なので、市民の目に見えず、交付金などの利益の方が意識されているとのこと。今回の直接請求が多数を集めたのは、「ノー」という運動はいやだという若い世代の声に応えて「原子力空母反対」ではなく、「住民投票イエス」と主張したこと、安全性の問題を訴えたことだというのが瀧川さんの分析でした。
 7月13日に横須賀で行われる全国大集会には是非参加して「横須賀が基地の町らしくないことをみてほしい」という言葉に、運動の抱える複雑さがうかがえます。

《自衛隊がアメリカ軍の一部になっていく!》
 たくさんの写真パネルやDVDを使っての現地からのお話に、自衛隊が米軍にどんどん統合されていく様を実感し、慄然としました。沖縄をはじめ全国でこのプロセスが着々と、それも想像以上の速さで進んでいるのです。
 最前線の地域の人たちにだけ苦労させていてはいけないと思いました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

調布 国領・染地9条の会(準備会) 「憲法九条を考えてみませんか」
日時 2008年6月1日(日) 
報告  調布市の国領・染地9条の会(準備会)は、6月1日、「憲法九条を考えてみませんか」と呼びかけた集いを市内で開き、約20人が参加しました。

《地域で九条を守る運動を》
 同市在住の荻窪弘さんが「わが町国領にも空襲があった」と題して、太平洋戦争中に空襲や米軍機の機銃掃射を受けた体験を語りました。米軍爆撃機B29が、1945年4月に墜落するのを見ていたと紹介し、「戦争をやってほしくない。憲法九条を絶対変えてはならない」と述べました。
 高部優子さんは、5月の「九条世界会議」の様子を紹介しました。参加者は「地域で九条を守る運動を広げたい」などと語り合いました。
お問合せ 国領・染地9条の会(準備会)

 

あきる野9条の会 結成3周年記念学習会
日時 2008年5月31日(土) 
場所 中央公民館 第7・6会議室
報告  あきる野9条の会は結成3周年事業として、5月31日、あきる野市中央公民館において学習会「田中正造と憲法九条」を開催し、62名が参加しました。

《足尾鉱毒事件・田中正造の平和思想はどこから生まれたか》
 初めに、あじさいの会によるコミカルな「あきる野賛歌」と厳粛な「日本国憲法前文と九条」の群読が行われました。
 続いて、宇都宮大学名誉教授の梅田欽治先生が「田中正造の平和思想と日本国憲法九条」と題して講演しました。実直な人間であった正造の平和思想は、自らの体験と足尾鉱毒との闘いの中で、民衆の立場に立って生まれ発展させられたことを解明しました。鉱毒事件の起きた栃木県谷中村に移り住み、政府に家屋を強制破壊された時期に、ハーグ万国平和会議に軍備全廃を提案する行動を行ない、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と憲法九条に通じる「無戦主義」にいたった経過を詳しく話しました。最後に、今、地球環境を守るためにも憲法九条を守ることが求められていると講演を結びました。
 参加者からは「とても分かりやすい話で、田中正造の平和思想が理解できた。人類が平和に暮らすためには憲法九条を守り、生かす運動が必要なことを痛感した」「民主主義とか人権とかが知られていない時代に、よくこれだけのことを考えたと感心しました」「当時の話を現代に結び付けて話していただいたので、よく分かった」などの感想が寄せられました。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

立川 軍都立川戦跡を訪ねるウォーキング
日時 2008年5月24日(土)
集合場所 立川駅南口 コンコース
報告  飛行場や航空機工場などが集まり、戦前戦中は首都東京の一大軍事拠点だった立川市で、スポーツ9条多摩の会が24日、戦跡を回るウォーキングを行いました。

《戦跡をウオーキング》
 「多摩地域の戦時下資料研究会」の楢崎茂彌さんの案内で、25人の参加者が体を動かしながら学びました。
 最初に訪れたのは富士見町の「山中坂のお地蔵様」。ここは、1945年4月4日未明の空襲で飛行機工場を狙った爆弾の1つが誤って落ち、防空壕に避難していた子ども32人を含む42人が犠牲になった場所です。参加者は地蔵堂の前で黙とう、碑に刻まれた犠牲者の名前をたどりました。
 楢崎さんは、戦争の拡大とともに航空機関係の工場や研究所など軍需関連施設が急増し、立川が軍都に変わっていった経過を地図を使って解説。旧陸軍の立川航空廠(しょう)があったJR青梅線の周辺では、軍事施設の遺構を見学しました。朽ちかけた航空廠コンクリート塀へ、「航空支庁前踏切」という名前に、参加者は戦争があった事実を実感していました。
 隣接する国立市に40年住んでるという松岡勉さんは「立川に基地があったことは知っていましたが、これほど軍需工場などが密集していたとは」と驚きの様子でした。あきる野市の森良太さんは「平和の大切さを伝える貴重な遺跡でした。運動しながら学習できたのがよかった」と話しました。
お問合せ スポーツ9条多摩の会 永井 Tel&FAX 0428-78-7508

 

立川・若葉町9条の会準備会 勉強会
日時 2008年5月11日(日)
場所 若葉会館 集会室兼休養室1・2 (東都連絡所・若葉図書館2階)
報告  「憲法九条は日本の宝。世界の宝。九条を生かそう!の声を若葉町からも」と、「立川・若葉町九条の会」発足に向けて11日、若葉会館において勉強会が行われ、35人が参加しました。

《沖縄戦から学ぶ「戦争の本当の姿」》
 講師の歴史教育者協議会委員長の石山久男氏が「戦争の本当の姿・・・沖縄戦と向き合って」と題して講演しました。戦後、教師になった石山氏は憲法遵守の誓約書を提出しましたが、そのとき、心から、憲法に則った教育をと誓ったそうです。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を抹殺し、憲法改悪に魂を入れようとする政治勢力の圧力が強まる中、今こそ九条を守る活動が必要と訴えました。参加者からは、沖縄での戦争実態がよく分かった、との感想が出されました。また、今日にでも発会して運動を広めた方がよいとの声も出て積極的で熱気ある準備会となりました。
お問合せ 北村 Tel 042-534-6825  谷村 Tel 042-535-1235  遠藤 Tel 042-536-2227
天野 Tel 042-535-3516  平間 Tel 042-535-4167  松岡 Tel 042-536-4761 

 

立川九条の会 3周年のつどい 「ひろげよう憲法9条のこころ」
日時 2008年4月26日(土)
場所 多摩教育センター ホール 
報告  4月26日、立川九条の会が「広げよう憲法9条のこころ 立川九条の会3周年のつどい」を開きました。悪天候の中、300人を超す方々が参加しました。

《アジアの文化を楽しんで》
 代表委員の榎本信行さんの開会挨拶の後、第1部の文化プログラムのトップバッターとして、フィリピンの従軍慰安婦問題をテーマにした憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」の特別版が演じられました。本公演がなおいっそう楽しみになる舞台でした。続いて、日中友好残留孤児虹の会、大会グループのみなさんの歌舞は少数民族の踊りを含めてのパフォーマンス。最後は、コール華・ヘバラギによる美しい合唱で朝鮮の歌を楽しみました。会場からの拍手に応えてのアンコールもありました。

《日本人の平和意識、歴史意識とは》
 第2部では、一橋大大学院教授の吉田裕さんの「憲法九条と日本人の平和意識、歴史意識」と題する分かりやすい記念講演がありました。さまざまな局面の日本人の戦争や平和に対する世論調査の資料を提示して分析し、九条を守る意義を強調したお話をされました。アジア諸国民や日本国民に未曾有の犠牲を強い、兵士の半数以上が餓死したと思われるあの悲惨な戦争が、戦後の日本人の反戦意識の根源になり、平和憲法がその確かな保障になったこと、今日の改憲策動を自民党・民主党の戦争を知らない若手議員が中心になっていることの危険性などが指摘されました。最後に、今日の日本国民の意識の特徴点を捉え、いままで国民の多くが向き合わなければならないはずの歴史から逃避してきたと感じている、ここに今日の閉塞した時代状況と何らかの関連があると感じているように思われる、と結びました。 
お問合せ 立川九条の会 加藤 Tel 042-537-2217 

 

立川 2008 三多摩憲法のつどい
日時 2008年4月25日(金)
場所 立川市女性総合センター アイム 1階ホール 
報告  「三多摩憲法のつどい」が、4月25日、立川女性総合センターで開催され、160余名が参加しました。

《25条の生存権を活かした運動を》
 今年は「あなたには貧困が見えますか?」と題し、反貧困ネットワークで活躍中のNPOもやいの湯浅誠さんと首都圏青年ユニオンの河添誠さんによる講演と対談で行われました。
 お2人のお話で、ネットカフェ難民などの実態、そうした若者が将来に希望を持てなくされていること、また貧困は自己責任ではないことも明らかにされました。貧困層の置かれている現状や若者の労働現場の実態についての話を聞き、特に貧困層にある若者を取り巻く環境の問題を痛感させられました。
 また、憲法というと、これまで9条の問題として取り上げられることが多く、9条と25条の生存権がセットで語られることはほとんどありませんでした。しかし、両氏の講演を通じ、規制緩和による非正規不安定雇用労働者の増加と共に広がる今日の貧困問題を捉え直させられました。「お金のため、人間としての最低限度の生活を送るために軍隊に入る」「戦争が国家による貧困ビジネスとなる」、そんな将来になりかねない事態に陥っていることがよくわかり、私たちにできることとして、9条の問題を25条の生存権を活かしていくという視点からも考える、そのことの重要性を参加者で確認し合うことができました。
お問合せ 2008三多摩憲法のつどい実行委員会 Tel 042-524-4321 (三多摩法律事務所内)

 

第33回 調布「憲法ひろば」
日時 2008年4月23日(水)
場所 たづくり北側道路 集合
報告  調布「憲法ひろば」第33回例会は、マイクロバスを借りきっての「バスでめぐる横田・砂川」でした。24人が参加して東京周辺の基地をめぐりました。

《新緑の中に確かめた戦争の愚かさと平和の大切さ》
 案内役は富永信哉さん。立て板に水のごとく、しかも簡潔でわかりやすい解説を聞きながら、車窓より旧米軍調布基地、府中基地(現自衛隊府中駐屯地)跡を見て、旧陸軍立川飛行場・旧米軍立川基地跡へ。立川市の防災施設の他、自衛隊、内閣府、国土交通省など国の施設が建ち並び、関東大震災並の地震等で首都機能が麻痺した際は、すぐにここへ移転するシナリオが作られているという。


《砂川に吹く風は爽やかでした》
 多摩地区が変貌をとげはじめたのは1931(昭和6)年の満州事変以後。当初、民間機用に作られた立川飛行場は、1933年には民間機はすべて追い出され軍専用に。35年に陸軍航空技術研究所をはじめ陸軍航空工廠など、軍施設が設置され、滑走路も2000メートルに拡張され、敗戦後46(昭和21)年から米空軍の輸送基地として整備された。50年に朝鮮戦争が始まるとジェット戦闘機が使用できる滑走路の必要性が高まり、さらなる拡張工事が計画される。そこが砂川だった。
 55(昭和30)年、日本政府は米軍の立川基地拡張を受け入れ、基地の北側、五日市街道ぞいの接収にあたったが、砂川町長や町議会は反対を表明。労働組合、学生らの支援を受けて反対運動を展開した。翌56年、警官隊と地元住民、支援の労働組合、学生らが激突し、1000人以上の負傷者を出す惨事となり、政府は世論の厳しい批判を受け、測量中止に追い込まれた。その後も地元住民の粘り強い反対運動が続けられ、1968(昭和43)年、米軍はついに基地拡張を断念した。衝突の地に立った参加者は、ふきわたる爽やかな風の中に、それぞれに当時を思い起こしていました。

《横田基地 首都にこんな広大な他国の基地が!》
 再びバスに乗って横田基地へ。途中から乗車していただいた「新横田基地公害訴訟団」代表幹事の大野芳一さんに横田の現状について解説をしていただきました。
 米軍は立川基地の拡張を断念すると同時に、横田基地の機能を拡大していった。朝鮮戦争時にはB29などの米軍戦闘機が朝鮮半島に向けて出撃した。朝鮮半島で使用された爆弾の80%は横田基地から運び出されたという。60年代後半のベトナム戦争では、F4ファントム戦闘機が戦場に飛び立つ基地として重要な役割を果たした。1973(昭和48)年、日本が1000億円以上の経費を負担し、関東地方に散在していた米軍の施設を横田基地に集中するという「関東計画」が決まり、多摩地区にあった立川基地、大和基地、府中基地、調布基地(関東村)などの機能も横田に集中することになった。この計画に対し、東京都や周辺の市町は、横田基地の機能強化と恒久使用につながると反対したが、74(昭和49)年には在日陸海空三軍の調整を主な任務とする在日米軍司令部および日本や韓国の米軍を指揮する第五空軍司令部が置かれた。

 こうして面積的にも機能的にも巨大化した横田基地には、約1万人(米軍人・軍属4000人、家族6000人)の他、日本人従業員約2200人が働いている。フェンス沿いに見た基地の中には広々とした敷地にゆったり建てられた将校用の住宅(寝室4、浴室3、18畳の食堂、33畳の居間)があり、年間2000億円を超える私達の貴重な税金で賄われる米軍への思いやり予算と、年々締め付けが強化されている社会保障費削減による国民への痛み押しつけを、憤慨とともに考えざるを得ませんでした。瑞穂町にあるスカイホールの四階展望台からは、広大な横田基地のほぼ全容が春霞の中に眺められました。長い滑走路では小型機がタッチアンドゴーを繰り返している様子も見られ、これがジェット戦闘機だったらその騒音は耐えがたいものだろうと想像され、あらためて沖縄へも思いを馳せたことでした。
 訴訟団の大野さんからは、騒音公害訴訟の他、燃料流出による環境汚染(地下水汚染等)についても話を伺い、あらためて基地が存在することで起こる様々な被害影響を考えさせられました。しかも首都にこのような広大な他国の軍事基地がある例は世界になく、私達は、沖縄と共にそのことを強く意識する必要があると強く感じました。
 この後、バスは東大和南公園にまわり、市民の努力により遺された旧日立航空機変電所の空襲の生々しい砲弾の傷跡を間近に見て、戦争の愚かさを痛感しつつ、その前で無心に遊ぶ子ども達の姿に普通に生きることのできる日常を、世界中で実現しなければならないと心に誓ったことでした。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

町田南地域九条の会 第12回学習討論会
日時 2008年4月20日(日)
場所 南市民センター 第1会議室 
報告  4月20日、南市民センターで第12回学習討論会が開かれました。

《職場、暮らしに憲法生かそう》
○ 年収2百万円以下の労働者が1千万人を越え、非正規雇用労働者も全体の3分の1を越えた。
○ その一方で、労働者の平均賃金は9年連続して下がり続け、06年には435万円となり、01年と比べても19万円も低くなっている。
○ 正規雇用から非正規雇用への置き換えが進み、仕事のきつさと不安定な状態が同時進行している。

 講師の鵜養孝さん(組合専従・町田南地域九条の会世話人)の現場を知り尽くした生々しい話しと示された資料を前に、参加者は思わずうなりました。
 政府の「規制緩和」は労働行政にも及び、憲法で保障された生存権さえも脅かしています。「そういえば、自分の子供もフリーターだなあ」「いつ頃からこうなったんだろう」「働きたいときに働き、辞めたいときに会社を辞める、できればそうありたいという気持ちを大企業にうまく利用されて若者の非正規雇用化が進んだのかもしれない」などの感想も出され、参加者の熱心な討論が続きました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

あきる野 「第五福竜丸展」と「第五福竜丸のお話とピアノ演奏の集い」
日時 2008年4月13日(日) ほか
場所 あきる野市役所1階ロビー 
報告 《原水爆禁止運動の原点 ―「第五福竜丸展」開催》
 あきる野原水協は、7日から11日まであきる野市役所ロビーで「第五福竜丸展」を開催、パネル36枚と死の灰(レプリカ)やガイガーカウンター、そして当時の航海日誌(写し)などを展示しました。5日間で180名が鑑賞しました。

《平和への願いを次世代へ》
 13日には同所において「第五福竜丸のお話とピアノ演奏の集い」を開催、地元ピアニストの山下千尋さんがショパンのノクターンやジョンレノンのイマジンなどを演奏、(財)第五福竜丸平和協会事務局長の安田和也さんが「第五福竜丸・保存の呼びかけ40年―原水爆のない世界へ航海はつづく」と題してお話し、第五福竜丸を守った人々の平和への願いを次の世代につないでいくよう訴えました。集いには39名が参加しました。これらは、あきる野市教育委員会が後援しました。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

青梅九条の会 憲法連続講座 ―格差社会と憲法―
日時 2008年2月24日、3月9日、23日、4月6日
場所 青梅市民会館 会議室 
報告  昨年に引き続き、第2回目の「憲法講座」を2月から4月にかけて4回にわたり開催し、延べ153名の参加がありました。今回は憲法の持つ国民の生きる権利、教育と憲法の関係、自民党の改憲案の狙い、さらに、世界が9条の持つ平和を求めていることなどを講義で学び、交流を深めました。

《憲法は国民に、くらし・平和を保障》
各回の内容を簡単にご紹介します。

□第1回目「ワーキングプアの増大と憲法の危機」(2/24)□
 非正規労働者、ネットカフェ難民、生活保護水準以下の増大。一方では大企業の空前の利益。貧困と格差の拡大は国民の生きる権利を脅かし、憲法の土台を崩している。今こそ憲法を生活に生かすことが必要。

□第2回目「教育格差と『改憲』が目指す方向」(3/9)□
 教育基本法の改悪、日の丸・君が代問題等学校現場に起こる差別と統制。家庭の経済格差が子どもたちの進路に反映。改憲が目指す新自由主義「競争」は始まっている。子どもたちの健全な成長を保障するためには改憲阻止の連帯を。

□第3回目「自民党の改憲の狙いと、政治動向」(3/23)□
 自民党改憲案の最大の狙いは、9条2項に自衛軍を持つとすることだけではなく、国民が獲得した自由権・社会権を大幅に後退させる仕組みとなっている。軍事大国と構造改革の推進は車の両輪。いまこそ自民改憲案の狙いを正確にとらえ、運動の強化が求められている。

□第4回目「今世界は9条を選び始めた」(4/6)□
 激動の世界。南米では次々と政治革命が起こり、アジアでは紛争を軍事力によって解決しない新たな取り組みが。世界は軍事に頼らないもう一つの世界を求めている。いま世界の人々から日本の憲法9条が熱い視線で見つめられている。日本国民は自信と誇りを持ってなんとしても9条を守ろう。
お問合せ 青梅九条の会 中村 Tel 0428-31-1302

 

第32回 調布「憲法ひろば」
日時 2008年3月15日(土)
場所 あくろす3階ホール
報告  調布「憲法ひろば」は、3月15日午後に「3月例会」を開催し、市内外から77人の参加を得ました。冒頭で「沖縄から松元記者においでいただくために今回は憲法9条を愛する烏山地域の会、ジューキOB会、土建・民商・年金者組合有志などの後援と市外の方々のご参加をいただいた」と感謝が述べられました。

《基地・沖縄の現実と平和への志を語る》
 『基地被害、騒音と人権蹂躙に接して暮らす住民の苦しみを共有し「住民の目線で基地の弊害をただし、日米安保を問う」。これが沖縄基地報道の軸足です。』「琉球新報」で基地担当を9年つとめ、現在は整理部で働く松元剛記者が語る取材現場でのせめぎあいに、会場は固唾を飲みました。
 『戦後63年、施政権返還から37年、過重な基地の負担を今も負わされている沖縄では、95年の少女暴行事件以来16人が米兵の性のはけ口として襲われ、爆音のもとで生まれる子どもは最初に「怖い怖い」と言うことばを覚えます。睡眠と健康を奪われ、故郷を追われ、一家離散する人びとも絶えません。9・11同時多発テロの際は普天間基地ゲートで米憲兵が記者の額に銃口を突きつけ、カメラを奪い追い返す事件が起きましたが、これは有事の瞬間に軍事優先の牙が剥かれる現実を立証したものです。いま沖縄は、集団自決の歴史を否定する教科書検定を契機に戦後3度目の「島ぐるみ闘争」に立ち上がっていますが、検定問題は沖縄問題ではなく日本のあり方を問う問題です。』静かな言葉が胸を打ちました。

《「琉球新報」の奮闘への敬意を込めて質疑応答》
 米軍ヘリの沖国大墜落事故(04年)の際の米軍による取材妨害と規制行動を記録した映像、昨年10月の「教科書検定撤回要求県民集会」の模様を伝える「琉球新報」紙面などを示しての松元記者のお話は参加者の感動をよび、「琉球新報」の奮闘への敬意込めた質疑応答が続きました。
 息子さんがヘリ墜落現場を目撃したという吉田さんは辺野古のV字滑走路の動向を質問。沖縄出身の外間さんは「60年代からの狙いを今アメリカは実行に移しているのではないか」と実感を披瀝。長さんは「沖縄密約の他にも密約があるのではないか」、雨宮さんは「沖縄の基地面積は調布市の十倍、その密集度のイメージは?」などの問いかけをまじえて発言。田村さんは「生きるために涙を呑む現実を見て、その辛さを思った」と沖縄訪問の感想を述べながら質問しました。
 松元記者は一つづつ情報を深めながら、かつて沖縄経済の14.7%を占めた基地関係収入がいま4.6%に減少していること、基地返還後10年かけて固定資産税収を80倍にでき、失業率も吸収できた経験も生まれていると、ソフトランディングの展望を語りました。 

《9条を引き寄せ危険を押し戻そう》
 『憲法9条は、沖縄の軍事基地化と引き換えに保障されたが、今日の「日米軍事融合」と基地機能強化は9条を破壊する。沖縄からは憲法が見えます。』松元さんは日本国憲法を常に携えて仕事するそうです。9条を引き寄せ、沖縄と本土から危険を押し戻すために。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

小平 東京大空襲を語りつぐつどい
日時 2008年3月9日(日)
場所 小平中央公民館
報告  3月9日、「あかしあ九条の会・小平」は「九条の会・小平」と共催で中央公民館において「東京大空襲を語りつぐつどい」を開き、90名を越す大勢の方がご参加くださいました。

《東京大空襲の悲劇を伝える映画「戦争と青春」》
 早乙女勝元原作・今井正監督の映画「戦争と青春」は、戦争下での庶民の暮らしや学校の様子、召集令状を受け取りながら徴兵を拒否した青年と恋人の厳しい運命、そして東京の下町を一晩で焼き尽くし10万人の死者と100万人の被災者を出した東京大空襲の惨状・悲劇と、戦後何十年経っても癒えない深い心の傷について私たちに伝える、心を揺さぶられる貴重な映画でした。

《2度と戦争をしてはならない −気迫のこもった体験談》
 体験談を話して下さった仲谷虎之助さんは、当時府立七中(現都立隅田川高校)の3年生で、勤労動員で下町の軍需工場で旋盤工としてゼロ戦の部品を作っていました。3月10日未明の東京大空襲では、自宅は被害を免れたそうですが、朝になって軍需工場に出かけてみると工場は焼け落ち、消息不明の同級生たちを探して被害の激しい下町を歩くと、焼死した人が累々と横たわっていて、その様子はチョコレート色したマネキンが並んでいるようだった、この惨状は筆舌に尽くしがたいもので、私の脳裏に焼きついていますと話しました。聞いている私たちもその悲惨な情景が目に浮かび、息をのむ思いでした。
 この体験からなんとしても平和を守りたいと願う仲谷さんは、今の日本の現状についておおいに危機感を持っています。「自民党は今の平和憲法(特に9条)を変えて新憲法を作ろうとしている。民主党も海外派兵恒久法案の提出を考えている。平和憲法を守ろうとしているのは、共産党と社民党だけというのでは、とても憲法9条は護れない。この際、思想信条・主義主張を超えて、憲法9条を護る・特に海外で戦争をしないというこの1点で結集できるように、知恵を絞ってみんなで活動していきたい」と、熱をこめて話しました。昨年大病をされた仲谷さんの気迫のこもったお話に、私たちも憲法9条を護るためにさらに力を尽くさねばと思いました。
 その後、参加者の2人の方が体験談を語り、当時の状況がさらによく分かり、大空襲下の死者たちの無念さと、2度と戦争をしてはならないことを実感しました。また東京大空襲の焼き尽くし無差別殺戮を指示した当時の米極東空軍司令官カーチス・ルメイに、1964年日本政府が自衛隊創設の際の功績により勲1等旭日大綬賞を授与したことを指摘する発言もありました。
お問合せ 白井 Tel 042-344-8717

 

国分寺・小金井 輝け 憲法9条・市民集会
日時 2008年2月23日(土)
場所 東京経済大学5号館2階
報告  春一番とはいえ厳しい寒さの2月23日、東京経済大学で開かれた「輝け憲法9条・市民集会」に200人が参加しました。ユーモアの中にも鋭く世界を見つめるジャン・ユンカーマン氏の話に、あっという間に過ぎた午後でした。 

《多額の防衛費は誰を守るためのもの?》
 第一次世界大戦=10%、第二次世界大戦=50%、ベトナム戦争=70%、イラク戦争=90%。これは4つの戦争で市民を巻き込んだ殺戮の割合です。ユンカーマン氏は、こうして近代になるにつれて大きくなってきた戦争の残虐さについて話しました。
 また、日本の防衛費は今、世界で第5位。1隻が1400億円するイージス艦を6隻保有しています。2月19日未明、房総沖で漁船に乗り上げ沈没させたイージス艦は、ハワイでミサイル訓練をして横須賀港に帰る途中でした。もうすでに日本はアメリカと組んで戦争する国になっているのではないか。防衛費は日本を守るためのものではないと述べました。
 そして、この5月に日本で開かれる「9条世界会議」の事に触れて、『世界中の人々のために戦争を止めよう、平和について考えよう。重要な東北アジアの平和は、日本からアメリカの基地が全面撤退しなければ訪れない』と、日本の「平和憲法9条」を守る運動がさらに発展するよう呼びかけました。
お問合せ 「輝け 憲法9条・市民集会」実行委員会 増島 Tel 042-571-3365  小山 Tel 042-383-6075 

 

第31回 調布「憲法ひろば」
日時 2008年2月10日(日)
場所 あくろす2階 会議室
報告  2月10日、「9条世界会議によせて」と題した「憲法ひろば」の例会が27人の参加で行なわれました。

《「9条世界会議」で楽しみ、学び、広げたい【平和】への思い》
 今回は「9条世界会議によせて」をテーマに同会議の実行委員で弁護士の笹本潤さん(調布市在住)、事務局スタッフの平瀬涼子さんから、「世界会議」の主旨や特徴を聴き、調布の人たちへの呼びかけをいただきました。
 2006年にピースボートの世界一周船の旅に参加し、「平和というのは当たり前にあるというものではない」こと、自分の家族や友だちに平和で暮らしていてほしいという願いを実現するためには自分が動かなければならないこと、などを実感しました、という平瀬さん。
 そして「9条世界会議」の事務局に加わって、九条を持っていない国、紛争などで苦しんでいる国の人びとにとっては、そうした憲法の存在そのものが希望であり、理想なのだということをさらに学んだそうです。「憲法」というと、ちょっと腰がひけてしまうような若い人たちにも、「私たちは、こんなにすごいものを持っているんだよ」ということを、いろいろな切り口で工夫しながら伝えていきたいと語ってくれました。
 「憲法ひろば」の世話人でもある笹本さんは「9条世界会議」について説明されました。「9条世界会議」は今年の5月4〜6日、幕張メッセや日本の各地で行なうイベントです。ノーベル平和賞を受賞されたマイレッド・マグワイアさんやハーグ平和アピール代表のコーラ・ワイスさんなどの講演やトーク。日本からも、翻訳家であり「世界がもし100人の村だったら」などの著者である池田香代子さんなどの発言。シンポジウムや分科会。ライブハウスやシネマなどたくさんのワークショップ。参加する人びとが各地の活動を伝えるブースや販売コーナーなどなど。多彩な企画を予定していて、いろいろな楽しみ方、学び方、参加の仕方ができます。
 世界の人たちが日本の憲法、憲法9条のことをどう思い、どう考えているかを直接に聴ける機会であり、日本の活動が今どうなっているかも交流しあいながら、この「9条世界会議」から日本や世界に「武力によらない平和を!」というアピールを豊かに発信したい。こう語った笹本さんは、調布からも多くの人たちに参加してもらいたいし、ブースを設けることも考えてほしいと要請されました。

《「9条世界会議」を調布からどう支える?》
 笹本さん、平瀬さんの報告の後に、コスタリカ留学から帰られた井上さんの「特別報告」もいただきました。
井上さんは、「軍隊ではなく、対話が平和を創る」「軍事費は無駄使いで、それを教育や福祉に回そう」という国を、自分の目で見てきたい、と思って留学。平和を創りだすには、非武装への強い信念と、それを実際に実行すること、それを伝えること(教育)、が大事だと学んだそうです。
 最後に「ひろば」として「9条世界会議」にどう関わるかも話し合いました。
 ブースを出すのか、それとも賛同人や参加人数を増やすことにエネルギーを使うのか、ボランティアとして調布のさまざまなところに出かけて行って宣伝活動を行なうのか。
 様々な思いのこもった意見が出された中で、これまで「憲法ひろば」は1人ひとりの考えや思いを大事にしてきているので、「ひろば」として結論を出して取り組むのでなく、別個に実行委員会を立ち上げるほうがよい、という一致点が生まれました。その実行委員会は、調布のさまざまな「九条の会」や団体・個人に呼びかけ、多様な実行委員を募ってつくろう。その実行委員会で「9条世界会議」への関わり方や参加の仕方を考えてもらい、「ひろば」としては、そこでの結論に可能な限り協力をする。こういう考え方と方向性で行こうということになりました。
 ちなみに、今日の例会の中で募った結果、10人の方が実行委員に名乗り出てくださいました。23日の夜7時から、あくろす2階の活動支援センターで、第1回の実行委員会が開かれる予定です。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

東村山9条の会 3周年記念集会
日時 2008年1月13日(日)
場所 東村山中央公民館
報告  東村山9条の会3周年記念集会が13日開かれ、約300人が参加しました。

《日本を戦争する国にしないために》
 太鼓サークルや新婦人コーラスの演奏につづいて、全国「九条の会」の小森陽一事務局長(大学教授)が「憲法をめぐる情勢と九条の会の課題」と題して講演。「格差・貧困を固定して、日本を戦争する国にしてはいけない」と運動のさらなる発展を呼びかけました。
 参加者からは、「自民党の草案と対比して憲法の見方がよくわかった」「若い人にもっと聞かせたい話だった。聞けば九条の大切さがきっとわかると思う」などの感想がありました。
お問合せ 渡辺 Tel 042-391-4324

 

町田南地域九条の会 第11回学習討論会
日時 2007年12月16日(日)
場所 南市民センター 第2会議室 
報告  町田南九条の会の第11回学習討論会が12月16日南市民センターで行われました。

《戦争か共生か、競争か連帯か》
 9条を変えようとしているのは誰で、そのねらいはどこにあるのか?今回の学習討論会のテーマから出発して、改憲論の分析、日本社会の構造、世界の動きと日本国憲法の意義など、関東学院大学教授丸山重威さんの話はとても巾広く、参加者の関心に逐一応えるものでした。推進者である「靖国派」、財界、そしてアメリカはそれぞれ矛盾を抱えており、平和を守ろうとする国民の力が結集すれば必ず憲法を守りぬくことができると力強く語りました。
 その上で、国際的には、@アメリカの「従属国」に甘んじるか、Aアメリカから自立して「アジアの大国」をめざすのか、B平和憲法を守ることで「共生・平和世界」の先頭に立つのかという三つの選択肢があり、また、国内の選択でも@新自由主義による競争社会か、A平等・福祉などの「やさしさ」「いたわり」による連帯の社会かという二つの道があると示しました。そして、「結局、人生って何だろう?」と問いつめた結果、「国を愛するが故に平和を愛する」、「生きた証としての平和」と、人間の可能性を信じる「連帯」の考えに行き着くはずだと話しました。
 参加者からは、「改憲問題の本質を明らかにし、平和憲法の重要性を訴える内容のものだった」「アメリカと一緒になって戦争するのでなく、平和憲法を守り、世界と共生して世界平和の先頭に立つべきだということが分かった」「日本国憲法を再発見した」などの感想が出されました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

日野市民九条の会 一周年記念集会
日時 2007年12月16日(日)
場所 日野市民会館大ホール 
報告  日野市民九条の会は16日、日野市民会館大ホールで「九条で日本と世界の平和を」をメインテーマに結成1周年記念集会を開き、700人あまりが参加しました。

《九条をもつ独立した国に》
 集会では、作家の澤地久枝さん(九条の会呼びかけ人)の「九条をもつ独立した国につくりなおしたい−小さな人間のこと」の講演、5人の市民による「九条によせる私の思い」の発表、合唱などが行われました。
 澤地さんは、故小田実氏が病魔とたたかう中で語った「すべては一人から、小さな人間から始まる」を中心に講演。
 そして、「夏の参院選で国民は、現在の国民無視の政治にノーの態度を示し、日本もまだ捨てたものではないと思った。自公の与党は新テロ特措法を通すためになりふり構わず国会を二度も延長するなどアメリカいいなり政治を続けようとしている。総選挙が正念場」と話し、さいごに「衆院選では何としても勝って、九条を持つ日本を独立した国につくり直す一歩に踏み出しましょう」「日野は革新の伝統が息づいているところ、一緒にがんぱりましょう」と笑顔で訴えました。
 集会には、高幡不動尊金剛寺の貫主、川澄祐勝師から「憲法九条のこころをしっかり守っていきたいと念じております」とのメッセージが寄せられました。日野市新町在住の男性は「市民会館が満席状態になったのは久しぶり。澤地さんの迫力ある講演に力をもらった」と興奮気味に話していました。
お問合せ 日野市民法律事務所気付 Tel 042-587-3533 

 

あきる野9条の会 学習会「五日市憲法を学ぶ」
日時 2007年12月8日(土)
場所 五日市地域交流センター 第4〜6会議室 (旧五日市庁舎)
報告  あきる野9条の会(代表瀬沼辰正)は12月8日、あきる野市五日市地域交流センターで学習会「五日市憲法を学ぶ」を開催、参加者は会場定席の72名を大きく上回る90名が参加しました。この学習会はあきる野市教育委員会が後援しました。

《現憲法につながる五日市憲法》
 オープニングは、あじさいの会による群読が行われ、日本国憲法前文、9条、25条、99条などが読み上げられました。
 大きな拍手で登壇した江井秀雄氏は「五日市憲法を学ぶ」と題して約2時間の講義を行い参加者の質問にも答えました。江井氏は1881年に国民の権利をうたいあげた五日市憲法草案を書いた千葉卓三郎のドラマチックな人生を詳しく話すとともに、当時の多摩地区における自由民権運動や五日市の学芸講談会と草案の条文を解説し、植木枝盛などの私擬憲法草案とともにこの草案は、現憲法の国民の権利条項とも繋がっていると解明しました。また、1968年に草案を発見することになる旧深沢家の土蔵に入ったときの様子、膨大な古文書の整理と草案を特定するまでなど、関わった当人だからこそ語れる内容を話し、参加者に深い感銘を与えました。

《青年の力に感動》
 参加者は「このあきる野市で、江戸時代が終わってまもなくの時代に、集会禁止令が出ているにもかかわらず20代の若者が集まって憲法を作ろうと学びあったことはすごいと思いました」「120年以上も前に国民の権利が語られ、草案に書かれたこと、そして今の憲法に生かされていることに驚きました」「明治政府に弾圧され壊滅させられた自由民権運動に興味をもった」「草案を作ったのも、発見して世に送り出したのも青年の力によるものと知り、若いパワーをもらった思いでした」「自分たちの町の先輩に誇りを持ちました」などと話していました。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

第30回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年12月5日(水)
場所 あくろす3階 ホール
報告  調布「憲法ひろば」は12月5日(水)、「チチハル毒ガス事件」をテーマに第30回例会を開催。裁判での証言に来日した王春林さん(29歳)と弁護団の7人を含め35人が参加しました。チチハル事件弁護団の三浦直子弁護士に進行役をお願いし、菅野園子弁護士が王さんにインタビューする形で進行しました。通訳は李樓さん。

《旧日本軍の遺棄した毒ガスが、60年後のいま、人々の命と暮らしを破壊している!》
Q 初来日の感想は?
A 来るまでに、弁護士さんから聞いてはいたが、非常に沢山の人が支援してくれていることがわかり嬉しかった。

Q 事故前の王さんは? 
A 村から一緒に工事現場に働きに来た労働者のリーダーだった。解放軍にいた経験もあり、軍では40キロ以上の砲弾を運ぶ仕事もこなした。当時は体重も70キロあり、普通の人と較べて頑強だった。病院に行ったことはほとんどない。

Q 2003年8月4日の事故の状況は?
A 朝4時頃、工事現場に行った。団地の地下駐車場を造るために掘り出した土で土嚢を造って崩れぬように積み上げる仕事だった。作業中に缶が5つ出てきて内一つが破れて液体が溢れ出た。最初は噴射し、その後ドクドクと流れ、カラシのような強い臭いがした。夜目が痛んだが毒ガスとは思わなかった。翌朝も目が酷く痛み、仲間には手首に水疱が出た人もいた。「すぐ検査を受けろ」と言われ人民解放軍の病院に行った。重い人は入院したが、軽いと見られた人は帰された。私も帰されたが、その後症状が悪化し8月10日に入院。結局11月15日まで居た。

Q 具体的な症状は?
A 目の他には、陰嚢やお尻がタダレた。毎日水疱をつぶしてウミを出して薬を塗るのを繰り返した。痛かった。身体がだるくて力が出ないし、全身あちこち痛かった。
 
Q 仕事はどうなった?
A 仕事ができる状態ではなく、精神的にもやる気になれない。

Q 奥さんやお子さんは?
A 毒ガスについて知識がないので「病気がうつる」というウワサが広がった。それが妻の耳にも入り、家に帰った途端に別居を要求され、暫くして離婚話を持ち出された。癒してほしい時期に最愛の妻が離れていくのはとても辛かった。だからすぐには応じなかったが、「うつる危険があるから一緒に生活できない。子どものことを考えて離婚したい」と言われて、離婚に応じた。医者も「うつることはない」と言ってるが、何十年も昔のものが、こんな被害を出しているのだから、うつらぬはずがない、というのが一般の人の考えだ。だからいまは、誰とも接触できないし、銭湯にも行けない。

Q ご両親は?
A 自殺しないかと見守っていたようだ。離婚され、仕事もできない私の将来と生活を心配していた。母親は精神的なストレスもあって去年、51歳で亡くなった。思い出したくないことだ。

Q 日本政府や、日本国民に何を伝えたいか?
A 日本の支援者の方々が長期にわたりサポートしてくれていることに感謝したい。訴訟の結果はどうなっても、支援してくれた人々のことをいつまでも忘れない。日本政府には、毒ガスを一日も早く徹底的に排除してほしい。私だけでなく、被害者みんな仕事がなくなり、生活をどうするか困っている。状況を踏まえて合理的な対応策をとってほしい。

《最大の争点は毒ガスを放置してきたことの違法性》
 続いて三坂彰彦弁護団事務局長が資料とスライドを使って事件の争点について説明。「最大の争点は毒ガスを放置してきたことの違法性だ。組織的な遺棄だったか、危険が予見・回避できたかなどの問題について日本政府は『今となってはわからない、だから責任がない』と主張している。しかし政府は、化学兵器禁止条約で調査や処理の義務を負った以降も中国の遺棄毒ガスについては調査も何もしていない。化学兵器工場があったチチハルで起きたこの事件に、日本政府の義務違反があることは明らかだ」と解説した。
 このあと、8月の有志の中国東北部旅行の一員としてチチハルを訪れた丸山重威さんが「神奈川新聞」に投稿して掲載された報告、訪れた現場、現地の写真などを示しながら、「旅行ではもっと日本の歴史を知らなければならないと思った」と語った。

《彼らには支援が必要です!》
 同行してきた中国・黒竜江北辰法律事務所の羅麗娟弁護士が、「何回か来日しているが、今日ここで皆さんと直接交流できてよかった。本人の陳述を聞き重い気持ちになると思うが、実はもっと重い症状の被害者も多い。戦争は60年前のことだが、適切に化学兵器の処理をしなかったことで、いまも中国の人民の安全を侵している。被害者は肉体だけではなく精神的苦痛はもっと大きい。彼らには支援がどうしても必要だ。支援を続けてほしい」と話した。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

あきる野9条の会 「私たちの戦争体験記」発行記念のつどい
日時 2007年12月2日(日)
場所 あきる野市中央公民館 第5研修室
報告  体験記の募集を開始して約1年。小冊子が完成し、それを記念しての懇談のつどいに執筆者11名を含めて26名が参加しました。当日の朝日新聞の記事(多摩版)を見て国分寺や八王子からも参加しました。

《1年かけつくった戦争体験記を発行》
 開会に当たって幹事の佐野さんは「体験記発行の活動を進めてきたが、その半ばで幹事の野武雅之さんが亡くなられる悲しい出来事もあったが、皆さんの協力で発行することが出来た。発行を野武さんに報告したい。戦争で体験した執筆者の思いを広く伝えていきたい」と話しました。
 参加者から「あきる野の代表で先日の全国交流会に参加したが、生活の中に九条をしみこませていく必要があることを痛感した。九条の輪を大きくするために若い人に体験記を読んでもらうようすすめたい」「召集された兄が戻ったとき母が涙を流して喜んだこと。先生の言葉(教育)でマインドコントロールさせられるということを伝えたかった」「シベリアに抑留された体験を持つが、戦争になると日常の生活の隅々まで影響され、戦争の渦に巻きこまれることを書いた」「「赤紙の宛名書きをさせられ、書き損じたものを捨てたこともあったが戦争に手を貸したことを思い、書くことに決めました」「東京大空襲の翌日ぼろぼろになった人の列が歩いていくのをみた。戦争は人殺しです。昨年まで牧師をやっていて組織に加わるのは苦手な私ですが、十戒にはあなたは殺してはなりませんと書いてあります。九条を守っていきたい」など発言が続きました。
 最後に、体験記を広める。九条守る賛同署名をすすめる。体験記の第二集を出しましょうと申し合わせて、つどいを終わりました。

*小冊子「私たちの戦争体験記」*
25名が執筆、B5版40ページ 頒布価格350円 で販売中です。お申し込みは下記まで。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

第29回 調布「憲法ひろば」 3周年記念集会 
日時 2007年10月27日(土)
場所 たづくり2階「くすのきホール」
報告  調布「憲法ひろば」の結成3周年記念集会(第29回例会)を、10月27日(土)午後6時半から、たづくり「くすのきホール」で開きました。台風20号が接近、調布一帯は激しい嵐。それでも、180人が参加、「九条の会」のよびかけ人の一人、奥平康弘さん(深大寺在住、東大名誉教授)の「憲法九条を確保することの意義」と題した講演に耳を傾けました。

《嵐の中、180人が参加》
 オープニングは調狛合唱団「跳鼓舞」の賑やかな太鼓と踊り。司会は世話人の浅野智子さん(富士見町在住)、通訳は調布手話通訳協会のみなさん。世話人を代表し石川康子さん(布田在住)が「九条の会」は全国6734になったと紹介、3年間の「ひろば」の活動を振り返り「これからがだいじ」とあいさつ。
 登壇した奥平さんは、小さな花で飾った演壇で両手を前後左右に振っての大熱弁。ざっくばらんな調子で聴衆を魅了しました。奥平さんは「私は九条を専門に勉強しては来なかった。研究者になる頃、例えば自衛隊は違憲に決まっており九条に問題はなかったからだ」など、憲法の流れをたどりつつ「国際貢献」や「集団的自衛権」で変化が出てきた状況を語りました。

《向こうから来たボール》
 そして「九条が専門でない私が『九条の会』のよびかけに加わったのは、いま出されている問題は九条の解釈や理論ではなく、極度に政治的なものであり、人間の問題であり、文化の問題だと考えたため。向こうから政治的なボールが飛んできた。これを蹴り返さなければならないと考えた」と強調しました。
 奥平さんは、「九条の会はすごく個性的な会で、ルーズに、それぞれが必要なことをやろうといってやっているが、運動は全国に広がり、運動の側が主導権を取れる状況が生まれつつある」と語りました。「どこか風向きが変わり、安倍政権を自己崩壊させた。運動からは文化、人間、人種、差別など全ての問題が出てきた」と話しました。

《九条は文化の問題》
 奥平さんは「九条を守ることは日本の文化を守るということ。運動で相手に改憲の旗を降ろさせ、その企図をつぶせたら、日本の歴史で初めて、民衆が自分たちの運命、文化の在り方を初めて決めることになる。しかもいま、僕たちの方がそのペースを取れる状況にある。それが『九条の会』の活動で学んだことです」と結びました。
 休憩後は質問票に答え、「福田政権の誕生で改憲は凍結された感じだが、その間に『九条の会』を超えた力を政治勢力としてどうつくるかが重要。自民党は給油法案を出したが民主党も国連決議さえあれば武力行使もできるような議論を出している」と話しました。
 討論の最後に、来年5月、幕張で開く「九条世界会議」の事務局の松村真澄さんが紹介されフロアからあいさつ。「九条は既に世界のもの」と会議への協力をよびかけました。
 最後に「ねがい」を全員合唱して集会を閉じました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

第28回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年9月30日(日)
場所 あくろす2階 会議室 
報告  調布「憲法ひろば」の9月例会は9月30日(日)13時半から、あくろす2階「会議室」で開催し、32人が参加しました。
 憲法学専攻・明治大学兼任講師の清水雅彦さん(社会評論社「治安政策としての『安全・安心の街づくり』---監視と管理の招牌」の著者)に「市民的自由と治安政策」と題した講演をいただき討論しました。

《無関心ではいられない問題》
 最初は、この日のタイトルを、耳に馴染みにくいイメージで捉えていました。しかし清水さんの話が進むにつれて、これは抜き差しならない、核心をついた表題であることがわかってきました。
 清水さんは開口一番、「エレベーターを降り、2階のこの会議室に入ってくるまでの間に、監視カメラが幾つもついていました・・・」と切り出しました。
 数年前から出入りしていながら、監視カメラの存在について気にも留めていなかった自分に気づかされました。これまでは、都合の好い呼称の下で安心していた「防犯カメラ」でしたが、それが「監視カメラ」でもあり、「誰によって、どのように管理されているかを知る必要がある」と聞き、急に無関心では済まなくなりました。

《「治安対策」が「治安政策」に》
 1999年、埼玉県桶川駅前で起こった「桶川ストーカー事件」で、警察の捜査怠慢が批判を受ける以前からの「治安対策」が、「治安政策」にエスカレートしてきた経緯について、多くの事例を挙げて、語っていただきました。
 私たち市民が多くの犯罪情報を受け取るに伴い、体感治安の悪化(主観的な不安感)から、安全・安心を求める気持ちが強まります。一方、治安の仕事を受け持つ立場の警察としても、自分たちの仕事の領域をどんどん拡げたい意欲が生じるようです。例えば青キップレベルの中学生の自転車二人乗りに、赤キップを切るケースも起きているようです。自治体など地域ぐるみで、「安全・安心のまちづくり」のかけ声のもと、管理・監視態勢が強まってきているとのことです。
 治安政策による監視態勢は警察のみにとどまりません。今年の6月に明らかにされた「自衛隊による監視活動」という範疇まで、治安の解釈(?)が拡大されて、逸脱する例もあります。

《憲法は権力を監視するもの》
 以上の清水さんの話から、『憲法は公権力から国民を守るためにあり、憲法を守る義務を負うのは国である』という認識の上に立てば、国民の税金で負託されている警察や公安を監視すべきは、私たち市民に課せられた義務であることを教わりました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

三多摩革新懇 真夏の夜の平和コンサート
日時 2007年8月28日(火)
場所 いずみホール
報告  8月28日夜、いずみホールで開かれた第10回真夏の夜の平和コンサートは超満員の大盛況で、大きな成功をおさめることができました。

《平和を伝える音楽に感動》
 松野迅さんの見事なまでのヴァイオリンの音色にうっとり、軽妙なトークで楽しませてくれました。
 この日は、急遽来日されたタイのバリトン歌手モンコン・チャヤシリソボーンさんとソプラノ歌手デュアンダオ・チャヤシリソボーンさんのご夫妻がスペシャルゲストとして出演。その歌声は開場を魅了するとともに、電通三多摩合唱団とエーデルワイスを合同演奏しました。
 すばらしい演奏とトークが胸にしみた、平和の大切さを訴えるトークに感動、などの感想が寄せられました。 
お問合せ 三多摩革新懇 三好 Tel 042-543-6836

 

第27回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年8月18日(土) 〜 19日(日)
場所 八王子「大学セミナーハウス」 
報告  8月18〜19日、八王子・大学セミナーハウスで行なった「憲法ひろば」名物の夏合宿は27人が参加。初日は、フリーの反戦平和活動家としてNGOピースデポ代表や太平洋軍備撤廃運動国際コーディネーターなどをつとめる梅林宏道さんの講演を受けて討論しました。

《米軍再編と連動した自衛隊再編》
 まず梅林さんは、日本の憲法の状況の背後には、世界的な規模での米軍再編を進めるアメリカの動きがあることを指摘しました。冷戦時代の米軍配置を、テロやゲリラなどに対処するための米軍配置に改めようとするこの再編のポイントは、再編が米軍のみにとどまらず、同盟国にも地域を越えて地球規模に展開することを求め、同盟国の役割を強化する動きをともないます。
 在日米軍と自衛隊の再編もこの流れの中でとらえる必要があります。たとえば、府中の航空自衛隊司令部が横田に移転し、在日米空軍司令部との一本化が図られます。横田では弾道ミサイル防衛における常時の協力も実現します。また、相模原のキャンプ座間には、米陸軍の戦闘司令部が移駐し、グローバルに展開する陸軍機動部隊の前進司令部になるとともに、陸上自衛隊の特殊部隊である中央即応部隊が移転し、米軍との結合が図られます。もとより横須賀の第七艦隊と海上自衛隊の一体化は既成事実で、日米司令部の常時緊密な体制が陸海空すべてで実現します。これにより、有事の際の戦術協議にとどまらず、継続的な協議と作戦面の調整が可能となり、世界のどこにおいても米軍と協力できる自衛隊を実現しようとする再編が行われているのです。
 梅林さんは、この日米同盟強化の動きの歯止めの役割を果たしているのが、集団的自衛権行使を禁ずる日本国憲法であると憲法を評価します。だからこそ改憲を待てない日米政府は、集団的自衛権の解釈拡大によって、日米同盟強化を図ろうとしているのです。

《平和の実現にむけたプロセスの提起》
 続けて梅林さんは、日本はいま何をすべきか、二つの問題提起をしました。 
 一つは日本と南北朝鮮で「東北アジア非核地帯」をつくることであり、もう一つは日本が「専守防衛国家地位」にあることを国連総会に提起し承認させることです。
 質疑では、この提起をめぐり、東北アジア非核地帯構想は、全世界の核廃絶をめざす運動の観点から見て停滞ではないか、「専守防衛国家地位」提起は違憲組織の自衛隊の存在を前提にしており、憲法違反かつ後退ではないか、などの疑問が呈されました。
 これに対して梅林さんは、地域の非核化を核廃絶(=世界の非核化)に向けた第一歩と積極的に位置づけ、「専守防衛」についても、「戦争に反対する地球行動」という国際的プログラムでは、各国軍隊を二〇五〇年までに「専守防衛」の軍隊に変えていくことが目標となっており、「専守防衛」は実は世界的に見ると進んだ概念であると述べました。
 梅林さんの提起も含め、「憲法9条の理念実現へのプロセス」について、論議を深める必要性を感じました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

東久留米 前沢・南町九条の会 8月15日を語り・体験する会 
日時 2007年8月11日(土)
場所 南町地区センター和室
報告  8月11日(土)午後6時から9時頃まで、地区センターの和室で「8月15日を語り体験する会」がもたれました。

《語り合って元気がでました》 
 まずは、当時の味付けにこだわった(まずい)味噌仕立てのスイトン+肉入り具だくさんの(おいしい)現代風スイトン+ふかしイモ+大根の皮の漬け物などをみんなでつつき合いながら、当時の貧困な食生活談義。
 つづいて、映画「火垂の墓」や「東京裁判」のシーンから、当時を映像でふりかえり、メインのろうそくの灯りのもとで、それぞれの「8月15日」体験を語りました。
 20名に満たない小さなつどいでしたが、やってよかった!! 
 語り合うってほんとに大事ですね。元気がわいてきます。 
お問合せ 前沢・南町九条の会

 

第26回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年7月13日(金)
場所 調布市市民プラザ「あくろす」3階ホール
報告  調布「憲法ひろば」7月(第26回)例会は13日(金)18時半から、あくろす3階ホールで開催しました。参加は42人。例会の様子を、司会を務めた石川康子さんにレポートしていただきました。

《NHK番組改ざん問題とは何か?》
 アメリカ議会で旧日本軍性奴隷(従軍慰安婦)制度非難決議案が採択される見通しとなったなか、2000年にこの問題を裁いた「女性国際戦犯法廷」のNHK報道が大幅に改ざんされた事件について、番組制作に直接関わられた坂上香さんのお話を伺った。 

《「女性国際先般法廷」とは》
 戦後半世紀を経てやっと立ち上がった被害女性たちに対し日本政府は未だ責任ある対応をしていない。VAWWNET‐ジャパン(戦争と女性への暴力日本ネットワーク)が韓国、フィリピンをはじめ六カ国の被害者支援組織と共催したこの民衆法廷は「従軍慰安婦」制度について昭和天皇と日本国家に有罪判決を下したが、海外での反響の大きさに比して国内メディアはほとんどこれを報道しなかった。その中で、取材を申し入れたNHKの企画書が、「法廷」の趣旨を如実に伝えるものだったので、VAWWNET‐ジャパンは全面的に取材協力をしたのである。

《無残な改ざん》
 NHKの依頼でこの企画書を書いたのが当時制作会社ドキュメンタリー・ジャパン(DJ)のディレクターだった坂上さんだった。放送は2001年1月30日、「法廷」開催中からの右翼団体の嫌がらせは、NHKにも向けられて、チーフディレクターが「仕事にならない」とぼやくほどだった。1月24日には異例の部長試写があり、多くの受け入れ難い「改変」を指示されたためDJは制作から降りた。その後はNHKが独自に編集を行ったが、放送されたものは、ずたずたに鋏を入れられているばかりか、企画には全くなかった秦郁彦氏による法廷批判の長いコメントが入り、しかも放送時間が4分も短縮されていた。当初坂上さんはこの改ざんは右翼の圧力によるものと思っていたが、2005年1月の長井ディレクターの内部告発によって、安倍・中川議員の圧力があったことが判明した。

《Coveringの意味》
 坂上さんはこのプロセスをcoverというキーワードで説明した。coverには「覆う・隠す」という意味と「取材・報道する」という意味がある。メディアは報道しないことによってある事実を隠したり、ある事を報道することによって別の事を隠す。番組改竄をめぐってVAWWNETが起こした裁判の控訴審判決(2007年1月29日)は、NHKの責任を認めたが、政治家の圧力は実証できないとした。NHKをはじめほとんどのメディアが後者に重点をおき、勝ち誇る現首相と中川議員の談話が繰り返し報道された。
 Coveringをいかに見破るか、これが私たちにとっての大きな課題である。多くのAlternative Mediaの誕生が一つの可能性を示している、とお話を結ばれた。現場からの生々しい報告に、会場を緊張が包み、熱心な質問が相次いだ。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

第25回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年6月23日(土)
場所 調布市市民プラザ「あくろす」2階 第1会議室
報告  調布「憲法ひろば」6月(第25回)例会は23日(土)13時半から、あくろす2階第1会議室で開催されました。参加は28人でした。

《日本軍は中国で何をしたか》
 お話は「中国帰還者連絡会」の小山一郎さん。司会は、小山さんを紹介してくださった若葉町在住のむらき和子さん。
 小山さんは87才のご高齢で、足もお悪いにも拘わらず、かくしゃくとした話しぶりで、少しでも多くの方に自分の体験を伝えたいとの思いが溢れていました。「今の安倍政権の閣僚は18名中15名が靖国派であり、どんな日本を作ろうとしているのか恐ろしい」「自衛隊が攻撃的な装備で米軍と一緒になって、敵前上陸の訓練をやっているが、専守防衛を大きく逸脱している」と語り始めた小山さんの衝撃的なお話。
 20歳で入隊した小山さんは、即中国・山東省へ送られ初年兵訓練を受けたが、「軍隊というところは、まさに「格子なき牢獄」。人間性はいっさい認めない、主権はなくすべて命令で動く。どんな頑固な人間でも、初年兵3ヶ月で変わる。変わらなければ死ぬ以外ない」。淡々と話されるがゆえに胸に重く沈みました。人間性の崩壊はさらに続く。初年兵の度胸をつけるためと、生きた人間を銃剣で刺し殺す訓練には、太陽が黄色く見えたと表現されました。そして「三光作戦」(注1)。戦争は人間を鬼にする。平常な精神ではいられない世界。それに耐えられない者は死ぬしかない。日清・日露を含めて百年間、中国を戦場にして戦争をし、多大な犠牲者を出してきた日本だが、中国人の強制連行、拉致の損害賠償を求める裁判で「国家無答責」(注2)で退け、逃げる裁判所。従軍慰安婦の問題についても、まさに鬼畜の行動だったと。
 最後に、5年間のシベリア抑留の後過ごした中国撫順戦犯管理所での生活について、「ここでの6年間は、私のその後の人生を決めた本当に貴重な時間だった。鬼が人間性を取り戻したのだ」。そして、「今は歴史の転換点だが、決して戦争をしてはいけない」と結ばれました。  
<注1> 日本軍が華北の八路軍の拠点を根絶しようと行なった。三光とは、殺光(殺し尽す)焼光(焼き尽す)槍光(そうこう=奪い尽す)の意味。
<注2> 大日本帝国憲法のもとでは、官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする、「国家無答責の法理」が通用していた。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

あきる野市 劇映画「日本の青空」上映会
日時 2007年6月2日(土)
場所 秋川キララホール
報告  6月2日、あきる野市の秋川キララホールで「日本の青空」上映会が行われました。主催は劇映画「日本の青空」をみるあきる野の会、後援はあきる野市教育委員会です。

《憲法誕生の事実を描いた映画に長蛇の列》
 昼の部では満席の700名、夜の部では450名、合計1150名が鑑賞しました。昼の部では開場を待つ長い列が続き、上映直前には満席状態となりました。
 主催者を代表して代表の瀬沼辰正さんが挨拶。自らの軍隊体験と戦後体得した「根本の規範は戦争をしないこと」との信条を披露し、「60年前に憲法にこめた思いを確実に実らせ、世界中の人々と平和に生きていくことを願わずにいられません」と話しました。
 続いて同映画の原作・脚本を執筆し、あきる野市在住の池田太郎さんが舞台挨拶を行いました。池田さんは執筆に当たっての苦労話とともに「学校で現代史を習うチャンスは極めて少ないのが現状だが、われわれが知っていなければならないことがたくさんある。そして事実は面白い」「憲法問題では新たな事実に基づいて原作小説を書いている」と話しました。

 みる会に結集する16の団体と多くの個人が1000名の鑑賞を目標に約1ヶ月力いっぱい活動しましたが、憲法に強い関心を寄せる方が多く予想を超える反響でした。
 上映後のアンケートに178名が応じ、映画の評価は、とても良かった79.2%、良かった17.4%、良くなかった・無回答3.4%でした。アンケートには「感動しました。日本人の思いがひしひしと伝わってきました。日本中に広めていただきたい映画です」「日本の憲法はすばらしいと思いました」「骨太に描かれた歴史の裏側。驚きました。何よりも勉強になりました」「女性の立場で、とても共感できました」「九条ができるまでの苦労をはじめて知り、憲法の大切さについて考えさせられました」などの感想が寄せられています。
お問合せ 劇映画「日本の青空」をみるあきる野の会 前田 Tel 042-558-7857

 

調布 「日本の青空」上映会
日時 2007年6月1日(金)
場所 たづくり「くすのきホール」
報告  映画「日本の青空」調布上映実行委員会による上映会は、6月1日、くすのきホールで3回にわたり行われましたが、約1000人のみなさんの参加で大成功を収めました。 

《映画「日本の青空」調布上映会に約1000人!》
 実行委員会に寄せられたアンケートには、「アメリカの押し付け憲法ではなかったことがわかり、目からうろこだった」「全ての国民にみてもらいたい」「この映画を作った人たちに感謝する」と、熱い感動がつづられていました。アンケートを出してくれた10代の人は8人。「学校では今の憲法はGHQが作ったと習ったが、日本人の作ったものがお手本になったと初めて知った」「九条は絶対に守らなけらばならない」「今動き出さなければ間に合わない」と、若者たちが憲法問題をしっかり受け止めていることがわかりました。
 市民のみなさんと誘い合ってエキストラ出演したラストの「風船シーン」は概して不評。中学生たちが「風船が海に落ちて海の生物がくらげと間違えて食べる」から、ないほうがよかった、と環境問題から心配していることに、教えられました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

第24回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年5月27日(日)
場所 調布市民プラザ あくろす3階ホール
報告  調布「憲法ひろば」の第24回例会は、5月27日(日)午後1時半から、国領駅前のあくろす3階ホールで開催。21人のみなさんが参加しました。この日の様子を庄司洋子さんに報告してもらいました。

《映画「日本国憲法」を観て》
 ジャン・ユンカーマン監督作品、映画「日本国憲法」を鑑賞しました。
 時間の都合で映画に登場する12人すべての人の考えを聴くことはできなかったのですが、観賞後に津田櫓冬さん(富士見町)の司会でフリーに討論。改憲の動きが強まる中、どう憲法と向き合っていくのか、映画の感想も含めてさまざまな意見や体験が出しあわれ、時間を忘れました。この映画については、初めて観た人も以前に観た人も、憲法と向き合う時のヒントがたくさん詰まった映画であることを改めて評価し、今こそ多くの日本人に観てもらいたいと語り合いました。年配の方が語った戦中・戦後の体験、初参加の方からの「赤十字」の果たしている役割についての話、日本国憲法は決して押し付け憲法ではないという話、憲法とその九条が日本だけでなく海外でも重要な役割を果たしているという話等々が、相次いで熱く語られました。
 憲法問題を自分のことばで、生活者の視点で、もっともっと語るべきだという意見も出され、暮らしの中で憲法を見つめていくことが今問われているという問題意識も共有できたと思います。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

三鷹9条の会 「憲法のつどい」
日時 2007年5月13日(日)
場所 三鷹市市民協働センター
報告  三鷹9条の会主催の「憲法のつどい 〜いま、日本国憲法を問う〜」が5月13日(日)三鷹市市民協働センターで開かれました。

《120名が集まり盛り上がったつどい》
 最初に杉井静子弁護士による「あなたと考える憲法・国民投票法 見つめよう子どもの未来」という題で、講演がありました。
 杉井弁護士は、その前々日に強行採決された「国民投票法案」について触れ、この改憲手続法がぼろぼろのもので、国の最高法規である憲法を変えるのに、国民にその内容を理解させて、納得してもらって改正するという手続きではなく、知らせないで変えてしまおうと言うような非民主的な内容であることを詳しく話しました。
 続いて、中国帰還兵である金子安次さんが「私が中国でしたこと、〜中国戦線の現実」という題で、戦争の実体験を話しました。
 金子安次さんのお話は87歳とは思えぬ元気なお話でした。中国で日本兵がおこなった残虐な所業を生々しく話されました。聞きながら涙を浮かべられる方もいらっしゃいました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

福生市民九条の会 第二回総会
日時 2007年5月13日(日)
場所 福生市さくら会館 3階ホール
報告  5月13日、福生市さくら会館で福生市民九条の会の第二回総会が行われました。

 《さらなる会の飛躍を願い開会》 
 はじめに、代表委員の長田紀禰子さんから「改憲派は、あらゆる手段を使って改憲への道を開こうとしています。しかし一方では、平和憲法を守るべきだと願う国民は依然として多数を占めています。安部政権が発足して以来、平和憲法を葬り去ろうという動きが急速に進展しています。いま、全国で「九条の会」が広がっています。「九条の会」が持てる力を合わせて平和を守ろうとしています。私たちも、総会を機に会のあり方を飛躍させたいと願っています。」と開会の挨拶がありました。
 
 《マジックを交えたわかりやすい講演》
 
 つづいて、「憲法九条はどのように誕生したか」と題して、岩田行雄さんより約120分にわたって記念講演をしていただきました。岩田さんは、2002年4月〜2004年4月に早稲田大学現代政治経済研究所で特別研究を行い、現在は憲法問題の講演、九条マジックの公演を日本全国で行っています。日本国憲法の誕生と憲法第2章の戦争の放棄をめぐり、歴史的背景を多彩な資料を使用して、わかりやすく講演していただきました。当時のGHQ連合国軍総司令部と日本政府の文書を題材に、国会討論の内容を当時の国会議事録で検証するなど、今問題になっている「押し付け憲法論」がなぜ間違っているのかが良くわかりました。
 最後に、活動報告や行動提起をして会は終わりました。
お問合せ 福生市民九条の会

 

東久留米 前沢・南町九条の会 東久留米の戦跡めぐり 
日時 2007年5月13日(日)
場所 岡田食品工業(谷戸町) ほか
報告  久留米市内の戦跡めぐりをおこない、30名を超える参加者で大成功を収めました。 

《「知らなかった」と驚きの声》
 
 案内は、武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会事務局長の牛田守彦さん。 
 はじめに、見学した岡田食品工業(谷戸町)は、今でも「現役」のこんにゃくなどの食品加工会社。この建物が、中島飛行機武蔵製作所の発動機(エンジン)試運転工場だった。この施設の南には中島航空金属田無製造所(現・住友重機械工業など)がありました。
 つづいて、訪れたのが自由学園(学園町)。自由学園にある三つの慰霊碑の一つ「地には平和」(ルカ傳福音書)とあります。学徒動員中に防空壕で直撃弾をうけて亡くなった川田文子さん(19歳)と広島の原子爆弾で亡くなった吉岡豊香さん(19歳)を慰霊しています。
 10代の参加者からは「知らなかった」との驚きの声があがりました。
お問合せ 前沢・南町九条の会

 

あきる野市 劇映画「日本の青空」有料試写会
日時 2007年4月28日(土)
場所 あきる野ルピアホール
報告  4月28日、あきる野ルピアホールにおいて映画「日本の青空」の有料試写会を行い約80名が鑑賞しました。

《映画誕生秘話も−原作・脚本担当者からの挨拶》

 試写会に先立ってあきる野市に在住している同映画の原作・脚本の池田太郎さんが挨拶しました。池田さんは「憲法をめぐるオリジナル脚本を依頼され、都立図書館や国会図書館に通いつめ資料を繰りながら、憲法学者の鈴木安蔵を見つけ出し、自民党憲法調査会の高柳会長らの著作の中に、安蔵らの憲法研究会草案とGHQ草案の類似性を自ら認める『注』を発見した時の感動を忘れられない」と脚本にこめた熱意を語っています。また、映画の中には劇中劇で五日市憲法も取り上げられています。

《上映会成功にむけて》
 試写会に続いて「劇映画『日本の青空』をみるあきる野の会」の発足会が行われ、団体と個人が「多くの人々に映画を鑑賞していただく」ことを目的にした会則やアピールを確認し、6月2日、秋川キララホールでの上映を1000名以上の鑑賞で成功させることなどを決定しました。また、同会代表に原水爆禁止あきる野協議会理事長の瀬沼辰正さん、事務局長にあきる野9条の会事務局長の前田眞敬さんを選出し、参加した約40名が実行委員として上映運動に携わることになりました。なお、同日まで原水爆禁止あきる野協議会、新日本婦人の会あきる野支部、都教組あきる野地区協、JMIUセラテック支部、秋川の自然にしたしむ会、のびのびサークル、あきる野9条の会など15団体が参加を表明しています。
お問合せ 劇映画「日本の青空」をみるあきる野の会準備会 前田 Tel 042-558-7857

 

立川 2007 三多摩憲法のつどい
日時 2007年4月27日(金)
場所 立川市女性総合センター アイム 1階ホール
報告  2007年三多摩憲法のつどいが4月27日、立川市女性総合センターアイムのホールで開かれました。今年のテーマは「いま反戦・平和を考える −あなたは本当に平和憲法を捨てるのですか」。会場いっぱいの230人の方の参加がありました。

《現実におきている問題を直視し、平和憲法のたいせつさをもっと感じて》
 オープニングは、絹の道合唱団による組曲「おやすみ子どもたち」の合唱。いまなお世界各地で戦火に苦しめられている子どもたちへ捧げる、迫力ある歌声が会場を圧倒しました。
 つづいて、沖縄在住の米国人政治学者ダグラス・ラミス氏の講演。現憲法の「我等」と明治憲法の「朕」という根本的創意を対比しながら、「押し付け憲法」問題での新たな視点、米軍基地が集中する沖縄から視た憲法擁護運動のあり方など、興味を引く話が続きました。
 また、後半のラミス氏と鈴木亜英弁護士(三多摩法律事務所)との対談では、現憲法の成立過程に遡っての議論、今日のイラク戦争と米軍実態などが展開されました。
 つどいの最後には、去る4月13日の衆議院で強行採決された国民投票法案について、参議院での「慎重審議を行い、廃案を求めるアピール」が参加者全員で採択されました。
お問合せ 2007三多摩憲法のつどい実行委員会 Tel 042-524-4321 (三多摩法律事務所内)

 

あきる野9条の会 学習会
日時 2007年4月14日(土)
場所 あきる野市中央公民館 第7・6研修室
報告  4月14日、あきる野9条の会は、あきる野市中央公民館で、「改憲手続き法案とその狙い」の学習会を行い、56名の方々が会場をいっぱいにしました。

《世界の動きに逆行する改憲手続き法案》
 講師の弁護士で全国革新懇代表世話人の四位直毅氏が、改憲手続法の採決強行は、安倍首相が公言している九条改憲のスケジュールを優先して強行したこと、その内容は不公正で非民主的であることを民主党案も含めて詳しく説明。この流れは世界の動きに逆行しており、最近の世論調査や9条の会が全国で6000を超えて発展していることなど、海外で戦争をする国にすることはごめんだとの世論がじわじわと広がっていると具体的な事例を挙げて話しました。
 講演に続いて、前日の衆議院での法案の採決強行に対して「改憲手続き法案の採決強行に強く抗議し、憲法九条を守る決議」を採択しました。講演に先立ち劇映画「日本の青空」ダイジェスト版が上映され、6月2日(土)秋川キララホール(2時からと6時からの2回)での同映画上映の運動にあきる野9条の会も全力で取り組むとの訴えがありました。
 参加者は「とてもわかりやすく話していただき、法案の問題点がよくわかりました」「採決が強行され、賛成派が多数では仕方がないのかと思っていたが、お話を聞いて明るくなりました」「狭い視野で見るのではなく、広い視野にたって九条を守る運動を進めることが大切と思った」などと感想を述べていました。
お問合せ あきる野9条の会 前田 Tel 042-558-7857

 

第23回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年3月25日(日)
場所 調布市民プラザ あくろす2階フリースペース
報告  3月25日(日)午後1時半から、国領のあくろす2階フリースペースで、第23回「憲法ひろば」(3月例会)を行ないました。テーマは「私はこうしたい」。参加者12人が、今後の調布「憲法ひろば」をどう発展させるかを語り合いました。

《「ひろば」のこれからを自由に討論》 
 大野事務局長から、助成団体の申請をしたいこと、年度計画の必要性などが提起され、「ひろば」のこれまでとこれからについて自由に話し合いたい、という提案から話し合いが始まりました。
 3時間あまりの盛りだくさんな内容でしたので、網羅することはできません。でも、熱い思いは、果てることなく、尽きることなく、というところだなあ、と実感しました。厳しい現実を前に、だからこその明るさで、どんどん新しいチャレンジが生まれてくるというのが、なにより「ひろば」らしいところではないか、と、思ったことです。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

東久留米九条の会 発足2周年記念集会「平和と憲法をまもる市民のつどい」
日時 2007年3月21日(水曜日:祝日)
場所 東久留米市中央公民館ホール
報告  東久留米「九条の会」は、結成2周年記念のつどいを開催いたしました。おりしも国会では、国民投票法案が取り上げられる状況の中、会場となった東久留米公民館大ホールには450人の来場者がつめかけてくれました。

《日本国憲法は真新しい!変えてしまうのはもったいない!》 
 つどいの冒頭は、地域の和太鼓グループ欅(けやき)による勇壮な演奏で始まりました。
 つづいて、東久留米市内でそれぞれ活動中の地域九条の会から報告がありました。それぞれの九条の会の発足の経緯や活動の様子などをプロジェクターを使って紹介しました。
 メインでお話しいただいたのは、アメリカ・ミシガン州生れで日本語の詩人であるアーサービナードさん。「日本国憲法、もったいない!6000万頭の我が家 −詩人から見た憲法九条−」と題して、日本人とはひと味違った視点からの日本国憲法について語っていただきました。日本国憲法は賞味期限は切れておらず真新しい、今変えてしまうのはもったいない!とおっしゃられていたのが印象的でした。
お問合せ 東久留米九条の会

 

第22回 調布「憲法ひろば」
日時 2007年2月28日(水)
場所 調布市民プラザ3階 あくろすホール
報告  1月20日から25日、ケニアのナイロビに6万5千人が集まった世界社会フォーラム(WSF)に調布から布田の笹本潤さん、高部優子さん、東つつじヶ丘の丸山重威さんが参加された。
 2月28日の夕方、調布「憲法ひろば」2月例会はこの3人の報告を聞いた。司会には世話人の鈴木さん(多摩川)が初登場。

《アフリカにこそ九条を!》
 まず高部さんのビデオに映し出されたアフリカの空の青さ!続いて色鮮やかな衣装で踊る現地の人びとの映像で、会場は一気にアフリカへ。世界の人びとが日本の憲法九条のすばらしさを語るビデオを観た高部さんは、自分もこういうものを撮りたいとWSFに参加、「グローバル九条キャンペーン」のブースで署名活動をし、人びとと語り合った。韓国の人は「九条はアジアへの約束だ」と言い、中国の人は「中国はどうしたらいいのか」と問いかけた。武器貿易の巨大市場であるアフリカにこそ戦争と戦力の放棄を謳った日本の憲法九条が必要だという現地の人たちの声が切実だった。署名は4日間で900人に達した。
 世界的視点に立てば、九条は特殊ではなく、九条があって当たり前だと思うと高部さんは言う。

《九条の世界化をめざして来年は日本で世界会議を》
 笹本さんは、「九条の世界化」をめざして、来年5月に日本で開こうとしている「憲法九条世界会議」の意義をWSFで訴えてきたことを報告。九条への世界のまなざしは熱く、コンゴには自国の憲法に取り入れたい意向があるし、EU憲法の分科会でも九条が話題になった。
 貧困が最大の課題であるアフリカでは軍事費削減が急務だ。イラクなど中東の国々からは九条に沿った国際貢献を望む声が聞かれた。来年開く「憲法九条世界会議」は、これらの声を日本市民に伝え、平和のネットワークをつくるためにますます重要だ。

《貧困と戦争のない世界を》
 「先進国」の政・財界の要人が毎年スイスのダヴォスで開く「世界経済フォーラム」に対抗し、新自由主義とそのグローバリズムに反対し、貧困と戦争のない「もうひとつの世界は可能だ!」を合言葉に始まったWSF。それが「アフリカで開かれた意義は大きい」と丸山さんは言う。人口の半分くらいが一日1ドル以下で暮らしていると言われるケニア。水道水をちょっと飲み込んでしまっただけで「文明人」は体調を崩す。そんな中で世界各国の人びとと平和を熱く語り合ってきた3人は、その可能性への確信を持ち帰ったようだ。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

9条の会・こがねい 第2回 会員全体の集い
日時 2007年2月4日(日)
場所 萌え木ホール
報告  年次総会に当たる第2回「会員全体の集い」が、2月4日(日)萌え木ホールで開かれ、70余名が参加。憲法九条を守る運動の更なる発展をめざして、活発な意見交換がおこなわれました。

《学習講演会−改憲のための手続き法案「国民投票法案」について》
 まず、政府与党が5月3日(憲法記念日)までに成立を狙う「国民投票法案」(改憲手続き法案)の問題点について弁護士の池末彰郎氏が後援。
 与党案が(民主党案も)国民投票における改憲成立条件について、最低必要な投票率の規定を設けず、本来「有権者の過半数」であるべきところを、「(有効)投票数の過半数」の賛成でよいとしていること。その他、運動の自由の制限も含めて、まったく「改憲をしやすくするためだけの法案」であることを、詳しい資料とともに明らかにされました。
 そして、世論調査では、「改憲不要」が多数派であり、安倍内閣の支持率は急速に低下していることを踏まえ、世論の動き(私たちの運動の盛り上がり)こそがカギだ、と強調されました。

《運動方針・討論−活発な雰囲気の中で》
 休憩をはさんで音楽のひととき。小林千晶さん(市内在住)のフルート演奏が、会場の空気を優しく潤してくれました。
 総会に入って、世話人から、1年間の総括・会計報告とともに「2年目の活動方針」が力強く提起され、それをめぐって活発な討論がおこなわれました。
 1時間余りの中で22人が発言するという、熱気あふれた、お互いに元気の出る、よい集いとなりました。
お問合せ 9条の会・こがねい 小山 Tel 042-383-6075

 

町田南地域九条の会 第6回学習討論会
日時 2007年1月28日(日)
場所 つくし野センター第2会議室
報告  1月28日、つくし野センター第2会議室で、町田南地域九条の会主催の第6回学習討論会が開かれました。

《新自由主義と憲法『改正』》

この日のテーマは「新自由主義と憲法『改正』」。1980年代以降、日本でも「ネオ・リベラリズム」(新自由主義)の経済政策が取り入れられた結果、所得格差と貧困率が著しく上昇し、今では大きな社会問題になっています。さらに、強いものが勝って当然という新自由主義は、「文明と人道に反するものは、武力で押し潰してもかまわない」という新保守主義(ネオコン)の主張や価値観と相まって、イラク戦争に代表されるように、アメリカの危険な対外政策と深く結びついてきました。そして、このアメリカに協力する目的で進められているのが今の憲法「改正」の動き。講師を引き受けた世話人の吉本臣精さんは、自分は学者でも評論家でもないと前置きしながらも、豊富な資料にもとづいて分かりやすく説明しました。
参加者は会場いっぱいの27名。親の立場から見た若者の現状と期待をこめた議論や、憲法を守ることの重要性と展望について、活発な意見が交わされました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第21回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年12月17日(日)
場所 調布市民プラザ3階 あくろすホール
報告  12月17日(日)、あくろすホールで開いた調布「憲法ひろば」第21回例会には50人が参加。「北朝鮮問題と日米安全保障体制」と題した島川雅史さん(立教女学院短期大学)のお話は「目から鱗」の連続でした。

《MD構想は何を守る?》
 まず島川さんは、北朝鮮がミサイルを撃ってくることはありえないとしたうえで、日本のミサイル防衛(MD)構想が日本を守るためのものでないことを指摘しました。奥尻島沖のイージス艦と青森県の車力に配備される迎撃システムは、青森から北海道上空を狙うミサイルを迎え撃つもの。MD構想は、東京ではなく、アメリカ本土を狙うミサイルへの防衛体制だとの指摘には参加者もびっくり。

《明かされた日米一体化の軌跡》
 ついで話は、湾岸戦争以降、どのように日米一体化が進んだのか、という本題に。「金だけ出して人を出さなかった」といわれた湾岸戦争では、アメリカにとって英仏の軍事力より、日本の135億ドルの資金力のほうがはるかに効果的だったにもかかわらず、それでも戦後、海上自衛隊の掃海艇を派遣する結果となり、「実質的な分担」を日本が行なう意味で大きな転換となったこと。93〜94年の朝鮮半島核危機は、第二次朝鮮戦争の半歩手前の状況であり、その場合の日本の協力体制を得るための日米安保再定義が急務となったこと。9・11以降、日米一体化を軍事面でも推進する動きが強まり、アフガン戦争ではアラビア海で海上自衛隊が「ガソリンスタンド」を務め、イラク戦争ではサマワに陸上自衛隊が駐屯し、後方支援から前線参加に転じたこと。ただし、実は陸上自衛隊はほとんど実務的な役割を果たせておらず、サマワを隠れ蓑にしながら、航空自衛隊の輸送任務と、海上自衛隊の「ガソリンスタンド」任務が、アメリカにとっては大きな意味をもっていたこと。ファルージャで虐殺行為を行なった米軍は沖縄の海兵隊だったこと。さらに費用面・効果面から疑問視され、イギリスもカナダも降りたMD構想に日本は積極的に応じていること。日本政府は日米安保条約を、日本が侵略された時にアメリカが守ってくれる条約と説明しますが、米国の戦略報告やインターネット情報を駆使する島川さんの報告は、日本の公式見解をアメリカが否定しており、アメリカのための軍事一体化同盟であることを浮き彫りにしました。

《米軍基地抱える日本だからできること》
 「マスコミが必要な情報を伝えないなかで、どうやって確かな情報を得ればいいのか」「これから私たちはどうすればいいのか」という会場からの質問に、島川さんは新しいメディアとしてのインターネットの可能性に言及するとともに、ベルギーやトルコがイラク戦争中に米軍の領土・領空の通過を拒否した例をあげながら、米軍基地を抱える日本だからこそ、基地を使わせないことで戦争を阻止することができるという展望を示しました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

三鷹 憲法講演会 パートV −三鷹9条の会 2周年
日時 2006年11月24日(金)
場所 三鷹市公会堂大ホール
報告   三鷹9条の会が発足して2周年記念の「憲法講演会PART3」のつどいを11月24日に開きました。

《今こそ平和をつらぬく》
 講師は「3年B組金八先生」の脚本を書かれたシナリオライターの小山内美江子さん。「今こそ平和をつらぬく 戦争で得するわずかな人のために殺し合うなんて」というテーマでの講演でした。小山内さんは、「今朝の新聞を読んで、子どもたちがなくなっている。イラクでの爆弾テロで200人が死亡した」と切り出し、「ブッシュは京都議定書を採択していない。これは環境の悪化につながり、世界で日照りが続いても、洪水が起きてもブッシュの責任だ」と言い切る。「私は改憲論者である。今の現実に合わせて、9条2項は、【前項の目的を達するため、陸海空軍その他は保持しているが、国の交戦権はこれを認めない】と変えるべきである」と現憲法に違反して、世界屈指の軍事力を持つ自衛隊を批判。「戦争の悲惨さを二度と味わうまいという経験の中から、生まれたのが憲法9条。憲法9条を守り、9条を大切にと私は女たちの9条の会に入っています。母親9条の会、静岡の会、熱海の会、平塚の会、川崎宮前の会、なぜか温泉地の上諏訪9条の会にも入っています。ここ三鷹9条の会にも入らせていただきます」という結びに会場から大きな拍手が起こりました。

《地域でも九条の会が続々と誕生》
 講演の前に、司会のパントマイミストの松井朝子さんが「この2年間で市内の井の頭・新川・大中原の三地区で地域9条の会が結成された。また大沢では憲法の学習会が始まりました」と報告の後、井の頭9条の会の呼びかけ人の一人で音楽を通じて平和を訴えているチェリストの飛山さん、ピアニストの安芸さんご夫妻の心にしみいる演奏を楽しみました。
 参加者は270名、会の発展のためにという会場カンパは10万円の大台を超えました。
お問合せ 三鷹9条の会 神田 Tel&Fax 0422-46-5702

 

豊ヶ丘九条の会 発足総会
日時 2006年11月19日(日)
場所 豊ヶ丘市民ホール
報告  多摩市の豊ヶ丘「九条の会」の発足総会が19日、豊ヶ丘市民ホールで開かれ、69人が参加しました。

《草の根からの運動の広がりをめざして》
 1年間の準備会の活動経過報告の後、会の申し合わせ事項やアピールを採択、毎月19日を「九条の会」の集まりの日とし、活動を広げていくことを確認しました。
 総会では、杉井静子弁護士が「あなたと考える憲法・国民投票法案」をテーマに記念講演しました。
 参加者から「九条を守ろう」「学んだことを自分たちの言葉で広げてゆこう」など、多彩な発言がだされました。
お問合せ 豊ヶ丘九条の会 (多摩市)

 

調布「憲法ひろば」 2周年記念集会
日時 2006年11月16日(木)
場所 調布市文化会館「たづくり」くすのきホール
報告  調布「憲法ひろば」は11月16日夕、調布市文化会館「くすのきホール」で、誕生二周年の集会を開催。同日、衆院本会議で行われた教育基本法改正案強行採決に抗議すべく急遽国会に駆けつけた人びととも呼応し、集会への参加は240人でした。

《手づくりで対話を求めた集会》
 集会はすべてオリジナル企画。プロローグは、ある調布市民が廃墟長崎で憲法に出会った感動を綴った手記を劇化し、石川さんと二宮さんが熱演。日本国憲法が昔も今も放つ新鮮な輝きが参加者の胸を打ちました。
 主催者あいさつをした富永りかさんは、有名人を呼ぶ方式でなく、あえて手間ひまのかかる「手づくりによる対話づくりと繋がりづくり」を大事にする方式で集会を準備したこと。その思いを集会タイトルに込めたことを強調。「政府・与党が衆院本会議で教育基本法改正案を強行採決したのは『対話』の逆を行くもので許せない」と、有志が準備した抗議文に連名する方は申し出て欲しいと訴え、約100人が同意しました。続いてにわか噺家の鈴木家寝坊助さんが「社会保障つぶしは九条改憲の条件づくり?」との創作落語で十年来の生活破壊と憲法改悪が一体であることを解明しました。

《若者たちと手をとりあって》
 サークル「P魂s(ピーソウルズ=平和の魂を持つ仲間)」の若者たちが、東京大空襲や中国の重慶爆撃の体験者から平和への願いを引き継ぎながら平和のメッセージを広げるために奮闘していると報告すると、年配の参加者が「希望の灯が見えた」とそっと涙をぬぐっていました。

《対論に湧いた怒り?と笑い!》
 「対論」では、改憲派役の富永信哉さん(子どもと教育を考える市民会議)が「北朝鮮が核を持って不安」「何をするか分からぬ金正日に核を使わせぬために日本はアメリカに頼らず最小限度の実力としての核を持つべきだ」と問題提起。護憲派役の丸山重威さん(ジャーナリスト)が「核を持たずアメリカの核の傘に頼る、アメリカに頼らず核を持ち強い日本をつくる、などは世界破滅への道」「核を持たず『憲法九条がキラリと光る美しい国』をつくることにこそ展望がある」と応えます。フロアから「経済力に絶対的な差があり世界のどこにも味方のない北朝鮮に戦争は不可能、なぜ恐れるのか」と、改憲派を「諌める?」発言もありました。
 堀尾輝久さん(教育学者)が「教基法は審議不十分というより審議で問題点が明らかなので廃案にせよという批判が必要」と発言。「フロア討論」は「発言すると5000円くれますか?」と文部科学省のヤラセを風刺する発言からはじまって、「テポドンの性能」論議や「教基法改正案の強行採決」への怒りとたたかう決意、「P魂sの若者に会えて良かった」との感想など多岐に亘りましたが、チューター役の竹内常一さん(教育学者)が客席を巡りながら絶妙に捌きました。

《胸膨らませて3年目へ》
 「憲法9条を活かし子どもたちに明るい明日を!」・・・発足集会で掲げた初心を実現するために「もっと対話を!」との思いをともにしあった集会でした。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

9条の会・こがねい 結成一周年のつどい
日時 2006年11月12日(日)
場所 東京学芸大学 芸術館ホール
報告  9条の会・こがねい一周年のつどいは、11月12日(日)東京学芸大学芸術館ホールで開かれ、約300名が参加しました。

《草の根からの声を国会へ −小森氏の講演》
 第1部では、九条の会事務局長の小森陽一さんが「今が分かれ道−守りぬこう平和憲法」と題して基調講演をおこないました。「憲法とは、主権者である国民の権利を守るために、国家権力に縛りをかけるもの。それが今、逆に国民を縛るものに転化されようとしている。まさに『憲政上のクーデター』であり、私たちは主権者として、九条を持つ日本国憲法を、あらためて自分のものとして選び直し、日々行使していく『不断の努力』を、さらに精力的にやっていこう。世論を変えれば国会も変えられる。私たちの草の根の運動を国会に反映させよう。」との迫力ある問題提起がされました。

《みんなで力を合わせ過半数世論を》
 第2部のリレートークでは、市内6団体の代表が発言。「力を合わせて、過半数世論をつくりだそう」という志を確認し合いました。その間をつないで、ベテラン島筒英夫さん、杵島純子さんのピアノと歌、若者による和太鼓・ピアノセッションの音楽演奏が、人々の平和を求める心に響きわたりました。
 最後は、みんなで小金井発の歌「I LOVE 憲法」を合唱し、池末代表が「今後も憲法九条の精神を全世界に広めるために努力する」との決意を宣言して散会しました。
 ロビーには書籍・9条パン・原水禁パネルなど多彩なコーナーも並び、当日会場での署名67筆、新入会者7名、カンパ84,900円が寄せられました。
お問合せ 9条の会・こがねい 小山 Tel 042-383-6075

 

町田南地域九条の会1周年記念行事 平和を願う文化の集い
日時 2006年10月29日(日)
場所 南市民センターホール
報告  10月29日に行なわれた町田南地域九条の会、結成一周年記念行事「平和を願う文化の集い」。
 会場の南市民センターには、200名を超える人たちが集まり、アーサー・ビナード氏の講演を聞き、歌、踊り、紙芝居を楽しみました。

《参加者の感想より》
・アーサー・ビナードさんのお話は、心にしみるものがありました。サルビア合唱団の合唱では、涙がこぼれました。ことばの重み、歌声の力強さが、こんなに人の心を温かくし、豊かにしてくれるのですね。合唱の良さ、楽しさを存分に味わった思いです。

・サルビア合唱団が出るのできてみました。盛りだくさんの内容で楽しかったです。中学三年生の娘たちが「ロックソーランを見られるなら一緒に行く」といってついて来てくれました。

・とても楽しく、有意義な時間でした。ビナードさんのお話は、言葉の大切さを考えさせられました。地域のみなさんの顔が見える取り組みに、とても励まされました。

・平和を考えるにあたってさまざまな切り口からプログラムを考えておられて、良かったと思います。アーサー・ビナードさんのお話が、とても心に残りました。「いろいろな世代が集える」場を地域に作り上げていくことは、これからも大切にしたいことですね。

・南地域の人たちの多彩さとエネルギーに驚きました。このエネルギーがあれば、そしてもっと拡げることができれば、改憲の企みをはね返すことができると確信しました。

・太鼓の音は腹の底に響いて、改めて、人々が集う楽器として「素晴らしいな」と思いました。他国の言語、文化への理解を深めたアーサーさんだからこそ、自分の国アメリカを見ることができるのではと思いました。水彩画の紙芝居は雰囲気があってすごい出来映えで驚きました。

・アーサー・ビナードさんのお話、心から感動しました。心にとめたい言葉を沢山いただきました。町田南地域九条の会のあり方も良いですね。私も、鶴川でがんばります。

・アーサー・ビナードさんの講演、大ヒットでしたね。紙芝居あり、フラダンスあり、サルビア合唱団の合唱ありと実に多彩。まさに文化のあふれる大集会でした。

・アーサー・ビナードさんのお話は、説得力がありました。結局、死の商人が自分たちの利益を得るために戦争を起こすことがよく分りました。盛りだくさんの文化行事も平和を願う気持ちが伝わり、生きる力を与えてもらいました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

憲法・教育基本法「改正」に反対するまちだ市民集会
日時 2006年10月27日(金)
場所 町田市民ホール
報告  教育基本法「改正」に反対するまちだ市民集会「教育は子どもが主人公」が27日、町田市民ホールで開かれ、父母や児童・生徒など市民650人が参加しました。

《教育基本法あってこその「楽しい学校」「平和な日本」》
 子どもたちのダンスではじまり、続いて教師、母親、生徒が発言しました。
 養護学校で寝返りもできない超重症児を受け持つ教師は「子どもたちに何が必要かではなく、目標や命令といかにつじつまを合わせるかばかりに振り回されているのが学校の実態。それでも、学校に来るだけでも大変な生徒たちが、少しでも楽しい学校生活を送れるようにがんばっている。それは教育基本法が教育の機会均等をうたっているから。これが変えられると、この子たちが切り捨てられる」と語りました。
 学校説明会で教育基本法のことを語るという和光中学・高等学校の両角憲二校長は「人間にとって最大の不幸は戦争。戦争にならないように、自主的精神をもつために学ぶ。教育基本法を変えたい人たちは『平和的な国家』が邪魔なんだろう」と述べました。

《教育基本法「改正」をはばむために》
 続いて、堀尾輝久さん(東大名誉教授)が講演しました。教育基本法改悪案に「国を愛する心」などの目標を盛り込むことは、教育の権利の基礎になる憲法が保障する思想・信条の自由に違反すると批判しました。
 最後に、集会実行委員会を構成する48団体の代表が登壇し、学習会や署名・宣伝、議員要請などの行動提起を行ないました。参加者からは、「子どもたちのことを思うと、戦争は嫌だし、平和が本当に大事。どうして教育基本法を変えたくないか、その思いを身近な人に語りたい」との感想がだされました。
お問合せ 憲法と教育基本法改悪反対!まちだ市民運動実行委員会

 

多摩市民「九条の会」 2周年記念のつどい
日時 2006年10月14日(土)
場所 関戸公民館ヴィータホール
報告  多摩市民九条の会は14日、結成2周年のつどいを多摩市関戸公民館ヴィータホールで開き、開場一杯の230人が参加しました。

《憲法9条と教育基本法を生かすために》
 第一部は、スライドとナレーションによる2周年の歩み、6人の市民による「お国ことばで九条を」、40人の合唱などがおこなわれました。第2部は、「生かそう憲法9条&教育基本法」と題して九条の会事務局長の小森陽一氏が講演をしました。わかりやすく説得力があったとの声が多く聞かれ、熱気に包まれたつどいとなりました。
お問合せ 多摩市民「九条の会」 堀江 Tel 042-374-8276 

 

平和大好きinあきしま 戦争をする国にしないで!〜生かそう憲法9条〜
日時 2006年9月24日(日)
場所 昭島市民会館 大ホール
報告  「九条の会・あきしま」は24日、昭島市民会館大ホールで「9・24戦争をする国にしないで!生かそう憲法9条・平和大好きinあきしま」を開きました。約1000人の市民で会場をほぼいっぱいにしました。

《平和の大切さを訴えて》 
 市内のねがい合唱団の歌でオープニングし、集会実行委員長の堀美保子さんが開会あいさつ。「九条の会」の呼びかけ人の一人である三木睦子さんが、自分の体験を通して平和の大切さを語り、自民党の安倍晋三新総裁は、戦争の責任者だった人をほめたたえて、憲法を変えようとしていると批判しました。
 「九条の会」事務局長の小森陽一さんは、憲法と教育基本法の不可分の関係を明らかにして、教基法と憲法を一体的に変え、「戦争をする国」づくりをしようとしていることを解明しました。
お問合せ 九条の会・あきしま 堀 Tel 042-543-7199 松原 Tel 042-541-7199 清水 Tel 042-544-4791 

 

第18回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年9月23日(土)
場所 調布市民プラザ3階 あくろすホール
報告  「プレ「11月集会」パート1」と謳った第18回「憲法ひろば」は9月23日、あくろすホールで開催しました。その趣旨の広報が不充分だったこともあり、参加者は16人にとどまりましたが、前半、安倍総裁の登場で緊迫する「教育基本法をめぐる動きと課題」を学習・討論し、後半では「11月集会」へのプレ討論、企画・段取りの検討に時間を忘れました。

《安倍新政権の教育基本法「改正」STOP!》 
 安倍新政権が生まれるもとで「教育基本法・憲法はどうなるか?」・・・深大寺東町在住の富永信哉さん(調布「憲法ひろば」世話人、子どもと教育を考える市民会議)が報告・発題しました。
 富永さんは、「日の丸・君が代」強制に東京地裁が下した判決にもふれつつ、新政権が、「思いっきり保守5人組」(伊藤哲夫・西岡力・島田洋一・八木秀次・中西輝政)をブレーンに、憲法と教育基本法の「改正」を位置づける政権だと、具体的な資料で紹介。臨時国会も照準に入れて「教育基本法改悪」を許さぬために、多摩各市の市民グループが共同開催する『STOP!教育基本法「改正」10・8集会in調布』への協力と参加を訴えました。

《市民のみなさんの幅広い参加を実現するためにあなたのお力を!》
 調布「憲法ひろば」の誕生から2年を喜び、全ての調布市民のみなさんの合意をつくりだす広場としての役割を画期的に前進させようとの思いを込めた「11・16集会」まで、2ヶ月を切りました。
 例会の後半は、これまで2回開いた実行委員会の到達点を受け、「11月集会」の具体的な内容を検討。集会スローガン・タイトル、ビラ、チケットの確認をし、市民のみなさんに広く普及することを相談しました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

日野市民九条の会 講演会&発足の会 「九条で日本と世界の平和を」
日時 2006年9月23日(土)
場所 日野市民会館大ホール
報告  日野市民九条の会は23日、市内で講演会と発足総会を開き、650人が参加しました。
 
《憲法九条は世界の平和運動の先頭にたつもの》
 まずは、市民による詩の朗読と、「ねがい」「あの日の授業」の混声合唱で開会。
 暉峻淑子さん(埼玉大学名誉教授)が「もう一つの世界は可能だ 〜競争原理と武力をこえて」、杉原泰男さん(一橋大学名誉教授)が「憲法九条の輝く時代を」と題し講演しました。
 杉原さんは、政府は憲法制定時、憲法九条について「世界の平和運動の先頭にたつもの」と説明していたと紹介。「市民の反戦運動が世界に広がっている今日、日本国憲法の時代が来ている。日野から世界の夜明けを」と語りました。
 講演終了後、「日野市民九条の会」発足総会が開かれ、会場の参加者から「国民学校一年生で疎開し、寂しくみじめな思いをし、戦争は二度と繰り返させないという思いで、戦後60年間を生きてきた。会ができてうれしい」と発言。会の発足と9人の代表、申し合わせ、事務局体制を確認しました。
お問合せ 日野市民九条の会(日野市民法律事務所内) Tel 042-587-3533

 

西東京 「なぜ変えるの?教育基本法・平和憲法」 ◇講演会◇
日時 2006年9月22日(金)
場所 コール田無
報告  西東京市田無のコール田無で22日、「教育基本法改悪反対・講演のつどい」(西東京怒りの総行動実行委員会主催)が開かれ、市民や労働者、教職員など160人が参加しました。

《勝ち組・負け組選別NO!》
 集会ではフリージャーナリストの斉藤貴男さんが「勝ち組・負け組に子どもを分ける教育NO!」と題して講演。政府の教育基本法改悪案は、「構造改革」の名のもとに、国民に国を優先する価値観を強制しようとするものであり、ごく一部のエリートの「勝ち組」と、そうでない「負け組」を必然的に生み出す教育になってしまうと指摘。特に教職員には「教え子を再び戦場に送るな」の志の高い取り組みと、幅広い運動への結集を強調しました。
 集会では、29日の市内デモ、10月14日の明治公園での「教育基本法改悪反対大集会」の成功に向けて、全力で取り組むことを確認しあいました。
お問合せ 西東京地区労 Tel 042-422-6869

 

九条の会・金森発足1周年のつどい 「憲法九条と私たちの思い」
日時 2006年9月17日(日)
場所 金森中央会館
報告  町田市の「九条の会・金森」は17日、九条の会として再発足して一周年記念のつどい「憲法9条と私たちの思い」をひらき、40人が参加しました。

《語りあった憲法九条への熱い思い》
 憲法、教育基本法改悪を正面に掲げたタカ派安倍政権の登場必死という危険な情勢のなか、つどいでは会の女性グループによる、井上ひさしさんの『子どもにつたえる日本国憲法』の朗読、舞台女優村田洋子さんのひとり語り、ルソン島で戦死した詩人竹内浩三さんの詩、官憲に虐殺された小林多喜二の母セキの慟哭、東京大空襲の悲劇を熱演し、憲法九条への熱い思いを語りかけました。
 「国民投票法案と憲法九条を守る運動」について講演した四位直毅弁護士(全国革新懇代表世話人)は、改憲多数派の結集を狙う国、改憲手続き法案の危険なカラクリを明らかにし、同法案の阻止と九条を守る運動と展望について話しました。
 トーク・トークでは、福岡大空襲を体験した主婦が、教育基本法については教師が、在日の元朝鮮高校教師がそれぞれ発言。会では有権者過半数の九条を守る署名を本腰を入れてすすめることなどを確認しました。
お問合せ 九条の会・金森 事務局 塚平 Tel&Fax 042-722-6899

 

輝け憲法九条 市民のつどいIN武蔵村山
日時 2006年8月27日(日)
場所 武蔵村山市民会館 さくらホール
報告  「輝け憲法九条 市民のつどいIN武蔵村山」が、27日開かれ、270人が参加しました。

《心に響いた小森氏の講演》
 集会は、「武蔵村山憲法九条の会」が設立2周年を記念して主催したもので、小森陽一さん(東大教授、「九条の会」事務局長)が「憲法を変えたら日本はどんな国になるのか?」と題して講演しました。
 参加した方からは「とてもよく分った。時間が短く感じた」などの感想が寄せられ、開場では、10人が「九条の会」に入会しました。
お問合せ 武蔵村山憲法9条の会 伊澤 Tel 042-560-2563

 

第17回 調布「憲法ひろば」 '06 夏「合宿」
日時 2006年8月12日(土)〜13日(日)
場所 八王子「大学セミナーハウス」
報告  第17回「憲法ひろば」は8月12〜 13日、「合宿」と銘打って、八王子・野猿峠の「大学セミナーハウス」で開催。日帰り参加者も含めて51人が参加しました。

《白熱の合宿討論 −渡辺治さんとともに考えました−》
 国分寺在住、「九条の会」事務局の渡辺治さん(一橋大学教授)が「改憲策動のねらいと現段階・・・・自民党新憲法草案から国民投票法へ」と題して講演。国民的な反撃の底力と到達点、課題と展望を語り、会場を質疑を含め二時間を超える熱い討論に引き込みました。
 渡辺さんは改憲論の最近の二つの言説を紹介し、これを具体的に検証しました。
◇現実に合わない?◇
 「現実とずれているから変えるべき」との説は憲法を誤って捉えています。「現実を変えて理想に近づけようとするのが憲法」なのに、理想の方を書き換えるのは愚かしいと指摘します。
◇北が攻めてくる?◇ 
 「改憲しないと北朝鮮に攻められる、中国にバカにされる」との説は現実を正確に捉えていない。「北朝鮮の国力は日本の260分の1、国家財政の規模は足立区なみ。海を越えた日本に戦争を仕掛ける能力や意志があると思いますか?」。政府も正式に「脅威」と認めたことはなく、「9条を変えない限り攻撃を受ける危険性はない」と。

《戦争する軍隊は認めない立場で》
 「憲法は、神棚に置いても、唱和しても役に立たない。憲法を役立たせるのは、理想に向けて現実を変える運動、改憲を許さずこれを活かす国民の運動です」。期せずして共感の拍手が起こりました。
 最後に渡辺さんは「九条改憲を許さない五つの提言」を強調しました。
 @運動の蓄積に確信を、A日本が「殴る側の国」であることの自覚を、B国民の過半数が立ち上がる運動を(自衛隊の合憲・違憲でなく戦争する軍隊を認めない一致点で)、C社会保障切り捨てと貧困・格差に反対する運動と一緒に、D「九条の会」を広げよう。

《調布のまちで過半数の運動をどうつくるか?》
 これをうけての質疑・討論も、夜更けまで行われた交流と懇談も、泊まりがけで続けた翌日の討論も、調布「憲法ひろば」を、どう広げ、調布のまちに住民の過半数が立ち上がる運動をどうつくるかという問題が大きな関心事になりました。とくに、調布「憲法ひろば」が発足3年となる年末に、多くのみなさんの知恵と力を集める実行委員会による集会を開くことを申し合わせました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

九条の会・国立 「温泉につかって五日市憲法を学ぼう」
日時 2006年8月1日(火)〜2日(水)
報告  12時に市役所に集合し、2台の車に分乗して一路五日市へ。参加者は9人でした。

《民主的で先進的な五日市憲法に感動》
 五日市憲法関係資料が展示されている五日市郷土館は定休日で観覧できず、宿泊旅館の光明山荘に直行しました。「光明山荘」に到着後、歴教協会員の古谷博先生(共立女子大講師)から五日市憲法が創られた明治初期の時代背景や、五日市憲法の先進性、近代性について学び感動しました。
 学習会終了後、五日市憲法が発見された深沢家屋敷跡に向かいました。五日市駅から徒歩1時間、車だと10分のところですが、公共交通機関はなく、観光地化はされていません。土蔵は30年前の発見当時はボロボロでしたが、現在はきれいに修復されています。門はその後、復元されたものです。裏手には深沢家の墓があり、自由民権運動の同志がたてたとみられる深沢権八の墓は、西洋かぶれの彼らしく「権八深沢之墓」と表記してありました。
お問合せ 九条の会・国立  松岡 Tel&Fax 042-572-1693

 

あいはら・小山九条の会(町田市) 九条平和展
日時 2006年7月30日(日)
報告  町田市堺市民センターで7月30日、「あいはら・小山九条の会」の九条平和展が開かれ、30人が参加しました。

《歌あり笑いあり涙あり・・それぞれの想いがこもった展示会》
 同会は、7月16日に結成総会を開いたばかりで、わずか2週間の取り組みでした。展示は、パッチワーク、ビーズの作品、陶芸、ハンカチピエロ、絵画、写真、切り絵、絵手紙、ぞうり、ブックカバー、詩の本など、会場いっぱいの作品が並びました。
 廊下には、原爆パネルも並べられ、戦争のむごさを訴えていました。
 展示会は歌声から始まり、お茶やお菓子を口にしながらの歓談もあり、参加者全員による詩の朗読では、涙を流す場面もありました。最後に「青い空は」の全員合唱で終わりました。
お問合せ あいはら・小山九条の会(町田市) 杉崎 Tel 042-772-4633

 

立川 憲法学習会「ホントは怖い改憲のはなし 〜自民党新憲法草案の本音〜」
日時 2006年7月29日(土)
報告  新日本婦人の会、三多摩健康友の会、年金者組合の幸町と栄町の班の呼びかけで「憲法学習会」が7月29日、幸公民館で開かれ、26人が参加しました。

《身近なところから「九条の会」を》
 
 三多摩法律事務所の小林善亮弁護士が「憲法『改正』で何がどう変わる」とのテーマで講演しました。参加者からは講演に対する質問とともに、「憲法改悪を許さないために、身近な地域で『九条の会』をつくり、運動することが必要ではないか」などの意見も出されました。
お問合せ 伊藤良 Tel 042-522-5833 石井淑子 Tel 042-535-7016 今井治江 Tel 042-537-2560 
内山京子 Tel 042-535-5666 大野初江 Tel 042-535-5456 加藤恭子 Tel 042-537-2217 
河辺千登世 Tel 042-525-9021 佐々木ひろ Tel 042-536-4622 白井紀帆 Tel 042-524-4174

 

東大和9条の会 一周年のつどい
日時 2006年7月29日(土)
場所 東大和市中央公民館ホール
報告  「東大和9条の会一周年のつどい」が7月29日、東大和中央公民館で開かれ、210人が参加しました。

《にぎやかなオープニングアトラクションと地域の活動報告》
 まず、東大和新婦人コーラスによる歌唱指導、主婦グループによる「よさこいソーラン」の勇壮な踊り、高校生のアカペラによる歌など、にぎやかに始まりました。
 つづいて、市内各地域から「『憲法ウイーク青空フェスティバル』と題して都立南公園で行ったコンサート集会に高校生を含め地域の方が300人集まった」「呼びかけ人・賛同者を一気に倍増させた」などの活動が報告されました。

《いまこそ憲法に恩返しを!》
 講演は、「九条の会」の小森陽一事務局長が「憲法を守る運動の到達点と今後の課題」と題して行いました。「日本とアジアの平和は憲法九条に守られてきた。いま九条をなくしてしまおうという動きがある中で、憲法の大切さを広めて、憲法に恩返しをしようではありませんか」と結びました。
お問合せ 東大和9条の会 東大和市職員組合内 Tel&Fax 042-565-0866 

 

第16回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年7月23日(日)
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  第16回「憲法ひろば」の参加者は32人。柴崎在住のご夫妻、菅野(すがの)千春さん・菅野一夫さんの「憲法が保障する『障碍を持つ子ども』の権利とは?」の発題を受けて討論しました。日本国憲法・教育基本法の力を確め合う熱く濃いひと時となりました。司会には、障碍を負う子どもたちとともに歩むネットワークの主事として菅野ご夫妻の相談にのり、日本国憲法と教育基本法・子どもの権利条約・ユネスコのサラマンカ宣言を踏まえれば子どもの人権が守れることを示唆した柴崎の青木道代さん(「憲法ひろば」世話人の1人)にお願いしました。青木さんの情熱いっぱいの解説も受けながら、会場での討論は大きく弾みました。

《憲法は子と親の権利を保障してくれている》
 「ふだん憲法を意識して生活することはなかった・・・・」、「それが今度のことを通して、憲法に日々守られて生活してるんだなと感じました。そのことを今日はお話しさせていただきます」。
 こう前置きして千春さんは、長男Kくんへの「いじめ」が発覚した時、学校が対策を事実上逃げたこと。本人と両親が受け入れ学校を探し、そこへの転校を希望すると、こんどは行政が「規則」を盾に妨害。教育委員会は当人の希望を無視し「別の学校の心身障害児学級」への転学を指導するに及んだこと。・・・・次つぎと語られる「いじめ」に対する学校と行政の無為無策ぶりと理不尽な強制は、参加者たちの驚きと憤慨の溜息を誘いました。
 「憲法が守ってくれますよ!」。せっぱ詰まって相談に行った青木さんから受けたこの一言が千春さんを突き動かします。

《すがりつく思いで「憲法、助けてよ!」》
 憲法をはじめとする法律や条約を空が白むまで学び直し、「助けてよ!」の思いをこめてKくんと両親への権利侵害を問いただす「質問状」を書き上げた千春さん。「いじめに遭った子に『別の小学校の心身障害児学級に行け』というのは権利侵害に当たらないのですか?」。
 Kくんの願いを支持する立場に立ちきった千春さんと一夫さんの一念は、ついに学校と教育委員会の歩みよりを引き出しました。
 「他の選択もあったかも知れないけど」との自省もまじえて静かに語り終えた千春さん。「いま普通の学校で楽しく学んでる彼を見ていると、自分で選んだ所でこそ彼は今後も頑張れる、と思えるんです」と瞳を輝かせました。

《憲法・教基法の力に確信》
 参加者からは、いじめや障碍から逃げずに、Kくんの味方になりきって立った菅野夫妻の生き方、憲法と教基法を力にして問題の解決を迫った生き方への熱い共感が相次いで語られ、これに学び、生活と社会を憲法で見直したい、大人が強くなることが大事、障碍を持つ人と「共に生きる」道(インクルージョンやコンタクト)についても積極的に考えて行かねば、などの問題意識が相互に交流されました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

あいはら・小山九条の会(町田市) 結成総会
日時 2006年7月16日(日)
報告  町田市小山市民センターで16日、「あいはら・小山九条の会」の結成総会が開かれ、25人が参加しました。
 
《参加者全員が語った憲法への思い》
 雨宮剛さん(青山学院大学名誉教授)、八木一明さん(日本障害者乗馬連盟名誉会長)をはじめ、堺地区子どもの明日を語る会、町田生活と健康を守る会、日本子どもの本研究会、町田民主商工会などの会員、小学校の教員など13人が呼びかけました。
 一部ではコカリナの演奏と自作詩の朗読が行われ、二部では経過報告と会則、役員体制の承認、三部で自己紹介を兼ね参加者全員が「九条や憲法について」の思いを話しました。
 総会には「九条の会つるかわ」からも支援にかけつけ、「憲法を守る町田の会」を代表して斉藤勇事務局長があいさつしました。
お問合せ あいはら・小山九条の会(町田市) 杉崎 Tel 042-772-4633

 

東京土建小金井・国分寺支部9条の会 1周年記念講演会
日時 2006年6月27日(火)
報告  6月27日(火)国分寺駅ビルのLホールにて、小金井・国分寺土建憲法9条の会の結成1周年を記念し、フォトジャーナリストの郡山総一郎氏を招き講演会を開催しました。 

《子どもたちを守るのは私たち大人の責任》
 郡山さんの講演は、プロジェクターを使用し、戦争や病気で苦しむ貧しい国の子どもたちを中心とした写真を見ながら行なわれました。その国々に生まれてきた子どもたちには何の罪も無い、貧しさや殺し合いなど子どもたちが苦しむ状況をつくっているのは全て私たち大人である。そうした郡山さんの話を受け、私たち大人が今できることをし、責任を持って子どもたちを守ろうと確認し閉会しました。 
 講演会には、88名の方が参加していただきました。
お問合せ 東京土建小金井・国分寺支部内 Tel 042-324-5940 

 

三鷹9条の会 憲法講演会
日時 2006年6月17日(土)
報告  三鷹9条の会が、憲法講演会「『心』と戦争−靖国・教育・憲法」を三鷹市産業プラザで開き、130人が参加しました。

《「戦争国家」への道を阻むために》
 講師の高橋哲哉東京大学教授は、戦前戦中は、教育勅語で命を捨てても天皇・国家に尽くす学校教育が行われ、戦死した兵士らを靖国神社に神としてまつり、「戦争国家日本を支える国民の意識をつくっていった」と指摘し、教育基本法改定案は、公教育で「愛国心」を植えつけて戦争につなげるものだと批判。憲法改定の最大の焦点は九条だとし、為政者がどのように国を変えようとしているのかを知り、「九条を改悪させないのが私たちにとって最大の課題だ」と語りました。
 そのほか、国民投票法案の問題点を紹介した同会「演劇部」の寸劇や、三鷹市在住の藤井文子さんのバイオリン演奏もありました。
 参加者からは、「憲法九条、教育基本法、靖国神社が密接にからんでいるのがわかった。今の日本が戦争していた時代に戻ろうとしていることに危機感を持った」との感想もでました。
お問合せ 三鷹9条の会

 

八王子憲法9条の会 八王子憲法集会
日時 2006年6月13日(火)
報告  八王子憲法9条の会は6月13日の夜、八王子労政会館にて憲法集会を開き、180人が参加しました。

《教育基本法改定、国民投票法… 為政者のねらい知らせましょう》
 はじめに、法政大教授の五十嵐仁さんが「生かそう9条のちから」と題して基調講演しました。つづいて、浄土真宗本願寺派延立寺の松本智量住職、日本ホーリネス教団柚木キリスト教会の小枝功牧師、天理教多摩丘分教会の横内衛会長の3人の宗教者のほか、3人の地域9条の会の代表、都立校元教員らが、それぞれ発言しました。
 インターネットを見て参加し、「9条の会に興味がある」とその場で入会した学生もいました。
お問合せ 八王子憲法9条の会

 

町田南地域九条の会 第3回学習討論会
日時 2006年5月28日(日)
報告  町田南市民センターで、中野直樹弁護士(まちだ・さがみ総合法律事務所)を招いた「国民投票法案」についての学習討論会が開かれました。

《改憲に有利な国民投票法案》
 「日本の憲法は変えることがむずかしいという意味から『硬性憲法』と呼ばれます。ところが、与党案は、一般的に憲法が予定している改正国民投票実施のための公正な手続きを立法化しておくというものではありません。九条改憲にとって、有利な条件づくりが目的になっています。」
「衆参の3分の2を確保するために、改憲手続きの入り口で民主党の抱き込みをねらっていますが、与党・民主党の一本化を許さない世論づくりが大切です。」

 中野弁護士は法案のねらいを明らかにした上で、与党案と民主党案について詳しく説明しました。そして、「居酒屋で憲法論議し、たまたま『今日は俺がおごるよ』といったら買収罪になりかねない。」と国民の手足をしばる危険性についても分かりやすく話しました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第15回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年5月28日(日)
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  35人が参加した第15回「憲法ひろば」は、「『自民党新憲法草案』を読み解く」というテーマで東つつじヶ丘の丸山重威さんから発題をいただきました。司会は菊野台の大野哲夫さん。

《軍隊も核も役に立たない!》
 「平和・基本的人権・国民主権」と言う日本国憲法の真髄を変えようとする自民党「新憲法草案」は、憲法改正の限界を超えるもの。
 九条二項(戦力保持と交戦権の否定)を削除し、アメリカが希求する「イギリスと同じ同盟国」として一緒に戦争する日本をつくると言うのだが、「軍隊を持って核を持って、それでどうするの?」「一体だれと戦うの?」・・・表情を引き締めて次つぎと問いを発する丸山さんに、参加者も真剣な視線で応えます。

《「改憲は不要」をみんなの確信に!》
 「重税・社会保障連続改悪、格差拡大、共謀罪・教育基本法改悪」など「反憲法」的風潮が積み重ねられ、「PKO法・テロ特措法・イラク特措法」で海外派兵まで行なわれてるが、それでも自衛隊員が死なないのは憲法九条のおかげでしょ!「死んでも良いってこと?」誰も望んでない改憲は「必要ない」という確信をみんなのものにすれば変えられっこない。でも「良いじゃん」なんて言ってると変えられちゃうんですよね。
 自衛隊は戦力であり、限りなく違憲に近いから、戦力でない範囲まで縮小すべきなのです。小泉さんが「だから憲法を変える」と言うのは本末転倒ですよね。

《「憲法を」考える前に「憲法で」考えよう》
 人類の歴史と思想の結実点としての日本国憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存、を保持しよう(前文)」との決意に立って、可能な限り「軽武装」化し、徹底した平和外交を進める日本を。そのために「憲法を」考える前に「憲法で」考えようと発題をまとめた丸山さんに、「軽武装」という言葉はイヤ!との思いも含めて、参加者の共感と補強の意見が集中。軍隊も核も今日の世界では現実的に役に立たないことを意識を持つべきだ。北朝鮮の脅威と言うが、あの国にそんな戦力が無いことはアメリカも良く知っている。・・・情勢のとらえ方をおおいに深め合いました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

2006 三多摩憲法のつどい
日時 2006年5月26日(金)
報告  立川市女性総合センターアイムにて「2006三多摩憲法のつどい」が開催され、定員196名の会場がほぼ満席となる盛況ぶりでした。

《イラク戦争の現実を突きつけられて》
  はじめに、イラク戦争を題材にしたドキュメンタリー映画「Little Birds −イラク戦火の家族たち」の上映を行いました。イラク戦争でのアメリカの無差別爆撃によって3人の幼い子供の命を奪われた男性や、クラスター爆弾の破片が目に突き刺さった少女らの姿を通じて、この戦争の悲惨さ、無意味さが浮き彫りになりました。「日本人はブッシュと同じだ!」と迫るイラク市民の言葉が、胸に突き刺さります。映画の中には、自衛隊と日本のマスコミも出てきます。取材しているのは、自衛隊員の食事。おいしそうに食べている様子を撮影しています。その場面と、学校に通うのにも命がけなイラク市民の人々とのあまりにも大きな温度差に、違和感と悲しみ、怒りを感じます。報道では知ることのできなかった現実がそこにはありました。
 上映後には、短時間ではありましたが、監督の綿井健陽さんにイラクの最新情報をレポートしていただきました。撮影時よりさらに、現在は状況が悪化しているとの報告に驚かされるとともに、この戦争に「大義」など全くなかったことを改めて実感させられました。最後に、監督から「自衛隊は、このイラク戦争で実地訓練を終えた。イラク撤退が決まったが、次は、『軍』として米軍とともにたたかうための法整備等を確実にねらってくる。」との警告がなされました。
お問合せ 2006三多摩憲法のつどい実行委員会 Tel 042-524-4321 Fax 042-524-4093(三多摩法律事務所内)

 

きよせ9条の会 憲法記念講演会
日時 2006年5月19日(金)
場所 アミュー 7階 ホール
報告  きよせ9条の会は19日夜、施行から59年目を迎えた憲法の記念講演会をひらき、140人が参加しました。

《なんとしても9条を守るため、それぞれが自分の言葉で広げていこう》 
 はじめに、台田地域9条の会、西都保健生協9条の会の活動報告、絵手紙9条の会のスライド上映、塾で学ぶ子どもたちの作文紹介など、戦争体験や平和への熱い思いと、憲法九条をなんとしても守り抜く決意がのべられました。
 都教組清瀬地区教の役員から教育基本法改悪案を廃案にさせるため署名運動を急速に広げることが訴えられました。
 最後に、日比谷野外音楽堂で開かれた国民投票法案反対集会の会場から駆けつけた九条の会事務局長・東大教授の小森陽一氏が「なぜいま『改正』なのか−憲法と教育基本法」と題して講演しました。
 小森氏は、憲法がつくられた歴史と意義について述べ、変えてはならないことを変える自民党の改憲案を批判し、九条の会のアピールを自分の言葉で語ろうと呼びかけました。
お問合せ きよせ9条の会 事務局 高橋 Tel&Fax 042-493-7290

 

9条の会・こがねい特別企画 「戦争と平和を考える旅」
日時 2006年5月14日(日)〜15日(月)
目的 信州・無言館の見学と会員の親睦
報告  5月14日(日)、15日(月)に行われた特別企画のバス旅行には、19名が参加しました。

《平和への思いとそれぞれの志を交流できた貴重な旅》 
 一日目は、八ヶ岳山麓・大泉町で地元の「9条の会」と交流会。大泉の人たちは明るく、毎月9日は「九条サロン」で楽しく茶話会を開いていて、さまざまな困難もあるが、あせらずに、会報の題名「点滴 石を穿つ」の精神でねばりづよく取り組んでいるとのこと。
 小金井市立「清里山荘」で一泊して、二日目は、上田市の無言館(戦没画学生慰霊美術館)と、松代市の象山地下壕(松代大本営跡)を見学しました。無言館では、遺された絵が語りかけてくるものを感じとり、彼らの「無言」を私たちの口を通じて「叫び」にしなければとの思いを強くしました。松代大本営では、「一億総玉砕」の狂気を目の当たりにしました。敗戦直前の9ヶ月間に掘り巡らされた地下壕の距離は、5.9Km。ここに天皇・旧帝国軍・政府中枢を移して「本土決戦」に備えようとしました。強制連行の朝鮮人6,000人の過酷な労働と犠牲。その完成までの時間稼ぎの犠牲となった沖縄戦も忘れてはいけません。幻想ではなく、事実がそこにはありました。
 好天気に恵まれ、新緑の美しい高原の散策も楽しみながら、充実した旅となりました。
お問合せ 9条の会・こがねい事務局 鳴尾 Fax 042-387-0431

 

青梅大好き!豊かな自然・平和を守る市民のつどい
日時 2006年5月14日(日)
場所 青梅市民会館
報告  14日、「青梅大好き!豊かな自然・平和を守る市民のつどい」が開かれました。つどい実行委員会と青梅九条の会の共催です。市の新緑祭の多彩な行事と重なりましたが、昨年の発足集会より二割増しの350人を超える人々がつどいました。

《音楽の力で熱気につつまれた会場》 
 青梅九条の会事務局の中村項さんのあいさつで開会。第一部では、地元青梅の囃粋会(そうすいかい)による山車祭りのお囃子、ハイサイズによる沖縄音楽の歌と踊りで会場が大いに盛り上がり、うたごえサークル麦笛による笑いあり怒りありの「ニュータウン永山」開発のミュージカルのあと、会場全員で「ねがい」を合唱しました。

《「報道の見えない壁」の先にあったもの》
 続いて第二部では、2004年4月ファルージャにて拘束された高遠菜穂子さんによる講演「命に国境はない」がありました。思わず目を背けたくなる凄惨な映像を交え、日本の報道で伝えられていないイラクの現状、戦争の恐ろしさが伝わりました。文化を知らないことによるミスコミュニケーションや、「報道の見えない壁」が引き起こす悲劇が胸に迫る講演でした。
 最後に、市民のつどいのアピールを読み上げ、会場全体で「ふるさと」をうたい閉会となりました。
 ロビーには、参加団体を紹介するパネルが展示され、休憩時間に書籍や憲法グッズに人だかりができて、交流の場になっていました。
お問合せ 青梅九条の会 事務局 中村 Tel&Fax  0428-31-1302

 

九条の会・国立 靖国神社遊就館見学ツアー
日時 2006年5月13日(土)
報告  午後1時半に遊就館前に集合し、西川重則さんのガイドで各部屋ごとの見所を説明してもらいながら進めていきました。参加者は22名でした。

《天皇制と戦争賛美の異様な展示》
 ものの見事に天皇制と戦争賛美の展示に驚かされました。神武天皇の弓に金鵄の銅像から始まり、日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)と部屋ごとに解説がされていますが、侵略や加害の事実は一切触れられていません。それぞれ日本軍が戦果を挙げた様子を称えて展示されています。末期の特攻隊の手記や出撃の写真、人間魚雷“回天”の実物展示や数千枚の戦没者の写真に見学者の感激した感想文などが展示されています。“英霊の御心を次の世代に伝えましょう”との「遊就館友の会」は25歳までの年齢限定で募集されています。若者をねらった巧妙な働きかけに驚きました。
 午後3時45分からは、専修大前の千代田区労協会議室を借りて、西川さんへの質問や感想を述べ合って交流をしました。みなさんお疲れだったようですが、解説があってよく理解できたとおおむね好評でした。
お問合せ 九条の会・国立

 

あきる野9条の会 発足一周年記念パワーアップイベント
日時 2006年5月13日(土)
場所 秋川キララホール
報告  「憲法9条で平和を守る あきる野9条の会」(通称:あきる野9条の会 筆頭代表 瀬沼辰正、賛同者805名)は、5月13日、秋川キララホールで発足一周年を記念して「憲法9条 守る力を強く大きく」のスローガンを掲げ、2年前にイラクで拘束された体験を持つ郡山総一郎さんの講演やあきる野在住の国際的なピアニストである関裕子さんのピアノ演奏などのイベントを開催し460名の市民が参加しました。

《迫力ある「ねがい」合唱と心あらわれるピアノ演奏》
 山下千尋さん(秋留在住)の司会でイベントが進められました。オープニングに市内の各コーラスグループの有志が合唱曲「ねがい」を歌い上げました。指揮は安斎紀久二さん(小中野在住)、ピアノ伴奏は司会の山下さん。総勢33名で迫力がありました。
 続いて開会の挨拶に立った筆頭代表の瀬沼辰正氏(油平在住)が、イベントを取り組む中で賛同者が800名を越え、発足時64名であった氏名を公表しての呼びかけ人は5倍近い312名になったと報告。「憲法9条は一字一句変えてはならないとの思いをますます強くしているが、自分のペースだけでやっていたのでは改憲を阻止できない、9条を守る力を急いで大きくしよう」と呼びかけました。
 ピアニストの関裕子さんは、「音楽家として生活していけるのも平和のあるおかげと思いながら演奏します」とショパンのノクターンなど3曲を演奏しました。
 また、森迫真喜さんたち(草花在住)が憲法の前文と第9条を心をこめて読み上げました。

《つきつけられた戦争と貧困の中で暮らすこどもたちの現実》
 大きな拍手で迎えられたフリージャーナリストの郡山総一郎さんは「戦争の国の子どもたち」と題してイラクやイスラエル、カンボジアなどで撮った写真を映しながら、戦争と貧困の中で暮らす子どもたちの現実と日本と世界のかかわりについて1時間40分間、丁寧に時には怒りをこめて講演しました。
 閉会の挨拶に立った事務局長の前田眞敬氏(二宮在住)は、参加者が460名に達したと報告し、憲法を学ぼう、市民過半数のアピール賛同署名を集めよう、市内各所に9条の会をつくろうと会の3つの訴えを発表、もう一歩前に出た運動を進めようと結びました。
 開会に先立ってあきる野9条の会の活動の様子がスライドで上映されました。
お問合せ あきる野9条の会 事務局長 前田眞敬 Tel&Fax 042-558-7857

 

福生市民九条の会 「自由民権に輝いた青春。その中でうまれた五日市憲法を訪ねる」
日時 2006年5月7日(日)
コース JR牛浜駅⇒旧深沢家跡(五日市憲法草案の発見場所)⇒五日市郷土館(五日市憲法の説明資料など)⇒旧五日市庁舎(五日市憲法遺跡)⇒牛浜駅
報告  5月7日、「五日市憲法を訪ねる」会を開催し、33名が参加しました。
 朝10時に牛浜駅東口に集合した参加者は、会を代表して長田紀補子の挨拶と鈴木金吾事務局長による日程の説明の後、8台の車に分乗して出発しました。

《憲法記念日にも駅宣とビデオ上映会をしました》
 この企画は、福生九条の会が憲法記念日の行事の一環として取り組んだもので、記念日の5月3日には福生駅にて午前11時30分より12時30分まで、街頭宣伝とピラまき、カンパ、署名活動を行い、午後2時からは会場を松林会館に移し、「憲法の話」のビデオを鑑賞しました。

《当時の民権運動の「凄さ」を実感》
 この日の「五日市憲法を訪ねる」の講師には、代表委員の一人である安永弘紀さんの紹介で、江井英雄さんにお願いしました。江井さんは、1968(昭43)年に五日市町の旧深沢家の土蔵から五日市憲法が発見された時に、東京経済大学教授色川大吉氏の学生として参加し土蔵の中に入った一人であり、その後草案起草者の千葉卓三郎の研究をして「民権運動に輝いた青春」や「民衆憲法の創造」を著し、和光大学や東京経済大学の講師をされていた方です。
 まず、旧深沢村のはずれにある旧深沢家の土蔵に行きました。深沢家の門は残っており、くぐり戸から入り屋敷跡にのぼると、右側に土蔵があります。江井先生の話によれば、土蔵は東京都が重要文化財にしてから再建されたもので、発見した当時、屋根はぼろぼろで蔵の中はほこりが積もり鼠や昆虫の巣になっており、発見された書類は一寸触ると崩れそうになるような状態だったそうです。発見された「五日市憲法草案」も同じような状態で、崩さない為にフエルアルバムにそっと入れ、現在もそのまま「重要文化財」として保存されているそうです。
 旧屋敷跡は裏が山ですが、その上の方に深沢家のお墓があり、用意して来た生花を供えました。お墓を見ると、深沢名生の墓石の憐に息子の権八のお墓があり、墓石には「権八深沢氏の墓」と記されていました。権八は秀才で、15歳で村長になり、西洋学を学んでいたようで墓石の標紀が解かるようですが、このような標示のお墓は見た事が有りません。こんな時代にこのようなお墓とは驚きです。また深沢家は60町歩もの山林地主でもあり資産家で、貴重で高価な書物を買い入れ蔵書家でもあったようで、その書物を読む為に人が集まったとも言われ、千葉卓三郎の財政的支援者でもあったようです。
 次に訪れた五日市郷土舘では、今朝摘んで来たばかりの五日市名産の「のらぼう」やヒメマスの甘露煮等参加者各人が弁当を持ち寄り楽しい昼食会となりました。
 ゆっくり昼食を済ませた一行は、旧五日市役場に移動し、「五日市憲法草案の碑」の前に立ちました。この碑は、1979(昭54)年11月に中学校の脇に建てられており、碑には憲法草案の抜粋6条が刻んであります。なお、これと同じ碑が千葉卓三郎の出生地である宮城県の志波姫町と、彼が学び、眠っている仙台市に建立されておりますが、ほぼ同様の碑が3箇所に建てられた事は珍しい事です。
 つづいて、五日市出張所 ( まほろば ) で学習会を行ないました。講師は引き続き江井先生で、深沢家の土蔵に最初に入った時の事や、千葉卓三郎の足跡を辿り、多摩の山間地である五日市での民権運動、その中での学芸懇談会が徹底的な民主的な運営と討論で五日市憲法の草案が出来上がった様子を発掘された資料を基に説明されました。
 最後に、この学習会に福生以外から参加頂いた青梅市とあきる野市それに色川フォーラムの人達等から挨拶、感想、訴えがされ「五日市憲法を訪ねる」会は終了しました。
お問合せ 福生市民九条の会

 

憲法フェスタ in 府中!  5・6平和のつどい
日時 2006年5月6日(土)
場所 グリーンプラザ けやきホール
報告  「憲法フェスタ in 府中!」が開かれ、約400人が参加し、「憲法九条で日本と世界の平和を!」との誓いを確認し合いました。

《市内の団体による多様な文化プログラム》
 やまびこ保育園の園児、卒園児、父母、職員らによる和太鼓演奏につづき、挨拶に立った梅田欽治さん(府中九条の会代表世話人・宇都宮大学名誉教授)が、改憲に向けた情勢について報告しました。
 つづいて、東京外国語大学のロシア民謡研究会「ルムーク」によるロシア民謡の演奏、教育基本法が改悪されたら学校の現場はどうなるかをパロディーにした教職員有志による寸劇「はばたけ府中のこどもたち」が行われ、けやき平和コンサート合唱団と参加者が「ねがい」などを合唱しました。

《講演 「いのちの大切さとむきあって」》
 平山知子弁護士が講演で、結婚、労働など生活のあらゆる場面で憲法が「人間らしく生きる」権利を保障しているのに、それを小泉「改革」が壊していると批判。若者の多くが改憲に反対していることなどをあげ、「展望をもって改憲に反対し、世界に憲法九条を広めていこう」と訴えました。
 参加した男性(72)は「戦争の悲惨さを体で感じているから、憲法九条、平和の大切さを本当に実感している。今でも機銃掃射のことを思い出すと・・・」と声を詰まらせました。
お問合せ 「府中・九条の会」(府中労連内) Tel 042-333-7744 前沢清 Tel 042-335-7972

 

多摩市民「九条の会」 講演会
日時 2006年5月3日(水)
場所 永山公民館 (ベルブ永山) 4階 集会室
報告  多摩市民「九条の会」は、憲法記念日の3日、多摩市内で恵泉女学園大学の内海愛子教授の講演会を東京・多摩市で開き、130人を超える人たちが参加しました。

《不十分だった戦後補償を考える》
 「戦後補償から考える日本とアジア 平和憲法はアジアとの共有財産」をテーマに語った内海教授は、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判は、日本の植民地支配をとりあげていないことや、自国民に対する軍部や政府の戦争責任、連合国の戦争犯罪を除外するなど不十分なものだったと指摘しました。また戦争体験者が若い世代に体験を語り、平和憲法と結びつけていくことが大事だと語りました。
 講演に先立ち、多摩市にある地域の九条の会の代表者が地域での活動を報告し、交流しました。
 母親から集会があることを聞き、部活の帰りに立ち寄ったという高校2年生の男子生徒は、「憲法九条がアジアとの関係でできたものだったとか、言葉では知っていただけの戦後補償の内容がわかりました。これからもっと勉強していきたい」と話しました。市内の主婦は「講演を聞いて、若者に戦争体験を話して、戦争を知ってもらうことが大事だと思いました」と語りました。
お問合せ 多摩市民「九条の会」

 

9条の会・こがねい講演会 「輝け!憲法9条 イラク戦の真実を告げる」
日時 2006年4月29日(土)
場所 東京学芸大学 教育工学教室W110
報告  学芸大学で4月29日、「9条の会・こがねい」の講演会が開かれ、約280人が参加しました。

《学芸大学生九条の会準備会なども参加》
 「会」の代表である池末彰郎さん(弁護士)が、「国民投票制度が国会に提出されようとしている中、多くの市民に事態を知らせるきっかけにし、署名に大いにとりくもう」とあいさつ。学芸大学の学生九条の会準備会の代表から「学生生活は大変ですが、将来のことを考え、がんばりたい」との訴えや学芸大学教職員の代表のメッセージが紹介されました。

《現実をつきつけられた高遠さんの講演》
 湯川あきさんのシャンソンの後、イラクで人質となった高遠菜穂子さんが講演しました。イラク・ファルージャでの医療物資の支援などの活動を通じて、イラク国民が何を考え、世界に何を訴えているのかを、実体験をつうじて報告しました。
 
 「会」は5月14、15日の2日間「平和ツアー」で長野県の無言館、松代大本営などを見学します。九条を守る署名を人口の過半数めざし集めようと全力をあげています。
お問合せ 9条の会・こがねい事務局 小山 Tel 042-383-6075

 

東大和・青空フェスティバルin桜が丘
日時 2006年4月29日(土)
場所 都立東大和南公園「平和広場」
報告  開場となった「平和広場」は、戦前この場所に「日立航空機蒲ァ川工場変電所」があり、終戦直前に米軍機によって爆撃を受け、多くの死者を出しました。そしていまも弾痕を残した建物があり、東大和市ではこの「旧変電所」前の広場を、平和の大切さを後世に伝える地域として「平和広場」(通称名)と命名しました。これは、旧変電所施設を含めこの地域が戦争の傷跡を今に残す貴重な場所であり、二度と悲惨な戦争を起こさないようにとの願いを込めて「平和広場」と呼ぶこととしたものです。

 憲法九条を守りたいとの熱い思いに集いあった桜が丘地域の人々が、憲法記念日を前にして、この「広場」でアピールしようと企画しました。
 当日はあいにくの曇り空でしたが、「おやじ」たちのバンドや高校生のバンドグループも参加してにぎやかにフェスティバルを楽しみました。
お問合せ 東大和九条の会ピースナインIN桜が丘

 

立川九条の会 発足一周年のつどい
日時 2006年4月28日(金)
場所 アミューたちかわ 小ホール
報告  4月28日、アミュー立川にて立川九条の会発足一周年記念のつどいが開かれ約150名が参加しました。

《こころに響く「ねがい」の合唱》
 同会代表委員の高田和彦さん(日本キリスト教団立川教会牧師)が「水や空気のように憲法も自然に漂っていると思っていたが、公害などで水も空気も汚され、気が付いてみれば憲法も非常に危ない状況になっている」と開会あいさつ。同会代表委員事務局長加藤敏治さんからは、立川駅前などで毎月宣伝行動に取り組むなどの一年間の活動報告がされました。
 メーンアトラクションとして、同会会員を中心に結成された「“ねがい”を歌う仲間たち」約30人が、「あの日の授業〜新しい憲法のはなし」「ねがい」を披露しました。30言語以上に訳されている「ねがい」は、ドイツ語での独唱、フランス語の詩の朗読も行われました。

《理想を描いた憲法の実践をめざそう》
 続いて、弁護士の澤藤統一郎さんによる講演がありました。広島の爆心地の小学校で育ち、清水市で「原爆マグロ」の恐怖を体験した青少年時代。靖国訴訟や岩手銀行男女差別事件など多くの事件に関わってきた澤藤さんは、「憲法をまもるということは憲法典を拝むことではなく、平和・人権・民主主義という理想を実現する国民の運動をおこすこと。憲法は使うことによってますます鋭利になる。使わなくては」と強調。日常生活で憲法を実践することを呼びかけました。また、自民党改憲案は戦争をする選択肢を入れる大転換だと指摘。「自分の体はタンパク質と日本国憲法でできている」と明言する澤藤さんの話に大きな力をもらったつどいでした。
 つどいに参加した方は、「9条の会ができて以来、機会あるごとに講演会などに参加しています。そこで聴いた話を同僚に話すなど、これからも地道に憲法を守る大切さを訴えていきたいと思います」と語りました。
お問合せ 立川九条の会 (加藤) Tel&Fax 042-537-2217

 

第14回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年4月21日(金)
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  第14回「憲法ひろば」は、「無防備地域宣言」運動の意義と可能性について柴崎の三宅征子さんから発題をいただき、27人のみなさんが討論。深大寺北町の竹内常一さんの司会で、難しい問題は今後の研究課題として残しつつ、多様な意見も出し合いました。

《「無防備都市宣言」は有効か?そこから話し合いをひろげよう!》
 三宅さんの「無防備地域宣言」運動の意義と可能性についての発題は、多くの共感と疑問を触発。三宅さんが発議時間を縮めて討論を求めたこともあり、さまざまな論議が起こりました。
 成立した国民保護法が「保護協議会設置と保護計画の作成」を自治体に義務付けているが、それと「無防備宣言」はどんな関係?「無防備」とは、弾が飛んできたら死ねと言うこと?そのような宣言は有効だろうか?戦争が起こることが前提の「無防備宣言」でなく、戦争そのものを許さない立場が必要だ、などなど。
 これらを受けて、司会の竹内さんは、「イラクの自衛隊に何故砲撃が加えられないか、それは日本人が考えている以上に九条が認知されているからだ。私は国際的信義を信頼したい」と述べ、「ここで出された疑問や意見を避けては憲法を語れない、ひきつづき研究しよう」と提起。三宅さんは、憲法十二条「国民の不断の努力」の必要を強調し、今後もおおいに話し合いたいと訴えました。

《戦争に協力しない調布を!その話し合いを憲法活かす力に》       
 日ごろ接している学生たちに聞くと「選挙に必ず行く人はたったの2%」。ここを変えていくために、若い人も一緒に何がやれるかをいつも考えてきたと言う三宅さん。国際人道法に則って「戦争に協力しない地域」をつくりだす「無防備地域宣言」運動に着目したのだといいます。すでに全国40都市が「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」(04年に創設、略称= 無防備全国ネット)を形成しています。「市民が国際法を活用し、憲法九条の理念と地方自治の本旨を実現するこの運動は、若い人も一緒にみんなで話し合う場になり、その話し合いの大きな広がりが、憲法を守り、それを地域に生かす力になると思うんです」・・・・瞳を輝かせて語る三宅さんの熱い思いに引き込まれた会場には、真剣で熱い空気が溢れました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

東村山「富士見町九条の会」 結成総会
日時 2006年4月16日(日)
場所 富士見町公民館 第1集会室
報告  東村山「富士見町九条の会」結成総会を4月16日に行い、55名参加で終了しました。

 内容は、杉井静子さんの記念講演「世界の宝・日本国憲法の今」とビブラホン演奏、みんなで語ろう「憲法への思い、平和への願い」などでした。
 参加者は、講演を聞いて「憲法を取り巻く情勢の緊迫感」を改めて感じ、何かをしなければという感想が多数出されました。みんなで語ろうという企画では、参加者全員に一言でも発言してもらうという方針を貫きました。なかなか良かったと思います。

 賛同者は、当日加入分も含めて110名です。
 今後とも地道な学習を中心に毎月例会を持ち、一人が一人に話して横に広げてゆくような会にしたいと思っています。
お問合せ 松内 清 Tel 042-394-1251

 

前沢・南町九条の会(東久留米) 「靖国神社で平和を考えるツアー」
日時 2006年4月1日(土)
報告 《行ってきました靖国神社・游就館》
 前沢・南町九条の会でよびかけた「靖国神社で平和を考える」ツアーには、昭和ヒトケタから「もはや戦後ではない」以降の人たち10名が参加。外は満開の桜で千鳥ヶ淵周辺含め、ものすごい人人のなか、噂の游就館に行ってきました。
 「なんてばかばかしいんだ」「なにを考えてきたんだ」の憤慨の声や、「ここまで国家が本気で歴史を歪め、改ざんするのか・・・」など、じつにショックな重い気持ちになりました。 
 遅い昼食となった地下の居酒屋では、10人が自己紹介し、戦争体験や仕事の紹介などなど含め、感想を語り合いました。
お問合せ 前沢・南町九条の会

 

町田南地域九条の会 第2回学習討論会
日時 2006年3月26日(日)
報告  町田南市民センターで、町田南地域九条の会の第2回学習討論会が開かれました。

《「日本国憲法」は「おしつけられらた」のか》
 テーマは「日本国憲法はどうして生まれた」か。「今の憲法はアメリカからおしつけられたという意見があるが、本当かどうか知りたい」という会員の希望で決まりました。

 講師を担当してくれたのは「まちだ・さがみ法律事務所」の弁護士名取孝浩さん。
 「悪いことをしたから、もうしないという約束を書いた。そうすればまた信用されるよ、といった人の言葉に従った。これはおしつけだろうか。」
 悪いこと(戦争)をしたことを反省していれば、おしつけとは思わない。反省しないで、ひょっとしたらまたやろうと考えていたら、余計なお世話、おしつけだよと思う。名取さんはこうした意味のことを、小学校のクラスでの出来事を例にとって、分かりやすく解説してくれました。
 そして、憲法がどのような状況で生まれたか、安保条約と憲法との関係は、アメリカはなぜ憲法を変えたがっているのかなど、様々な角度から「おしつけ論」の誤りを指摘し、説明してくれました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第13回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年3月26日(日)
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  第13回「憲法ひろば」が開かれ、「より過激な教育改革」を標榜する石原都政が、子どもたちと教師・保護者の人権をいかに侵害しているか。憲法・教育基本法を守り奮闘する3人の現場教諭の報告を受けて討論しました。この日の参加者は40人、学校現場のあまりの荒廃に驚きながら、憲法を活かす課題のたいせつさをあらためて深めました。

《石原都政の「より過激な教育改革」がここまで来てる!》
 遠藤勝さんと物江賢司さんは小学校の教諭、河原井純子さんは養護学校の教諭です。
 教育実践30年の3人は、それぞれの立場から、1999年の石原都知事誕生と国旗・国歌法制定、2003年の「日の丸・君が代」を強制する通達(10・23都教委通達)などが、常軌を逸した教育反動化の契機になったと訴えます。
 そのもとで教員への支配、子どもの権利破壊、「学校選択制」など、子どもたち・教師・ 保護者への人権侵害と教育の破壊がひろがっていると言います。
 都立七生擁護学校への「性教育攻撃」で校長とともに処分された116人の1人、河原井さんは、ことし異動した調布養護学校で創立30周年行事の「日の丸・君が代」に起立しなかっただけで「停職処分」を受けました。河原井さんの報告は、石原都政の「より過激な教育改革」が調布にも乱入していることを実感させ、会場には緊張が走りました。
 報告は、憲法改悪の動きと教育反動化・教育基本法改悪の根っこがひとつであることを、事実によって裏付け、憲法を活かすことの大切さを実感させてくれました。

《針の穴でも開けて行きたい》       
 そんな状況の中でも「子どもたちの感性はすばらしい」「何としても反撃を」などなど、元教員だった人びとからの激励と決意の発言が相次ぐと、物江さんが「確かに若者たちは九条の心を伝えても逃げたりしない」と応じ、遠藤さんは卒業式で子どもの作品を少しでも多く展示できるよう働きかけ、式終了後には、子どもの作品を背景に日の丸なしで記念写真を撮った経験を語り、「針の穴でもみつけて突破口にして行きたい」と語り、河原井さんは都教委への抵抗は「象と蟻のたたかい」だと言う人がいるが、「それならぼくたちも蟻になる」と言って多くの若い人たちががんばっていると語りました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

三鷹・新川9条の会 発足のつどい
日時 2006年3月18日(土)
報告  彫刻家・北村西望の「平和の像」が立つ仙川平和公園のある新川の地で、3月18日、「三鷹・新川9条の会」が発足しました。発足のつどいは、長崎の原爆被爆者・山本英典さんら6氏が呼びかけ人となり、25名が参加してひらかれました。

《先輩の9条の会の活動報告に励まされながら発足》
 はじめに事務局の赤羽さんが、“靖国神社見学ツアー”や“学習会”など準備会活動を報告しました。
 来賓として、三鷹9条の会から栗原けんじさん、井の頭9条の会から中村一武さんの激励の挨拶をうけました。
 栗原さんは、三鷹市でも憲法骨抜きにする動きがあり、国民保護法にもとづく国民保護計画を自治体としてつくるための予算がだされている。憲法は、日本と世界の宝であり、みんなで守っていきたいと話されました。
 中村一武さんは、井の頭9条の会として住民協議会に入り、120世帯が会員になっているが、6割は日頃お付き合いのない、若い人が多いこと。音楽家の会員によるコンサートや家の中で貼るポスター作りなど創意あふれる活動を紹介してくれました。
 呼びかけ人を代表して挨拶に立った山本英典さんは、自ら長崎の原爆被爆者として、核兵器廃絶や被爆者への国家補償実現を求めつづけてきたこと。国民保護計画というが、原爆を落とさせない、戦争を起こさせないことが最大の国民保護である。9条の会は、戦争から、原爆から、あらゆる大量殺戮から国民を守る拠り所であり、9条を守るためにがんばりましょうと力強く呼びかけました。

《自民党のねらいを明らかにした記念講演》
 記念講演は、池末彰郎弁護士(武蔵野法律事務所)の「自民党の改憲案と国民投票法案について」の約1時間のお話でした。参加した若い女性が、「字ばっかりの憲法全文資料を見てビックリしたが、話を聞いて、自民党が何をねらっているのかよく分かった。来て良かった」と感想を語ってくれました。
 「つどい」は最後に、世話人と事務局メンバーを承認し、9条を守るの1点で力を合わせる住民過半数の署名運動、映画界やコンサートなどの企画、会を宣伝し会員をもっとふやす、などの取り組みを確認しました。

 

今、なぜ憲法改正?パートU −許すな国民投票法案
日時 2006年3月17日(金)
場所 武蔵野公会堂 パープルホール
報告  「今、なぜ憲法改正?−許すな国民投票法案」をテーマに、武蔵野憲法市民フォーラム実行委員会は17日、武蔵野市で集会を開き、320人が参加しました。

《運動への力が湧いてきた講演》
 一橋大学の渡辺治教授が「改憲派の本当のねらいとこれからの私たち」と題して講演。自民党の新憲法草案、国民投票法案などについて説明し、「日本を海外で戦争できる国にしないという一点で大きな運動をおこそう」と呼びかけました。

《さまざまな意見が出された政党シンポジウム》
 政党シンポジウム「国民投票法案をどう考える」では、日本共産党の吉川春子参院議員、民主党の菅直人衆院議員、社民党平和市民委員会の藤田高景氏が話し、工学院大学の長谷川憲教授が進行役をつとめました。
 吉川氏は「戦争は絶対にいやだ」と日本共産党に入党したことを語り、「自民党は憲法9条を変えるために国民投票法案を出そうとしている。国民投票法案そのものをつくらせないため、力をあわせ、大きな運動を」と訴えました。
 国民投票法案について、管氏は「必要だという立場だ」とのべ、藤田氏は「断固反対する」と語りました。
お問合せ 西村 Tel 0422-46-7614

 

前沢・南町九条の会(東久留米) 発足のつどい
日時 2006年2月26日(日)
報告  今全国各地に広がっている、「憲法九条の会」の運動。前沢・南町の地域にもやっと九条の会ができました。
 発足式が2月26日に行われ、あいにくの雨にもかかわらず、50名の参加者がありました。

《それぞれの平和への思いを語り発足》
 オープニングの九条朗読に続き、多摩地区を中心に活動する「絹の道合唱団」のみなさんによる合唱が披露されました。美しく、心に響く歌声でした。
 地元前沢在住で、東久留米九条の会代表でもある古田足さんによる記念講演が行われました。「日本がアジアにどれだけ被害をあたえていたか。つぐなわなければならない。だから、平和憲法をつくった。」ご自身の体験を踏まえ、平和憲法の価値を語ってくださいました。
 フロアートークでは、参加者それぞれの思いが語られました。

 4月1日(土)には靖国神社で平和を考えるツアーを行いました。地域の人たちとの交流を深めながら活動を進めてゆきたいと思います。
お問合せ 前沢・南町九条の会

 

第12回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年2月23日(木)
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  第12回「憲法ひろば」が開かれ、25人のみなさんが、鵜沢さんと古川さんの発題を受けて意見を交わしました。稀有の体験にもとづくお二人の発題を、司会を務めた西つつじが丘の石山昭男さんがていねいに噛み砕き、討論が活発に行なわれました。

《ピースボートにも「九条の会」を立ち上げました》
 「戦争反対・九条守ろう」の手書きワッペンで日頃から市民に訴え続けてきた上石原の鵜沢希伊子さんは、昨年9月3日から104日間、「第51回ピースボート」(乗客1000人)に乗船。水先案内人として乗船した映画「日本国憲法」のユンカーマン監督との触れ合いを契機に、乗客によびかけ「九条の会」を立ち上げました。25回行なった会合には延べ1000人の乗客が参加。帰国後も「各地に散って核になろう」とがんばっている人が少なくないと言います。批判や文句を言ってくる人もいるけど「それは無関心よりタチが良い」とは、ワッペンの鵜沢さんならではの名言。船中で落語の古今亭菊千代師匠の弟子になり「古今亭千代希」の芸名?までもらった鵜沢さんの楽しい話にひとしきり会場は沸きました。

《「イロコイ」に生きる人類史の記憶を語り広げたい》       
 憲法の心を読み書き学ぶことを訴え続ける多摩川の古川ひろしさんは、アメリカ北東部にあるオノンダーガ政府に招かれて、昨年8月15日から10日間「平和の旅」に参加。同国は、独立国としてアメリカ合衆国と対等関係を主張する6つの邦で形成する「イロコイ連邦」の首都です。そこには「7代後のことを考えてワンマインドになるまで論議する先祖伝来の直接民主主義が息づいていました」「それは人権宣言やアメリカ憲法、日本の憲法の源流ともなっていると実感しました」と、旅での学びと感動を熱く語った古川さん。「子どもの未来を考えて今を判断することを取り戻さないと、日本はある日突然絶滅すると思う」「これからの人生を、人類の叡智の結晶である日本の憲法の心を、人類史の記憶として呼び覚ます活動を続けていきたい」と結びました。
お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

9条の会・こがねい 講演と落語のつどい
日時 2006年2月18日(土)
場所 萌え木ホール(市役所本庁舎前 商工会館3階)
報告  立正大学教授の金子勝先生と落語家の立川談之助氏をお迎えし、講演と落語のつどいが催され、50名の参加がありました。

《創作時事落語で世相を斬る》
 立川流真打・立川談之助氏は、創作時事落語の「これでいいの?ニッポン」と題し、今の政治家を厳しく批判。世相にカツを入れ、会場を沸かせました。
 今の政治家は、小泉総理大臣を筆頭に二世議員(ニセ議員)ばかりで才能と情熱がない政治家が国会内を闊歩している。国会答弁で「人生いろいろ」などという総理大臣が、辞めた後は知らないという態度で郵政改革や年金改革をすすめたことを批判しました。

《自民党「新憲法草案」を斬る》
 立正大学教授・金子勝先生は、『自民党「新憲法草案」を斬る−憲法の語り部となるために−』と題して約一時間半熱弁をふるわれました。
 まず、この改憲運動の背景には、1996年の『「日米安保共同宣言」−21世紀に向けての同盟』で1960年の安全保障条約での極東から対象範囲を中東に広げるための宣言であったことを含め、アメリカの改憲要求が背景にあったことをわかりやすく解説されました。
 次に、自民党の「新憲法草案」では、第9条の1項を残すことで、歴代内閣と自民党の自衛戦争は放棄していないとの解釈から、戦争ができる「根拠」作りにしたこと、第2項を削除し、自衛軍の保持を明記したことにより、自衛権、集団的自衛権の行使ばかりか軍事同盟の締結、多国籍軍への参加、自衛軍による国民の弾圧にもつながることを強調されました。
 また、軍事に関する裁判を行なう「軍事裁判所」を創設(76条)することにより、軍と戦争を批判する者は処罰される可能性があり、この「新憲法草案」が成立した場合、米国市場主義型・米自衛軍同盟体制に至ることを解説されました。
 最後に、改憲阻止のために我々ができる課題として
16項目の提案があげられました。
 その中の一つでもある運動の場でうたう憲法の歌として昨年の11月6日の9条の会・こがねいの発足の会で披露した≪I LOVE KENPOU I WANT PEACE≫の歌を参加者全員で歌い、散会しました。

お問合せ 9条の会・こがねい 事務局 小山 Tel 042-383-6075

 

あきる野9条の会 「バスで行く あきる野市内の戦跡めぐり」
日時 2006年1月22日(日)
報告  「バスで行くあきる野市内の戦跡めぐり」に36名が参加しました。市内7ヶ所を見学し、秋川の戦争を語りつぐ会の清水浩さん、横沢入の戦争遺跡調査報告者の唐沢慶行さんが現地で解説してくださいました。「青い目の人形」の話は、戦前の教育とマスコミの恐ろしさを痛感しました。

《コース解説》  
1 列車空襲現場(五日市線多摩川鉄橋):終戦直前の7月28日、米軍機の襲撃で3名が即死した。 
2 秋川市戦没者慰霊碑(中央公民館南側)には太平洋戦争で戦死した三四六名他の名が刻んである。 
3 爆弾投下場所(油平):炸裂した爆弾で森田さんが死亡。
4 学童疎開児童が機銃掃射で死亡した海老沢寮跡(引田):7月28日、米軍機の銃弾が麦わら屋根を貫いて小学5年生の頭を吹き飛ばした。他に3名が負傷した。約40名が宿泊していた。
5 引田の陸軍倉庫跡(左)とE横沢入の地下壕跡と戦車橋(右):純農村地帯でも、こうした軍用施設とその付近が攻撃目標となったといわれる。
7 「青い目の人形」(戸倉小):昭和2年米国から小学校に贈られた約12,000体もの友好の人形は、終戦間近には「敵」として火あぶりや竹槍で突かれた。上級生の命令で人形を踏みつけた体験を持つ清水さんの話を重く受け止めた。戸倉小で隠された人形が発見されたのは35年以上後のことであった。現在残っている人形はわずかに300体ほどである。 
お問合せ あきる野9条の会 事務局 前田 Tel&Fax 042-558-7857

 

第11回 調布「憲法ひろば」
日時 2006年1月22日(日)
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  第11回「憲法ひろば」が開かれ、55人が参加しました。

《国民投票法案のねらいを語る》
 今回の発題者は布田在住の青年弁護士、笹本潤さん。この通常国会に出される「憲法改正国民投票法案」が、今年最初の憲法改悪の動きであること、投票をめぐる言論や国民の権利・運動に不当な制限を設け、改憲の条件をつくるねらいがあること、などを明らかにしました。自・公・民がいずれ統一案をおしつけてくる国会で「これを悠々と通すか、大きな批判の中で通すかの違いは大きい」という笹本さんのコメントに、「それでは改憲の議論に乗ってしまう。法案づくりそのものに反対すべきだ」、「いや、国民投票で改憲を否決するために民主的な投票法にさせるべきだ」などの熱い議論が巻き起こり、論点が大いに深められました。
 世界のNGOや法律家とともに「憲法九条世界会議」を準備している笹本さんは、世界中に広がる「グローバル九条キャンペーン」の動向をスライドで紹介。中国や韓国では日本の戦争責任を追及する運動の中で「九条守れ」の声があがっていること、韓国の人に「北朝鮮は怖いですか」と聴いたら「北朝鮮より日本が怖い」と言われたこと、ロシアの国立大学教授が「私は学生たちに、日本は非常に良い平和憲法を持っていると話してきたが、九条が改悪されたら、私は学生たちに次に何を話せば良いのだろう」と語ったこと、などを生き生きと語りました。

《何かやらなければ 噴き出した多様な思い》       
 発題を受け、発足一年を過ぎた「憲法ひろば」は何か行動すべき時に来ているのではないか、例会の案内ビラなどをつくって駅頭や街頭で撒いてはどうか、地域・地域に九条の会をつくろう、などの声があがりました。「憲法ひろば」として決めるというよりも、それぞれが積極的に行動を起こし、それを持ち寄り交流する場として「憲法ひろば」をいっそう広げることが問われています。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

町田南地域九条の会 第1回学習討論会
日時 2005年12月23日(金) 
場所 成瀬駅前センター 第2会議室
報告  町田南地域九条の会の第1回学習討論会が開催されました。参加者は会議室の定員24名を超える28名でした。

《紙芝居「かよこ桜」》
 最初に紙芝居「かよこ桜」。原爆で我が子を奪われた母親が、城山小学校の校庭に桜の木を植えたお話で、山本典人世話人が解説しました。

《活発な質疑応答があった学習討論会》       
 学習討論会のテーマは「この国はどこへ行くのか・自民党新憲法草案の問題点」で、講師は世話人代表の四位直毅弁護士。1時間半の講義の後、参加者の戦争体験や自作の反戦詩の紹介などを交え、活発な質疑応答と意見交換がありました。
 紙芝居、講義とも好評でしたが、「北朝鮮や中国が攻めてくると云っている人がけっこういる。説得するにはどうしたら良いか」との質問には回答があったものの再質問に応える時間がなく、もっと突っ込んで議論したかった様子も伺えました。
 次回からは国民の間にある様々な意見、疑問等に焦点を当てた学習討論も必要との声も出されました。
お問合せ 町田南地域九条の会

 

第10回 調布「憲法ひろば」
日時 2005年12月23日(金) 
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  第10回「憲法ひろば」が開かれ、37人の参加がありました。

《広島の惨状を越えてきた眼と手に力をこめて》
 今回は「戦中・戦後の体験を聴く」のパート3。下石原在住の田辺俊三郎さんから、広島での被爆体験を聴きました。
 「語ることが被爆者の使命」と厳しく自分に課している田辺さん。80歳を過ぎたとはいえ、話しはじめると、原爆に灼かれた手足、地獄を見た眼に力が入ります。パネルとスライドを駆使し、学生時代に経験した被爆の惨状を明らかにしながら、ご自分の身体と心の痛み、無残な被爆現場のありさまを訴えました。 
 「火の玉の中に頭を突っ込んだような熱さ。太陽が爆発したか?雷が落ちたか? 燃え上がる瓦礫の山から、友人を引きずり出せば足が千切れ、おばさんを引き出せば耳がちぎれる。死んでいる赤ちゃんの頭をなぜると崩れて灰になる。こんなことは二度と起こってはならない」と、じっと眼を閉じる田辺さんです。

《和やかに行なわれた「望年会」》       
 田辺さんのお話が一区切りしたところでテーブルを並べかえて、お茶とお菓子を配って「望年会」に切り替えました。 
 田辺さんの話を敷衍する発言、憲法を書き写す「写憲運動」や元米海兵隊員のアレンさんの演説を「英語で読む会」、沖縄「写真展」などの提唱が相次ぎ、来年は「ささやかでもアッチこっちでやろう」と話し合いました。9月から12月にかけてピースボートに乗船した上石原の鵜沢さんが「映画 日本国憲法」のユンカーマン監督らと「ピースボート九条の会」を立ち上げたという話も印象的でした。 
 来年は日本国憲法にとって正念場!良い年にしましょう。 

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

きよせ9条の会 緊急リレートーク「ちょっと待った!自民党改憲案」
日時 2005年12月8日(水) 
場所 清瀬市民センター
報告  きよせ9条の会が「ちょっと待った!自民党改憲案」と題して集会を開き、150名が参加しました。

《熱い思いを込めて−音楽と講演》
 まず、きよせ9条の会呼びかけ人でもある、シンガーソングライターの宮沢勝之さんの平和への熱い思いをつづった歌から始まりました。
 続いて、市川房枝記念館理事長で元婦人有権者同盟会長の本尾良さんによる講演を行ないました。本尾さんは、米軍のイラク攻撃を批判し、戦争の時代・加害者の時代を再びつくらない反戦の意思を一人ひとりがもち、憲法改悪に反対する運動を広げようと訴えました。

《リレートークと会場発言》
 リレートークでは、文芸評論家の新船海三郎さんが、現憲法と対比して自民党改憲案を批判しました。また、アニメーション映画監督の有原誠治さんは、情報化社会のなかで、メディアによる情報操作で政治の実体が隠されゆがめられ誘導される現実を見据え、改憲反対の対話を進めようと呼びかけました。
 会場からは「年賀状は、あいさつだけでなく憲法九条を守ろうと書くことにした。みなさんもぜひ」などの経験が報告されました。
お問合せ きよせ9条の会

 

調布「憲法ひろば」誕生から1年のつどい 「みんなの声響かせて」
日時 2005年12月3日(土) 
場所 たづくり・くすのきホール
報告  調布「憲法ひろば」が誕生から1年のつどいを開催し、180名が参加しました。

《ピースメッセージと詩の朗読》
 まず世話人の富永りかさんが、「ひろば」の1年を振り返り、「日本国憲法」の平和への志を削り、国民に「帰属する国を愛情をもって支える責務」を押しつける改憲案が出てきたが、わたしたちが「憲法ひろば」で学んできたのは、こんな上からの命令に従ったり、従っているかどうかをお互いに監視するような関係ではなく、お互いの温かい人間的な魅力でつながることの大切さだったと語りました。
 次いで「憲法ひろば」メンバー7人が、昨年12・3集会の参加者が寄せた「ピースメッセージ」を朗読。トルコの詩人ヒクメットが原爆で死んだ少女に寄せた詩「死んだ女の子」と、平和のイメージを描いた創作詩「大きな木」で、会場に静かな感動が広がるなか小学校6年生の川上喜朗くんと富永芽衣さんが登場。原爆で父親を亡くした子と、自ら被爆した子の詩を朗読し、それぞれ自分の平和へのメッセージもしっかりと発表してくれました。

《平和への願いをこめた大合唱》       
 そこへ堀尾輝久さんが登場。「今ここで披露された市民やこどもたちの平和への思いに比べ、自民党の改憲案がいかに思想的に貧しいものか。憲法だけでなく教育基本法まで変える動きが現実のものとなったのは9・11以後の状況で、アメリカの戦略に追随する極めて危険なもの」、「しかしこれに反対する意識もまた高まっている」と熱く語り、広島の中学生が平和への願いをこめて書いた詩に曲がつけられ、30 ケ国以上で歌われている歌「ねがい」を、年齢を欺く?美声で紹介。
 その間に、裏方メンバーが、生後4ヶ月の赤ちゃんも交えて続々と舞台に登場し、ギターの伴奏に乗って、会場と舞台がひとつになった「ねがい」の大合唱が巻き起こりました。最後に大野事務局長が「憲法ひろば」の今後の予定を紹介して、広い参加をよびかけながら幕を引きました。
 
《多数の参加で賑わった「父と暮らせば」上映会》
 12月3日に開催した「父と暮らせば」上映会。1000人近い市民のみなさんのご協力のなかで、会場の調布市文化会館たづくり「くすのきホール」は800人余りの参加者で終日賑わい、新しい1歩を実感させました。
 上映会は、調布市原爆被害者の会(調友会)、府中・調布・狛江・稲城地区平和運動センター、調布「憲法ひろば」の三者が共催し、調布での平和の共同に新しい一歩を記しました。
 朝・昼・夜の3回にわたる映画「父と暮らせば」の上映を軸に、昼の部に「憲法ひろば」による一時間のステージ、映画「ヒバクシャ」の上映を加え、午前10時から夜8時40分まで、終日山盛りの企画。昼の部に施した手話通訳や音声ガイド、保育所などのバリアフリーも好評でした。
 朝の部を観賞した長友市長が挨拶、映画「ヒバクシャ」 の上映後に鎌仲ひとみ監督が駆けつけて挨拶するなどの一幕もあり、調布市民の平和への願いをしめす豊かな一日となりました。 

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

三鷹九条の会発足一周年 講演の文化のつどい
日時 2005年11月27日(日) 
場所 三鷹市市民協働センター
報告  「三鷹九条の会」が発足一周年記念で「講演と文化のつどい」を開き、150余名が参加しました。

《日本経済界の重鎮による記念講演》
 まずは、経済同友会終身幹事である品川正治さんが、記念講演をしました。「戦争放棄の憲法九条をもっているのは日本だけ。この世界の宝を守ることは大変な事業だ」とのべ、日本が国として憲法九条を守ることをしっかりと示すべきだと主張しました。「そうすれば日本のあり方が変わり、中国も変わり、世界も変わる。ベルリンの壁の崩壊以上に大きく世界が変わる。」と語りました。
 参加者からは「『世界が変わる』という言葉に体がふるえた」という感想や、「財界の動きなどもよくわかった。今後も深い本質的な話を聞ける講演を企画してください」などの要望や意見も寄せられました。

《平和を願うパントマイム》       
 続いて、三鷹九条の会の呼びかけ人の一人、松井朝子さんが、反戦・平和の思いをパントマイムで表現し、好評を得ました。
 三鷹九条の会は、「九条の会」アピールへの賛同者の輪を全市規模に広げ、憲法を学び語る学習会を開くことなど今後の取り組みを確認しました。 

お問合せ 三鷹九条の会 事務局 神田高 Tel&Fax 0422-46-5702

 

九条の会・あきしま 発足の集い
日時 2005年11月20日(日) 
場所 昭島市福祉会館
報告  「九条の会・あきしま」の発足の集いが開かれ、予想を上回る150名の参加がありました。

《バラエティに富んだ内容でスタート》
 まず、堀美保子代表から、「横田基地の米軍飛行直下の街、戦争の様相がよくわかる昭島で「九条の会」が結成されるということの意義は大きい」との挨拶がありました。その後、市内在住の湯川あきさんによるミニミニコンサートがあり、九条の会参加の思いを込めシャンソン「幸せを売る男」など3曲が披露されました。続いて、同じく市内在住の日本民話の会会員の赤羽目喜美子さんの演出による「方言で日本国憲法を読む」があり、サッカー監督や老人クラブ役員、学生、子ども会の役員、市議会議員(女性・2人)ら各界各層バラエティに富んだ顔ぶれの方々が、憲法九条への思いを語りました。

《石崎助教授による記念講演》
 市内在住の石崎学さん(亜細亜大学助教授)が「九条とはなにか」について講演されました。憲法のなし崩しの実体にふれ、「今の社会どうなっちゃうのという意見交換をとおして、九条の会を広め、もし国民投票が実施されたときには、昭島市民の圧倒的多数で否決しようではないか」と力強く訴えられました。
 最後に、地域のすみずみに九条の会を広め、来年憲法行事が行なわれる5月21日に「平和が好きだから・守りたい九条」の大集会の成功に向け活動するなどの「申し合わせ」を決めて終わりました。

お問合せ 九条の会・あきしま 代表 堀美保子 Tel&Fax 042-543-7199

 

あきる野市民の戦争体験を聞く会
日時 2005年11月19日(土) 
場所 あきる野市中央公民館 第7研修室
報告  あきる野9条の会主催で「あきる野市民の戦争体験を聞く会」が開かれ、60名の参加がありました。

《胸に迫る戦争体験の数々》
 まず、あきる野9条の会の代表の一人でもある野武雅之さんから「戦争体験を聞き、日本が再び戦争をしたらどんなことになるのか一緒に考えましょう」との挨拶がありました。
 10歳のとき、長崎で被爆した原一美さんからは生々しい惨状が語られました。「やけどで肉が露出した人、変わりはてた子どもを抱きしめる母親・・・。歩く先々すべてが修羅場だった」。また、「いま、28歳のめいは白血病であと2年しか生きられない」と被爆の影響の恐ろしさを訴え、「人前で話すのは初めて。憲法九条を変え、戦争への道を歩もうとする動きに危機感を覚え、話すことを決めた」と述べられました。
 1946年、17歳まで「満州」(中国東北地区)で過ごした南知子さんは「ソ連軍が参戦し、現地に置き去りにされた多くの日本人が家や食料を失い、栄養失調や病気で死んだ。憲法を変えれば、徴兵制が復活し、戦争が再び起きて国民が悲惨な目にあう」と述べ、憲法を守ることの大切さを訴えました。

《参加者からも語られた戦争体験》
 涙を流しながら戦争体験を語り、憲法九条を守ろうという訴えに参加者は真剣に聞き入りました。参加者からも、いくつか発言が出されました。中国東北地区に進行した関東軍(日本軍)の兵士だったという方は「私の経験からも、軍隊は国民を守らない。軍隊は必要ない」と語りました。

お問合せ あきる野9条の会 事務局 前田 Tel&Fax 042-558-7857

 

ひので九条の会発足のつどい
日時 2005年11月13日(日) 
場所 ひのでグリーンプラザ
報告  日の出町の「ひので九条の会」が発足のつどいを開き、「改憲」の企てを阻むために、一人ひとりができる努力を今すぐ始めようという呼びかけにこたえて、75人の参加がありました。

《記念講演とリレートーク》
 初めに、元小学校教諭の寉田一忠さんの記念講演がありました。平和憲法があるにもかかわらず自衛隊という軍隊がつくられ、アメリカ軍と共同した大規模な戦争準備が進められようとしていると指摘。一方でアメリカでも反戦運動の波がワシントンに押し寄せるなど、世界的に「戦争のない世紀にしよう」という機運が高まっていることを紹介しました。
 その後、戦争体験者や青年がリレートークを行い、平和への思いを語りました。
 参加者は九条を守ることに住民過半数の賛同を得るため頑張ることを確認しました。

お問合せ ひので九条の会 橋本 Tel 042-597-3085

 

立高九条の会・発足記念「講演とラテン音楽の集い」
日時 2005年11月12日(土) 
場所 立川市女性総合センター・アイム
報告  今年7月24日に都立立川高校の卒業生、教職員、元教職員等を中心にして「立高九条の会」は発足しました。その発足を記念して講演会を開き、100人を超える参加がありました。

《ラテン音楽の熱気に包まれた会場》
 初めに、立高卒業生であり立高九条の会のメンバーでもある大野春樹さんがリードヴォーカルをつとめるラテン・トリオ・パライソの演奏がありました。「コンドルは飛んでいく」や「川の流れのように」などのなじみのある曲目を、圧倒的な迫力で演奏されました。会場からは自然と手拍子も出て、30分では物足りないほどの盛り上がりを見せました


《考えさせられた記念講演》
 その後、渡辺治先生(一橋大学大学院教授)による記念講演がありました。改憲がいよいよ政治日程に上ってきているという情勢の話から始まり「憲法9条と現実は乖離してしまったから、現状にあわせるべきでは?」「9条を「改正」しないと日本の安全は保障できないのでは?」といった改憲派の新たな言説に対して、明快な回答と解説があり、憲法9条「改正」が必要ではないということがよく分かりました。また、「改憲」を跳ね返すためには「憲法9条は大いなる力と可能性をもっていることに確信をもつ」「歴史を正しく認識するとともに、今までにない広範なつながりの運動をつくっていく」といった提言があり、これから運動を広げていくうえでとても考えさせられる内容でした。

《これからの活動について》
 途中の休憩時間には会場のあちこちで旧交を温めあう場面がみられ和やかな雰囲気のなか会が進められました。最後に、立高卒業生でもあり元教員でもある吉田道郎さんより、立高関係者の居住地が全国各地に及んでいる現状からみて今回のような一堂に会する集会を企画することはなかなか難しいかもしれないが、ホームページ等でつながっていきたい、引き続き賛同者を募集しているという話がありました。

お問合せ 立高九条の会 藤田 Tel 042-573-5211

 

いまこそ輝け憲法9条 小金井平和のつどい
    9条の会・こがねい発足記念講演
日時 2005年11月6日(土) 
場所 小金井市公会堂大ホール
報告  「いまこそ輝け憲法9条」を合い言葉に開かれた「9条の会・こがねい」の発足記念講演に700人の参加がありました。

《オープニングは貫井ばやしで》
 伝統芸能の貫井ばやしで開幕した後、代表世話人の池末彰郎弁護士が開会のあいさつを行ないました。

《3名の方による記念講演》
 その後、千葉眞さん(国際基督教大学教授)、坂内(ばんない)義子さん(キリスト者政治連盟)、小中陽太郎さん(作家・日本ペンクラブ理事)の3者3様の記念講演が行なわれました。
 千葉眞さんは、「平和憲法のリアリズム」と題して講演。「いまこそ輝け憲法9条」を会場参加者とともに唱和しました。
 坂内義子さんからは、「9条は闇を照らす光。軍国主義は暗やみの世界をつくる」との指摘があり、「光ある内に光の中を歩め」という聖書の言葉の紹介がありました。9条の会が各地に誕生し、そこに連なる喜びが語られました。
 小中陽太郎さんは、リンカーンからギリシャ、ヘブライまでさかのぼる「人類普遍の原理であるべきものを誰が変えられるか」と強調しました。ベトナム戦争当時、19歳の米兵が脱走したときの映像などを交えて話し、みんなが持ち場で頑張ろうと話しました。

《オリジナル平和ソング合唱と若者のこえ》
 講演を挟んで、オリジナルの歌「I LOVE KENPOU I WANT PEACE」(永井和子作詞、神野和博作曲)が紹介され、壇上と会場が一体で合唱しました。また、女子高生と青年が「過去に学び未来につなぐ」決意を表明しました。

お問合せ 9条の会・こがねい 鳴尾 Tel 042-387-0431

 

町田南地域九条の会結成総会 「輝け九条!歌とトークのつどい」
日時 2005年10月30日(日) 
場所 つくし野センターホール
報告  歌とトークを交互に配置した構成で、主催者の予想を上回る110名が参加しました。

《心をいやす歌声》
 オープニングはコーラスグループ「和(なごみ)」で、普段の練習の成果を発揮してきれいな歌声を響かせました。
 また、メンバーの都合が悪く一人でゴスペルを歌った歌った鈴木景子さんは、一人とは思えない迫力で、参加者に強い感銘を与えました。

《バラエティに富んだトーク》
 トークは、世話人の7名が、それぞれの人生や立場から、九条を語りました。
 広島で被爆した後、小学校の教師になった山本典人さんは、参加者を小学六年生に仕立て、憲法前文のメモを使って授業を行いました。髪の毛が白くなった小学六年生は、先生の質問に答えることができて素直に喜んだり、勢い込んで答えたのが間違いで、会場の爆笑を呼ぶ場面が生まれるなど、和やかな雰囲気が漂いました。

《心をひとつにして会場全員で歌を》
 最後は「町田九条を守る文化の会」の呼びかけ人・大島高行さんの音頭で、覚え立ての歌「ピースナイン」を全員で歌いました。
 参加者からは、「バラエティに富んだ人と話で良かった」「歌が印象に残ったので、またやってもらいたい」などの感想が出され、休憩無しの二時間半を楽しんだ様子でした。

お問合せ 町田南地域九条の会 事務局 Tel&Fax 042-796-6684

 

いま、憲法九条を活かすため 「こまえ九条の会」発足のつどい
日時 2005年10月29日(土) 
場所 狛江市西河原公民館
報告  狛江市では「有事法制に反対する狛江の会」に所属する市民団体や個人が今年2月から「九条の会」をつくろうと話し合いを重ねてきました。10月29日の発足のつどいには200人を超える方の参加がありました。

《発起人によるスピーチ》
 まず、発起人である気象学者の増田善信さんと法政大学の山岡義典教授からお話がありました。
 増田さんは、戦前、特攻機出撃のために気象観測を行なった経験を語り、「もう二度と彼らを送り出したくない。戦争を繰り返さないために憲法九条を守ろう」と訴えました。山岡教授は「憲法九条を守り育て、平和をつくることが大事だ」と述べました。
 また、俳優の箕輪康子さんが詩を朗読して、憲法と平和の大切さを訴えました。

《奥平康弘さんと池田香代子さんによる講演と対談》
 つづいて、「九条の会」呼びかけ人の一人である憲法研究者の奥平康弘さんと「世界がもし100人の村だったらの再話」を手がけた翻訳家の池田香代子さんがそれぞれ講演を行なった後、両者による対談が行なわれました。
 奥平さんは、当日発表された自民党の「新憲法草案」に対し、一見すると保守色が薄く、新しい権利も盛り込まれていて一部の人には好ましく思えるかもしれないが、全ての条文を書き換えていることは、国民投票での一括投票をねらうものであり、本当のねらいである九条改正の意図を隠蔽するものだと警告しました。さらに憲法改正のハードルを低くしていることに触れ、本当に自民党が望む保守色の強い憲法に向けての準備をするための危険な法案だと批判しました。九条に関しては、第二項を削り、「九条の二」を新設して「自衛軍の保持」を明記したことなどを批判し、「世界は戦争違法化の道を進んでいる」とし、憲法九条を守る意義を強調しました。
 池田さんは、「憲法九条を守るために、若い世代に戦争の悲惨さを語り継ぐことが大切だ」と主張。憲法が外国から押しつけられたとの批判について、自由民権運動の歴史などにふれながら「日本国憲法は日本の民主主義の本流に位置している」と語りました。自民党の「新憲法草案」についても、自民党保守派が望む保守色の強い憲法草案であれば絶対にまとまらないのだがと述べ、ソフトな外見に隠された「ねらい」に対する注意を呼びかけました。

《今後の活動について》
 最後に、事務局より運動の経過と今後のとりくみについての説明がありました。
 「九条の会」アピール賛同署名を狛江市民の過半数を目標にすすめ、学習会や講演会を連続的に開催することなどを呼びかけました。

お問合せ こまえ九条の会事務局 絹山 Tel 03-3480-6792

 

第9回 調布「憲法ひろば」
日時 2005年10月16日(日) 
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  38人の参加のなか、深大寺北町にお住まいの竹内静代さんに「東京大空襲」の体験を語って頂きました。

《東京大空襲で二度も焼け出されて逃げ惑ったの》
 1945年2月25日、大雪の日、防空壕の屋根に油脂焼夷弾が5、6発刺さって、原っぱへ逃げた。機銃掃射も受け、気付いたら母はお釜を、私は枕を抱えていた。家をなくし友達の家にお世話になったけれど、3月9日にはまた焼け出された。父と母と手を繋いで「暗い方へ」「暗い方へ」と逃げ回った恐怖の一夜。翌朝に見た焼け野原と化した町。乳児を抱いたまま黒こげになった母親の姿。60年たった今でも決して忘れることができない。

《数々の軍歌とスローガン〜覚えていることが悲しい》

 「進め一億火の玉だ」「壁に耳あり障子に目あり」「ゼイタクは敵だ」などなど、短い言葉で調子よく頭に入ってくるスローガン。次々に口をついて出てくる軍歌。無意識のうちにしみこんでしまっていることが、悲しいというより恐ろしいことです。
 いま、これとそっくりなやり方で世論を揺さぶっている誰かさんを見るにつけ、これは気をつけなければいけないって、ホントに思います。

《いのちの尊さを学んで》

 母から「今日は休んで」と言われたとき、「私が休むと日本は負けちゃう」って答えたほど、学徒動員で工場に通っていた私は立派な軍国少女だったけど・・・。火に追われて逃げるときは「一億一心」とか「隣組」とかは吹き飛んでしまった。
 戦後、教師になって「教え子を再び戦場に送るな」という道を見つけた。目の前にいる子どもたちを見ながら、また自分の子を育てながら、命の尊さを学んできたと思います。戦争を体験した人がもっと語らなければね。・・・竹内さんの静かなまなざしに強い意志が光りました。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

平和が好きだから九条 東大和市民のつどい
日時 2005年10月1日(土) 
場所 ハミングホール(東大和市民会館) 大ホール
報告  会結成後、初の大集会に600人を超える参加があり大盛況でした。

《ハンドベル演奏による開幕》
 明治学院中学グリーンハンドベルクワイエと明治学院グリーンハンドベルクワイエによるハンドベル演奏で開始しました。

《憲法九条への思いをつづった朗読》
 東大和在住の戦争体験者の手記を、東大和朗読の会の方が朗読しました。痛切な戦争体験と憲法九条への思いがつづられた胸に迫る手記でした。

《「命に国境はない」〜高遠菜穂子さんの講演》
 つづいて、イラクで難民支援のボランティアとして活動し、昨年、武装勢力に拘束された高遠菜穂子さんによるスライドと講演が行なわれました。「拘束事件に関して、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」と切り出した高遠さんに「お詫びする必要はないよ」の声もかかりました。
 写真やビデオを映しながら、イラクで起こっていることを明晰な言葉で語ってくれました。あまりにも残酷で正視できない映像の連続に、会場中の人たちが「身が凍りついて言葉を失う」思いをしました。ファルージャで米軍がイラク市民に対して何をしたのか。悪魔のように、狂気にかられて人間の尊厳を破壊する行為が「テロ根絶の戦い」「自由と民主主義を守るための正義の戦い」の名のもとに行なわれていることがよくわかりました。あの映像を見てなおイラク侵攻を正当化できる人間がどこにいるのか。軍事力が国を守る、とか、派兵が国際社会における責務、などという主張がいかに欺瞞に満ちたものであるかが、まざまざと示されました。
 イラクに関する政治的、軍事的な動きを良く把握し、全体的な状況分析をし、現地の人々の声をよく聞き、イラクの声なき人たちの声を日本や米国の市民に伝えることが自分の使命だと、東奔西走している高遠さんにとても力づけられました。100分余りの講演ではまだまだ聴き足りなかったのですが、高遠さんの講演は憲法九条を守る運動にエネルギーを注いでくれました。
 
参加者からは「チラシを見て来たが、本当に良かった」「とてもわかりやすく、すばらしい演説だった。このような会は頻繁に行なった方がいい」などの声が寄せられました。

《平和美術展も開催》

 ハミングホール玄関ホワイエにて平和美術展も開催され、力作の数々が展示されました。

お問合せ 東大和市職員組合 Tel 042-565-0866

 

第8回 調布「憲法ひろば」
日時 2005年9月25日(日) 
場所 調布市民プラザ3F あくろすホール
報告  38人が参加し、戦中・戦後の体験を語り合いました。

《9歳の戦争体験〜それは「ひもじさの記憶」です》
 まず、深大寺元町にお住まいの山崎瑞江さんより、戦争体験談を語って頂きました。
 1歳3ヶ月の時に応召され、二度と会えなかったお父さんのこと。国民学校3年生になると「積極的な戦争参加」の名で押しつけられた学童疎開のこと。ひもじくて、ハミガキ粉や絵の具まで食べたこと。戦争が終わって「戦争が無いって事があるのかなぁ」と漠然と考えた日々のこと。新憲法のもとで6年生になって「桜のようにぐんぐん伸びて新日本建設に力を入れる」と作文に書いた時の高揚した気持ちのこと。
 山崎さんは静かに
力強く平和への思いを語ってくれました。

《若者たちの挑戦〜私たちの言葉で戦争を語り継ぎたい》

 続いて、平和サークルP魂s(ピーソウルズ)の正岡義之さん、弟の隆実さん、木高愛蕗さんに報告して頂きました。
 「ピーソウルズ」とは、平和(ピース)と魂(ソウル)の複数形(s)・・・と話し始めた正岡義之さんと隆実さん。「祖母が東京大空襲を話してくれたことがキッカケ」「両親も家族旅行などの折に原爆や特攻隊やひめゆり部隊の事実に触れさせてくれました」「高校生平和ゼミで同じ思いを持つ友達ができました」「東京大空襲の話を聞いた画家のおのざわ・さんいちさんが亡くなった時、あの時生きていた人が現存している内にできるだけ多く話を聴き、これを私たちの言葉で語り継がねばと思いました」と語ってくれました。
 体験者の話を聴くと言っても「君らはどういうヤカラか?」と疑われたり、聴けば聴くほど、一人ひとりが伝えたい思いが違うことにぶつかったり、一苦労がありました。戦後60年の今年3月、六本木ヒルズで「東京大空襲展」をやり6日間で1万人を超える来場者がありました。やっと人間同士の繋がりができたと感じています。
 木高さんは、「戦争は恐ろしく悲惨、起こされた戦争は終わらないこと、『国民保護法』は『国家総動員法』と同じだという実感を体験者から学びました」「戦争は今を生きる私たちの問題、未来にも繋がる問題」との思いを語り、連帯の拍手に包まれました。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

九条の会くにたち 「講演と講談の夕べ」
日時 2005年8月23日(火) 
場所 国立市民芸術小ホール
報告  8月23日、「九条の会くにたち」の主催で講演と講談の夕べが開催され、約170人が参加しました。

《改憲阻止にむけて》
 「戦後60年と憲法九条」と題して、都合により来られなくなった小森陽一さんに変わって高田健さん(九条の会事務局)の講演がありました。自民党新憲法草案第一次案(8月1日提示)にみる改憲論とその特徴と、その危険性を指摘して、私たちは全力で改憲を止めなければならないと強調されました。
 大江健三郎さんの「求めるなら変化は来る、しかし君の知らなかった仕方で」と言う発言を紹介。全国で「九条の会」が三千も立ち上がっていることを大きな前進だとしました。

《講談も好評》

 一龍斎春水さんの講談「火垂るの墓」も好評でした。

お問合せ 九条の会くにたち(松岡) 042-572-1693

 

九条を守る会・西多摩(羽村・瑞穂) 結成集会
日時 2005年8月20日(土) 
場所 羽村市スポーツセンター
報告 《和やかな雰囲気の中、開会》
 代表呼びかけ人でもある山下氏のフルート演奏によるオープニングで、和やかな雰囲気の中で開会しました。呼びかけ人挨拶で山下氏は「一日で価値観が変わってしまった」自身の体験から平和憲法を守ることの重要性を指摘しました。

《生々しい戦争体験談》

 事務局から会結成の経過報告の後、「私の戦争体験」として二人の方からの話を聞きました。
 はじめに、羽村市在住の佐久氏が「九条と私」という趣旨で新聞に投稿し掲載された話を中心にお話されました。「世界が戦争回避を始めた」最近のヨーロッパ動向を強調しました。
 次は、青梅市在住の島崎氏の「被爆体験の話」でした。島崎氏は広島で被爆し、戦後は西多摩で教職についた方です。爆心地から10q離れたところにいたが「黒い雨」が降ってきたことや、広島市の方から沢山の人が歩いてきて、その人たちを見ると女の人の髪の毛が抜けて無くなっていたことなどを生々しく話してくれました。ご自身の、『戦後3年たったころ、髪が抜けだし肌に吹き出物ができ、医師に「原爆病で3年の命」といわれた時期もあった。政府派遣の医師との巡り会いもあり、半年程で吹き出物が消え髪が生えてきて危機を脱した。』などの体験談は開場全員が聞き入る話で、二度とこうしたことが起こってはならないと痛感させられました。

《積極的な意見交換も》

 続いて参加者の意見交換をしました。
 教育現場からは、中学校歴史教科書の扶桑社版と他社とを比較する資料をもとに、戦争を肯定的に描く危険性の指摘がありました。また、「九条を守る」という消極的姿勢でなく「九条で攻めよう」という積極的な意見も出ました。
 最後に、アピールを採択して散会しました。
お問合せ 渡辺悦男 Tel 042-557-0707

 

第7回 調布「憲法ひろば」
日時 2005年8月20日(土)〜21日(日) 
場所 八王子「大学セミナーハウス」
報告  調布「憲法ひろば」が前史を含め一周年を迎えました。「ひろば」の「これまでとこれから」を深めるための合宿(第7回調布「憲法ひろば」)に38人の方の参加があり、充実した交流と討論をすることが出来ました。

《改憲策動と「九条の会」のいま》
 「小泉首相の国会解散は『君主』気取りのやり方で、憲法を支配の道具と見る観点そのもの」と言う川村俊夫さん(九条の会事務局)の指摘が胸を揺すりました。改憲は戦争と弱肉強食の時代への逆流。これらが破壊するのは平和だけでなく生存権や社会的権利だと強調した川村さんは、職場や地域の切実な願いから生まれた「九条の会」の「うねり」を「大きな波に」と力強く訴えました。

《多彩な報告も続出》

 終戦の日を韓国で迎えてきた方のお話、中国から帰国直後の方が伝える最新情報、パネル付き戦争体験談、映画「日本国憲法」の上映を受け、「果てしない討論?」が続きました。「日本国憲法がどんなに優れた憲法であっても、国民に『君主』の横暴を一つひとつ抑える力がなければ、そこからもファッシズムが生まれるのではないか、ワイマール憲法下のドイツにヒットラーが生まれたように」と危機感を語った発言も印象的でした。

《どうする?これからの「ひろば」》 
 
時のたつのも忘れて討論と談笑は絶えることなく続きました。「各人がそれぞれの分野で活躍していることを相互に認識しあい、その実践を持ち寄って相互信頼を育てること」・・・「ひろば」の大切な意義がここにあると確かめ合いました。
 今後の課題について、調布も「無防備都市宣言」を!、戦争の惨禍を伝える多摩戦跡の保存を!、憲法の一条一条を守り抜くたたかいを!などの決意や意見が出されました。世話人会提案の「父と暮らせば」上映会(12月3日)にも、ひとりひとりの連帯の場としての「ひろば」を大切にする立場からの深い検討が加えられました。

お問合せ 憲法「九条の会」調布のひろば

 

井の頭9条の会 発足
日時 2005年7月23日(土) 
場所 井の頭コミュニティセンター新館
報告  “憲法9条は私たちの宝です。憲法を守り生かすために小さくともできることから”をテーマにした「紙芝居と音楽のつどい」が開かれました。

《地域にふさわしい活動を》
 昨年11月に発足した「三鷹9条の会」と連携をとりながら、井の頭地域にふさわしい、9条を守る活動をしていこうと発足した「井の頭9条の会」。当日の参加者は50名でした。

《非戦・平和は大人の責任》

 「子どもは大人を信頼しています。その信頼に大人は応えなければいけないの。」 「戦争をなくし、平和な世の中にすることは大人の責任・・・」と井の頭9条の会の呼びかけ人のひとりでもあり、絵本・紙芝居作家の第一人者のまついのりこさんは、治安維持法違反で獄につながれたお父さんのことなど自らの戦争体験静かにを語り、平和の大切さを語りました。

《もっと若い人も集まって》 
 
「もっと若い人たちも集まってほしい」というおさな子を抱えたお母さんや、「これほど大切な9条を変えようとする人たちの考えが分からない」などという参加者からの発言もありました。

《紙芝居で9条を守る訴え》
 「紙芝居は日本独自の文化なの」と幼い子どもたちだけでなく大人にも語りかけるまついさん。壁画家で娘さんの松井エイコさんが作られた広島、長崎の惨劇を語る紙芝居「二度と」に続いて、「みんなでぽん!」を作者自らが演じてくださいました。みんなでぽんと手をたたくと「平和」の文字、もう一度のぽんで「9条」の文字が出てくるフィナーレは大きな拍手。紙芝居での憲法9条を守ることの大切さの訴えも、参加者に大きな感銘を与えてくれました。
 金子飛鳥さんと箭川玲子さんのヴァイオリンとピアノの合奏も素敵でした。「まついさんのお話しが体の中ではじけそうにかけまわっています。」という金子さんのヴァイオリンが早いテンポでメロディを奏でると、箭川さんのピアノがきっちりと優しくそれを受け止める。ジャズの魅力を改めて教えてくれた演奏でした。
 まついさん、金子さん、箭川さん、ご三方とも井の頭在住の方たちです。

お問合せ 井の頭9条の会事務局 中村 Tel 0422-79-1591

 


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